根、伝う移動。それと、迷宮遺跡《ダンジョン》の奇跡
『これが、迷宮遺跡で〈冒険者〉が最も重宝する迷宮遺物、〈天蜘蛛の巣糸〉だ』
俺たち新期生の教導を担当する藤堂 凛花教官は、俺たちに腕に付けた〈天蜘蛛の巣糸〉を掲げて見せる。
短く切り揃えたボブカットの髪、猛禽類を彷彿させる鋭い目線から、一部のコアなファンがいるスパルタな鬼教官である。背が高くスラリとしたモデル体型だが、エイトパックという噂がある。
『時には絶壁を降る場合、時には崖を登る場合。ありとあらゆる場面でこの迷宮遺物は、普遍の性能を発揮し我々に最大限のリターンを提供する。その性能は如何なる環境下でも変わらず、その使い勝手は深部に潜る〈冒険者〉たちが絶賛する程だ』
〈天蜘蛛の巣糸〉を右手で持つと。
『例えばこの様に……』
鞭を振るうかの様に、腕をしならせながら振り下ろす。〈天蜘蛛の巣糸〉から勢いよく糸が射出され、それなにり大きな岩に引っ付くと、〈天蜘蛛の巣糸〉はものすごい勢いで糸を巻き取り、岩が手元に手繰り寄せられた。
『遠くにある物を取ることができる。あるいは』
凛花教官の姿がブレたかと思うと、一抹の風が吹き凛花教官の姿が掻き消えた。ばっと、後ろを振り向く。
『―ほう。…一人、か。話を戻すが、今見せた様に高速機動にも活用できる訳だ。これが壁を駆け上がることも、縦横無尽の挙動で迷宮生物を翻弄することも可能というわけだ。私の持つ〈天蜘蛛の巣糸〉は、上級者向けの物でお前らに支給される初心者用のとは機能も性能も異なる。しかし、これがあるのと無いのでは迷宮遺跡で出来ることの幅が変わる。が』
凛花教官は、そこまで言うと自身のシャツを捲くり上げた。キャーと女子の俺の同期が悲鳴をあげ、野郎連中の興奮の雄叫びが響く。
かく言う俺も、興奮した野郎連中の一人だ。
バインバインな無駄のない胸、引き締まったエイトパックの見事な腹筋が、その美しい姿を晒し出し、野郎連中の鮮血が舞う阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。
――なんてことはなく。
ハーネスに覆われたアンダーシャツが露出しただけだった。
『優秀なお前らなら既に察しているとは思うが、この迷宮遺物はどちらか一方の腕に非常に大きな負荷がかかる。全体重に、急速な機動によるG。そのすべてが腕一本にのしかかる訳だが、当然人間の腕はその様な負荷に耐える様に出来ていない。ハーネスで幾らか負荷を軽減できるとはいえ、無理な挙動は文字通り腕が吹っ飛ばされかねない』
全身に隈なく張り巡らされたベルトで、腕に掛かる衝撃を全身に分散する作りの様だ。
『無理な挙動をして片腕を落とすマヌケになりたくなければ死ぬ気で訓練に励む様に。油断すれば、腕を無くすぞ』
ごめんなさい。凛花教官。
あれだけ教え込まれたのに肩を外してしまいました。
「ごめんね、尊くん。……ここの水なら確かに"母なる古樹"の効能で癒やしの力があるけど、効能が強過ぎて人間には劇薬だからそのままでは使えないの。せめて5千倍に稀釈できればいいけど、今はそんな器具はないし」
冴子さんが申し訳なさそうに言うが、完全に俺の自業自得だ。それで、申し訳なさそうにされるとこっちが逆に申し訳ない。
「気にしないでください。俺がちゃんと衝撃を往なせなかったのが悪いんですから」
「そうだけど、ちゃんと治療するって言ったのにこんな誤魔化ししかできなくてごめんね。痛くない?」
まったく。俺は、子供か?子供だけども。
「痛いけど、これくらいどうってことないです。問題ありません」
肩が外れたくらいで痛い痛い喚いてたら〈冒険者〉は務まらない。仮に務まったとしても、なれるのは英雄ではなく餌か植物の肥やしだろう。
「むう。肩の不調を感じたら言ってね。動かし辛いとか、違和感がある、とか。尊くん絶対だよ」
「俺を信じてください」
冴子さんの目を真っすぐに見つめるが、冴子さんは溜息をつくだけだ。
俺の誠意が伝わらなかったのだろうか?解せぬ。
「……無茶してると思ったら落とすから」
落とすって怖っ。メロメロにさせる方の落とす?突き落とす方の落とす?それとも、意識を落とす方の落とす、どっちだ…。前者ならとっくに落とされてるが、後者なら勘弁願いたい。
冴子さんの底冷えする声に、俺は思わず背筋を震わせた。
「”母なる古樹”の根がそこら中に伸びてるから境界までの移動は楽ちんだよ」
とはよく言ったものだ。
下に視線を向ければ、第六層の境目である滝壁が見える。
〈天蜘蛛の巣糸〉を上手く使い、起伏の激しい根を足場に移動する。島と島を繋ぐ”母なる古樹”の太い根のおかげで、命懸けの直下降をせずに済んでいる。
道中小さな小動物や、毒を持つ植物やらが根に群生していたが、それを避けて、空を飛ぶ迷宮生物に注意さえすればなんら問題はない。
【生態系厄災】明けで、獰猛な捕食者や厄介な迷宮生物の生息域がまるっきり変わったので、驚くほど外敵が少ないのだ。
鬼の居ぬ間に、という訳ではないができる限りの最高速度で俺は進んでいた。
「一体、どうして島は浮かんでるんだ?」
上の方で、強風が吹き荒れても微動だにせずに浮かんでいる島を見て疑問を零す。
”母なる古樹”の根で繋がれているなら理解できる。太くて立派な根が、島のその膨大な重量を支えているのだ。
しかしだ。大本である”母なる古樹”が鎮座する島や、その他の島が浮いているメカニズムが意味不明だ。
――空間自体が固定されてるのか?
それに意味が分からないと言えばもう一つ。
ちらりと横に視界を向ければ、流動する青い壁。広大無辺な滝が見える。
上層の海から、膨大な量の海水が滝となって眼下の第六層へと流れ落ちているのだ。その水量と水圧は桁違いで、触れればたちまち巻き込まれて第六層まで流されること間違いなしだ。
あまりの落差に、幾分かの海水が霧状になり、端に近いこの辺りを塩辛い濃霧で覆っている。
”龍寓宮”の周りを囲う穴があり、そこから海水が落下しているのだそうだ。”鼠返しの激流”を生み出す元凶ともいえる。
ぱっと見でも途切れることなく圧倒的水量の海水が滝となり落水しているのだが、第三層のあの広大な海はどうやって維持されているんだ?
普通に考えてこれだけの水量が一気に失われていくんだから、第三層の海は時が経つにつれて枯れる筈なのに海に相応しい量の海水が湛えられていた。
「あの凄まじい嵐で賄っているのかな?…いや、でもそれじゃあ全体的総量が足りない。それに第六層が水浸しにならない理由にならないし、やっぱり循環させてるのか」
迷宮遺跡が具体的な事象として示す、迷宮遺跡の奇跡に、俺は頭を悩ませていた。
強敵がいないからと注意力散漫になって思考に耽ると、必ず手痛いしっぺ返しがくる。何倍にもなって。
A級や、B級といった格上の先輩方に褒められ天狗になっていた俺は、そんか当たり前のことを忘れてしまっていた。
「――あ、」
突発的な強風、突烈風に吹き飛ばされ、……俺は空中に身を踊らせられる。
「まずい!」
〈天蜘蛛の巣糸〉と結び付けている留め具を、人差し指と中指で挟むと、ダーツの要領で投擲するも距離が届かず、緩やかな放物線を描いて落下していった。
正真正銘、絶対絶命のピンチである。
迷宮遺物紹介
〈天蜘蛛の巣糸〉
中南米にある迷宮遺跡、〈蜘蛛の楽園〉アトラナートで大量に産出される希少級迷宮遺物。蜘蛛の形状をしていて頭部を押すと糸を巻き取り、腹部を握ると糸を排出する、スパイ映画に出てくるワイヤーアンカーの様な道具。
迷宮遺跡の探索で非常に使えるので、【ギルド】は〈冒険者〉全員に必ず支給している。その為、【ギルド】に納入される物は関税なしで貿易するよう、条約で決まっている。
色と形状によって等級の様な物があるらしく、新米に支給される物は、150メートルしか糸が伸びず、牽引できる重量に制限があり機能が限定的だが、A級に支給される物は、〈天蜘蛛女帝の冠〉と呼ばれ無限に糸が排出され牽引できる重量にも制限がなく、更に任意に粘着性を切り替えることができる。
ただし、〈天蜘蛛女帝の冠〉だけは数が少なく希少性が高い為、それだけ伝説級に分類される。




