迷宮遺跡《ダンジョン》より愛を込めて
日本最後の〈未踏破迷宮遺跡〉リュウグウジョウ、またの名を〈蒼海宮殿〉は、推定階層十層の最高難度Sランクのアジア一危険な迷宮遺跡だ。だが、それは深部での話で浅い階層は然程危険は多くない。
そう、然程だ。
『冒険を夢見る奴は即地獄に叩き落される』
当時の俺ははこの言葉の意味がよく分からなかった。〈冒険者〉が夢を見て何が悪い!ってな感じで一切理解ができなかった。
しかし、迷宮生物と対峙する今ならわかる。
計画性も具体性もない夢を見る奴は、迷宮遺跡の洗礼を受けて死ぬ…そういうことなのだ。
ガチガチと顎を噛み合わせ俺と威嚇する〈陸神鰐〉。ただでさえ見上げるほどの巨体なのに血走った目で見つめられると余計迫力が増す。肉食動物特有の臭さと涎の匂いが周囲に充満する。
流石は〈神〉を名に冠する迷宮生物だ。
第一層で見掛けた時は川の中にいて穏やかな雰囲気だったが、今は荒ぶる神そのものだ。
俺は冷や汗を垂らしながら武器を握りしめる。支給された拳銃があるが、〈陸神鰐〉の鱗を傷付けることは叶わないと思う。
だから自作の武器を使うことにした。迷宮遺物の中でも価値が低い、衝撃を増幅させる石、共鳴岩で作った片手鎚を構える。名付けるならさしずめ〈衝撃斧〉だろうか。
しびれを切らした〈陸神鰐〉が唸ると、牙を剥き飛び掛かって来た。咄嗟に後ろ向きに転がって躱す。先程まで立っていた場所は大きく抉れクレーターが出来ていた。
ひええええ…。大した装備もしてない俺では容易く挽き肉にされてしまう。
俺が攻撃を躱したことで〈陸神鰐〉は更にお怒りになり、突撃ラッシュを躱してきた。幸いにも頭に血が登り過ぎたのか、当たれば即死だろうが一直線の突撃しかしてこないので、躱し続けることが出来た。
気を抜いて少しでも掠れば瀕死は確実だが、この極限の状況に頭が異様に冴えてる俺は紙一重の軌跡を連発し、すれ違い様の横面に〈衝撃斧〉を叩きつけるのに成功していた。
単体でもかなり硬い共鳴岩で作った斧での一撃。迷宮遺物としての特性で威力が倍増されたそれは、〈陸神鰐〉の硬い鱗を傷付けることに成功した。
〈陸神鰐〉が突撃してくる。躱す、打ち付ける。また突撃してくる。
躱す、打つ、躱す。躱す、躱して、打つ。
それをただ繰り返し気が付くと…。
度重なる〈衝撃斧〉での殴打に〈陸神鰐〉は遂にその巨体を揺らし崩れ落ちた。頭部を重点的に狙ったおかげだろう。荒ぶる神が遂に動かなくなった。
力が抜けへなへなと力なく座り込む。息を落ち着けるが、胸の奥から込み上げてくる熱い想いを抑えることはできない!
「いおっしゃああああああああああああ!!!!」
戦闘に勝利した俺は激情の赴くままに雄叫びを上げ、ガッツポーズを繰り返した!化け物相手に勝てた!
凄まじい興奮が俺を襲う。シャドーボクシングを繰り返し、奇声をあげる俺。間違いなく不審者だが、今だけはご許し願いたい。
「今の俺凄くね?迷宮生物相手に勝っちゃったよ?俺の輝かしい冒険譚、始まったぜ」
自惚れてもいいじゃね?だって3メートルはある化け物とタイマン張って勝利したんだもの。
俺強いんじゃね?って有頂天になっても仕方ないと思う。
そんな俺を迷宮遺跡は許さなかった。たかだが〈陸神鰐〉相手に勝っただけで迷宮遺跡を知った気になるなよ、と。
俺は興奮のあまりすっかり忘れていたのだ。【ギルド】のお姉さんが言っていた注意事項を。
『迷宮遺跡内で、特に草原で戦う時は注意してね。もし戦闘になっても血を流しては絶対にダメ。草原は…』
バサバサ、と空を羽で仰ぐ音が耳を擽り―
「―ッ!」
チリチリと首を焼くような嫌な感覚がして慌てて前転する。そのすぐ傍でひゅんという風切り音が聞こえ、尻尾が地面に打ち付けられるのが見えた。
転がりながら体制を立て直し立ち上がるも、
「う、嘘だろ」
何本もの尻尾に、四本の鋭い牙と翼の生えた狼が俺を見下ろしていた。
〈草原の覇者〉の二つ名を持つ草原の迷宮生物で、名を〈大翼狼〉という。草原を縄張りにリュウグウジョウでは、浅部から深部にかけて生態系の上位に君臨する上位捕食者で、迷宮遺跡での紛れもない強者だ。
〈陸神鰐〉の流した血の匂いに誘われてやって来たのだろう。
静かに俺を見下ろして佇んでいるだけだが、生物としての格の違いを対峙するだけで否応なしに感じてしまう。圧倒的強者としての隔絶した実力差を発していて、重厚な死の匂いを漂わせる。本能が屈しているのだ。
草原は〈大翼狼〉の縄張り。縄張りを荒らす者は、例えそれが迷宮生物相手であっても平等に死を与えるということを俺は失念していたのだ。
ただ無機質に俺を見つめる瞳は、俺の獲物としての価値を査定している様だった。刻一刻と死が近付いて来てるのが、こうしてただ立っているだけで分かるがどうしようもできない。
逃げるか?…しかし、背を向ければ即刻殺されそうだ。尾で軽く払われるか、それとも鋭い牙で噛み殺されるか、あるいは鋭利な爪で殺られるか…。どちらにしても一瞬だろう。
戦うか?…〈衝撃斧〉で、〈大翼狼〉を相手に。
だが、相手はその巨体の割りに目にも映らない程の俊敏さが売りなのだという。
視界の端から端を一瞬で踏破する風の如き計動力と、何よりも硬く鋭い牙を以て得物を仕留めるのが〈大翼狼〉の狩猟方法らしい。その狩猟法を以て時には〈暴竜〉をも仕留める〈大翼狼〉を相手にどう戦えというのか。
それに相手には翼もある。こっちは二次元でしか戦えないのに相手は立体的に戦える。
何もかもが不利で、一切の勝利の可能性が望めない。
逃げるのも不可能で。戦うのも絶望的。どうすれば!
「畜生!やってやるよおお!!!」
逃げるのは論外!!英雄は困難から逃げない!ならば!
「うおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」
半場自棄になった俺は死を覚悟して、筋肉を脈動させる〈大翼狼〉に、〈衝撃斧〉を握り締めて立ち向かおうとするが。
突然、〈大翼狼〉の肩が弾け飛び、一瞬で俺に肉薄した〈大翼狼〉の血が降り注いだ。弾け飛んだと表現したが膨らんで消失したという言葉が正しいかもしれない。突然の激痛に〈大翼狼〉はその場でのたうち回ると走り去っていった。
瞬きする間に視界の端から消えた〈大翼狼〉を茫然と見つめる俺は腰を抜かしてしまう。緊張が一気に解けて尿意まで催してきた。
今のは一体?
「危ないトコロだったね少年。〈大翼狼〉相手に怯まない何てガッツあるじゃん」
口を開けた〈暴竜〉を模した迷宮遺物を肩に載せて微笑む巨乳のお姉さんがいた。支給された冒険服は、大きな胸により限界まで引き延ばされていて、とにかくエロい。燃えるように真っ赤な髪は腰まで伸ばされていて艶があり色っぽい。
そして何よりも、…美女だ。つんとした睫毛に黒い澄んだ瞳、小さな鼻。潤いのある色っぽい唇。…完璧だ。
出るところは出て、引っ込むべきところ引っ込んでいる。グラスマスでエロいお姉さん、俺の祖ストライクじゃねえか。チラチラと除く脇も、しっかりと鍛えられた筋肉も何もかもがタイプだ。告白したい!
「好きです!結婚してください!」
というかした。
〈大翼狼〉 危険度★★★★★(天災級即死レベル) 別名〈草原の覇者〉
草原の主、迷宮遺跡内の生態系上位に位置する捕食者。別名〈草原の覇者〉で、恐らく草原では最強の迷宮生物である。様々な迷宮遺跡に幅広く生息している。縄張り意識がとても強く同種であろうとも許容しない孤高の王であり、縄張りを荒らすモノは例え〈暴竜〉であろうと牙を剥く。
500メートルもの距離を1秒で駆け抜ける驚異の機動力と、無尽蔵の持久力を有する。それ故筋肉量が多く食用には適さない。鋭い牙は、チタン鋼をものともしないので、刺突武器に流用される。翼が背中から生えているが、羽ばたくことで推進力を得て加速するための器官であり、空を飛ぶことはできない。