迷宮遺跡《ダンジョン》の深きは、果てしなしを識る
「第五層まで自分の足で行くと思った?」
「は、はい。思いました」
「にししっ。やっぱりねえ」
巨大ゴンドラとは異なる、大雑把な振動に俺と冴子さんは揺られていた。現在、俺らはリュウグウジョウ第三層に来ていた。
「外があんなんだし、依頼がない限りは自分の足でここは探索しないかなぁ」
頑丈な鉄条網が張られた窓の向こうは、とにかく暗かった。迷宮遺跡の中には何故か雲や太陽があり独自の気候が作られていているが、第三層の天候は大荒れだ。雷が絶え間なく鳴り響き、雹の混じった雨がしんしんと降り注ぐ極寒の天気。
〈冒険者〉の行く手を阻む障害はそれだけではない。一面覆うは荒れに荒れた大海原のみ。波の一つ一つが3メートルは超える高さを誇り、そこかしかで渦潮も起きていて、しょっちゅう揺れている。船がない限り進むことすら第三層ではままならない。
そう、俺たちは今船に揺られていたのだ。鋼鉄製のほとんど丸い形状の、壮絶な嵐に耐えられる特別な巡航船で、〈冒険者〉を第四層の入口へ運ぶ為にある。
外に広がる地獄の光景に俺は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「外がこんな地獄じゃ、生身で渡れないですもんね。ほんと、先人たちはどうやってここを調査したんだか」
「殆どはこの海の藻屑になったんじゃない?今は凄まじいけどね…数百年に一度だけ晴れる奇跡の日があるんだよ」
冴子さんの言葉に思わず外を向くが、今の荒れ狂う景色からは全く想像できない。
だがそんな俺の困惑を余所に冴子さんは、その晴れ渡る奇跡の日とやらを何処か遠い目で語り続けた。
「馬鹿みたいに荒れてる海が静かになって、荒れ狂う空が晴れ渡って、渦潮の一つもない日がね…少なくとも3回は晴れた日が観測されているんだよ。リュウグウジョウの不思議の一つ。先人たちは"神晴れ"と呼んでたみたい。……けど尊くんもまだまだだなぁ」
「え!?ど、どうして…」
にししっと悪戯っぽい笑みを浮かべる冴子さん。
「ここもまぁ酷いけど、五層、六層はここの比じゃいよ?船で渡れる分、ここの方がまだマシ。ま、ついてからのお楽しみだね!迷宮遺跡はこんなもんじゃないってことさ」
「そ、想像できないです。ここより凄い光景なんて」
ここが地獄じゃないなら深部には一体どれ程の危険が待ち構えているのだろう。考えるだけで震えてくる。だけど
「面白い。…なるほど、これが冒険か。最高だな」
「あ、そうそう。一つ言い忘れてた。ここじゃ時間の感覚は宛にならないからね。注意すること。時間の感覚めちゃくちゃ狂うから」
「え?そんなに狂うんですか?」
「狂う狂う。てか、実際に多分時間の流れが違うんじゃないかな。深くなればなるほど時間の感覚が喪われる。この間の特訓、一ヶ月あったけど一瞬に感じたでしょ?」
冴子さんの指摘に俺は、はっとする。確かに、この特訓がやたら早く終わった様に感じた。
てっきり興奮してたからだと思っていたけど、確かに不自然に早く感じた気がする。
「だから、はぐれたら最悪なんだ。特に深部では。一日しか待ってないように感じても実際は一週間だったことなんてざらにあるし。迷宮遺跡でバラバラになった冒険隊が合流するのが難しい理由はそこにある。新たな〈冒険者〉を絶やさない為にも伏せられた情報だけど事実だよ。
だから心して。もし私と深部で離れたら合流するまでにどれくらい時間が掛かるか想像がつかないから」
迷宮遺跡がなんでもありなのは身を持って体感したけれど、まさか時間の流れまで違うとは…。
「流石は迷宮遺跡。時間すら神秘に包まれてるなんて…冒険しがいがありますね。気を付けます」
「にししっ。ま、尊くんならそう言うと信じてたよ。おっと、もうすぐ目的地だ」
「四層と三層を繋ぐ要……"化石船の祭壇"。"鼠返しの激流"を渡る前に必ず寄るべき場所、ですね」
「そ。決して帰れない旅に出る前に、最後の祈りを捧げてた祭壇さ。昔は、今みたいに潜水技術が発展してなかったから"鼠返しの激流"を超えると帰る手段がなかったから祈りを捧げるしかなかったんだろうね」
そこは不思議な場所だった。一面嵐に覆われ、海は荒れ狂っていたのにそこの周囲だけは非常に穏やかだった。丁度、雲の絶え間なのか嵐は何一つなく雨も穏やかに降っている。
船の形をした岩が迷宮遺跡の壁に刺さっているのも興味深い。
生えているのか、刺さっているのか。真偽は不明だが神秘性があるのは事実だ。
甲板に当たる場所の中央には幾何学的な円陣が描かれていて、かなり古い社が建てられていた。円の奥には台座があり、何やら花が生けられていてまさに祭壇である。〈冒険者〉たちはここの祭壇にて準備を整えて、第四層の入り口である"鼠返しの激流"を超えるらしい。
完全に巡航船が泊まりきる前に降りる準備を終えていた俺と冴子さんは、巡航船が降りた瞬間には化石船の祭壇に上陸していた。
上陸の余韻を味わう暇もなく、台座の裏側にある縦穴に潜る。梯子があり比較的楽に降りれたが冴子さんはあっという間に飛び降りてしまう。
狭い石の穴を進むと、やがて道の先から鈍い光が溢れ出てきた。
あと少しで光に辿り着くという所で、邪魔が入る。
「許可証の提示を願い申し上げる」
機関銃で武装した警備員が警備をしていたのだ。この先に余程重要な何かが眠っているのかな?
俺がひとり悩むのを余所に、冴子さんは【ギルド】に発行してもらった許可証を提示した。
警備員はそれを受け取るとブラックライトに照らしたり、何やら特殊な水晶を通して見たりと徹底して偽物かどうか鑑定した後に、頭を下げた。
「どうぞ、この先に。〈夜の明け星〉御一行様。丁度空いています。旅たち前の準備、抜かりなく終えてください」
警備員は後ろ手で守っていた鉄格子の戸を大きく開けた。
扉の先には空間が広がっていて、空間の中央に泉があった。
冴子さんは泉付近に腰掛けると、中に満ちている液体を掬い服に塗り込みながら説明する。
「これは〈水捌けの油〉。どんな激流やどんな水圧も耐え、どんなに水につけても絶対に水を弾く性質があるの。これを服やリュックに塗り込んで、即席の潜水具にするんだ。 それと、肌にも塗っといてね。あと、塗り残しがあるとそこだけ水圧かかるから注意してね?あと揮発性だからテキパキとムラなくたっぷりと塗り込むこと」
「了承です」
俺はせっせと油を服に塗り込んだ。ムラがない様に丁寧にしっかりとそれでいて慌てて。肌にも服の中に手を入れたりして、とにかくムラがなくなる様に塗り込みまくった。
隣で油でテカテカになる冴子さんに少し興奮したのは俺だけの秘密だ。
眼福、眼福。
「これ海外で、リットル単位百万で売買されてるの知ってる?」
「へ?」
手の中に溜まっていた〈水捌けの油〉が零れ落ちる。
「世界中にある迷宮遺跡を探しても、採れるのはこの〈蒼海宮殿〉だけ何だって。しかも、限られた階層でしか分泌されない超希少な迷宮遺物なんだよ」
冴子さんの次から次へと語られる言葉に冷や汗が滝の様に溢れ出てきた。リットルの比にならないくらい使った気が………。
「ま、第四層に向かう分には無料なんだけど」
「へ?」
「ビビった?迷宮遺物ってすっごい価値あるんだよ。一見ありふれててもね。勉強になったでしょ。にししっ」
次から迷宮遺物はもっと丁寧に扱おう。そう心に決めた俺であった。
実は迷宮遺跡、大衆の目に触れたのは近代に入ってからですがそれ以前から挑んでいた人たちはいました。かなり昔から一部の人たちは存在を知っていたのです。リュウグウジョウはそれこそ小笠原諸島に人が住み始めた頃から…。