母なる古樹”セフィロト”
「よっほっ、やっと!…、ほらアレを見て!」
不安定で狭い足場を、踏み外さない様に最新の注意を払いながら跳ぶ俺に、冴子さんが話しかけてきた。
そんなことを言って、踏み外したらどうする―
「……嗚呼、あれが」
第五層の名物、世界に3本しか生えていない希少な植物"母なる古樹"が悠然と佇むその雄姿に俺は声を奪われてしまった。
推定樹齢が1万年は超える悠久なる古樹、その古くも逞しい幹は、遠くから見ているのにもかかわらず、視界の3分の2を占めるほど太く大きい。そして、悠久の年月を経て太く、並みの木の様に立派な根がしっかりと浮島に根を張っていた。のたうつ蛇の様に太く曲がりくねりながら島のあちこちに根を伸ばし、島を突き出てたくさんの島々を根で結び合わせている。
広く多く伸ばされた枝には、青々とした葉が鬱蒼と覆い茂っていてそれだけで一つの森に見えてしまう。第五層の強風に煽られても尚ゆらゆら揺れるだけで、力強く樹全体が生命力に満ち溢れている。
人間の短い一生からは想像もつかない太古の昔から、永遠に等しい時を生きてきた古樹には、こう形容し難い貫禄がある。
ただそこに立っているだけで神々しい。
”母なる古樹”の根本に視線をやれば、その偉大なる根でしっかりと蓄えられた泉が広がっており、大小さまざまな木々や植物が覆い茂り、豊かな自然が築かれていることが伺える。
さぞや豊かな生態系が構築されていることだろう。
”ספירות”(Sephiroth)とはよく言ったものだ。
「あの樹の根元で今晩は休もう。夕暮れになると危ないからね」
「了解です」
俺は敬礼で返すと気を引き締め直した。
幻の古樹が放つ神聖なオーラに当てられたのかもしれない。だが、不思議とこの様な緊張感は心地よかった。
「うわあああ!これが”母なる古樹”か。凄い。歴史を感じる」
一万年以上の年月を生きた古樹を改めて下から眺めると、先程とは異なる情動が胸を支配する。
ごつごつとした樹皮は、硬く乾いているが撫でていると不思議な温もりを感じる。体の芯から力が漲ってくる。
樹皮を触るのが難しいくらいに苔の類が生えまくっているのを見るに、栄養価が高く生命力に満ちているのだろう。こんなに青々しくて立派な苔を俺は今まで見たことがない。
「力が体の底から湧いてくるみたいだ。…不思議な感じがする」
何というか。この樹を中心にこの島一体の空気は何か不思議な力を感じる。ものすごく綺麗てま美味しいし、力が湧いてくるのだ。
「そうでしょ?事実、この辺り一体はこの樹の生命力に満ちてるもの。葉1枚で病気が癒えるし、ここで清められた水を飲めば元気になる。樹液1瓶でありとあらゆる難病に効く特効薬が作れる。数千年に一度しか成らない"生命の果実"は死者をも蘇らせる力がある、と言われているの。だから"母なる古樹"と私たちは呼ばれている。
…第五層の島々を木の根で繋いで、私たち〈冒険者〉に足場を作ってくれる偉大な樹だよ」
冴子さんの口から語られる逸話に俺は苦笑いを浮かべてしまう。
迷宮遺跡にあるものはどれもこれが超常の存在だが、これはもはや。
「…地上で育てれば現状の医療に革命が起きそうですね」
「樹液一本で大騒ぎだからね。種一つでも持ち帰れば医療が根底からひっくり返るよ」
「ば?」
何故、"ば"を強調したのだろうか?何か持ち帰れない理由でもあるのかな。
「種がないんだよ、この樹には。釈迦がたまたま手に入れた"生命の果実"には種がなかったそうだし、"生命の果実"について記されたどの文献にも種の記載はなかったんだよ。一番最新の報告でも種の実在は確認できなかったし、だからといって引き抜く訳にはいかないでしょ?樹齢推定1万年だけあってもの凄く硬いし大きいから持ち運べないもん」
「接木はできないんですか?」
可能性は凄く低いだろうなと思いつつ一応聞いてみた。
「できるにはできるけど、よく燃える木が生えるだけで癒やす力はないらしいよ。成長する時に枝の中に残ってた生命力を吸い尽くすんじゃないかって言われてるみたいだけど、どうなんだろ」
「世の中、そう簡単にうまくいくもんじゃないってことですね」
冴子さんの発言を聞き、俺はそう結論づけた。
「にしししっ。そうに違いない」
俺の言葉に確かにと笑う冴子さん。
その後ろで、〈金翅鳥〉が群れをなして、赤く染まる空を背に飛行していた。
時折、強い風が吹くも、〈金翅鳥〉はものともせずに飛ぶ。
冴子さんの真紅の髪が、風で揺らめく様は、背景の夕日と合わさり、とても幻想的だった。
――――――――――
「お、おい。アレが噂のギルド騎士団か?」
第六層の最下層、深部の足掛けである前線基地にて、辰巳の仲間の一人が辰巳に耳打ちする。
というよりも前線基地全体が浮足立っていた。
カラス面を被る、素性の知れない全身黒装飾の物々しい集団に。しかも、全員が迷宮遺物ではなく機関銃や自動小銃、そに見るからに機密の塊であろう見慣れない武器で装備を固めている。
それは明らかに迷宮生物だけを想定した装備ではなかった。そう、まるで。
「何かやらかした奴を捕縛しに来たんじゃねえのか?ほら、深部で鼠を見たって話がある訳だしよ?」
「―しっ。馬鹿野郎。要らない詮索はここまでにしておけ。あれは違う。一度評議騎士団を目にしたことがあるから分かるが、アレはそんな物じゃない。無論、抱えてる闇は同等だろうが、アレは対人に特化してやがる。血の匂いがぷんぷんするぜ」
「へえ。〈紅鬼〉なんて二つ名を貰うお前がそんなに言うのか。知ったらヤバそうだな」
「……もしかしたらあの噂、マジなのかも知れないな。あの紋、見覚えないか?」
辰巳の言葉に、仲間の一人が目を細める。
「あ"あ"?―旭国旗に、菊の花だろう。それが一体……"菊の花"?おいおい、まさか。宮中晩餐会で見たことあるぞ、あの紋章。―って、おい!じゃあ、アレが前に政府のお偉いさんが自慢してた―」
「声がデケえよ馬鹿野郎!」
興奮してまくし立てる仲間に辰巳は拳骨で黙らせると、慌てて周囲を見回して声をひそめた。
「対冒険者専用の特殊部隊なんだろう。おそらく、あの噂はマジなんだ。だから政府も介入してきたんだ。アイツらを派遣してな」
「〈冒険者〉ひいては【ギルド】が政府に敵対した時を想定した特殊部隊…おっかねえなあ、おい。そんな物を持ち出すくらいあの噂はヤバいんかね」
仲間の言葉に、辰巳は何を言っているんだと肩をすくめる。
「ヤバいに決まってるだろ。A級が行方不明なんざ、今の日本の国際的地位が揺らぎかねない一大事だ。公表できるわけがない」
そんかの常識だろ?と副音声が付きそうな声音で、そう辰巳はの宣ったのであった。
評議騎士団
【ギルド】の秩序と安寧を維持し、〈冒険者〉の品位と矜持を護る為の、【ギルド】の内部警察的組織のこと。【ギルド】の規律を破る者、重大な規則違反を犯した者、殺人を犯した者や国家の法律を犯しすぎた者など、都合の悪い存在を抹消するのが主な任務。また、A級の捜索や、【ギルド】離反者の捜索、競売で出回る特定の迷宮遺物の秘密裏の回収等表沙汰には決して出来ない業務をも行う。
【ギルド】直属の組織であるが、各国家のギルドマスターには指揮権はなく、【ある存在】に申請をして受理されてから初めて出動する。
表向きには【ギルド】内部の、〈冒険者〉による、〈冒険者〉の為の自浄組織と思われているが、その実態はどちらかと言うと……
…ちょくちょく登場しますよ。




