まだ見ぬ深部への情念
「うわあ!綺麗だ」
海水の揺らめきが映る地面。
上を見上げれば、ゆらゆらと揺れる海水が醸し出す光の天蓋が見える。ブルーサファイア色の天井が、揺らめく光加減でキラキラと光り輝いている。
まるで、プールの潜ってプールの底から空を見上げてるみたいな光景だ。
どことなく和の雰囲気を有する、古い石造りの建造物が建ち並んでいなければここが海底だということを忘れてしまいそうだ。否、建ち並んでいるという言葉には些か語弊がある。計画性を感じさせる町並みであり、かつての住民の営みが漂う都市の史跡だ。
大通りと思われる通りには、トーチが如く規則的に鳥居が建てられていて、決して耐えることのない提灯の光が淡く街を照らしていた。
膜に覆われ海水から護られた不可侵の都市。
”鼠返しの激流”を超えることのできた者のみが辿り着ける、迷宮遺跡にすべてを委ねる覚悟を持つ英雄が英気を養う最後の楽園。
〈冒険者〉は"龍寓宮"と、そう呼んでいる。
「つ、疲れたぁ」
と俺は愚痴る。まさか、〈妖海狸【リュウグウ種】〉に遭遇するとは夢にも思わなかった。
そして、予想外だったのは冴子さんにも当て嵌まったらしく少しだけむくれていた。
「はぁ、私としたことが…。あの程度のことに狼狽えて前後不覚になる何てA級として情けなさすぎる。年下の尊くんはちゃんと考えてたのに、恥ずかしい。私、年上なのに立つ瀬がない」
さっきからずっと自虐して拗ねてらっしゃる。こういう時に気の利いた一言をいえる男がモテるんだろうけど生憎と俺にはそんな語彙はない。それにこういう時はそっとしておくのが一番だ。
俺は静かにその場を離れると、"龍寓宮"を探索することにした。
「うわあ!綺麗だ」
自然と人工物の調和とはこういうことを言うんだと感心させる素晴らしい景観だ。時折、膜の外を悠然と泳ぐ水棲迷宮生物が見えるのも堪らない。
喰うものと喰われるもの、大自然の営みが間近で起きている傍らで、遥かな昔に造られた街並みを散策する。通常では考えられない組み合わせの行動に、少しだけワクワクしたのは秘密だ。
「…どことなく和を感じる風貌なんだよな。どうしてだろ?引っ掻き傷がつけれないくらい硬いのに…肌触りは柔らかい。それにひんやりしてるし材質は何なんだ?」
建物に触れながら疑問を零す。本当に未知なのだ。材質一つをとっても迷宮遺跡は何から何まですべてが謎に満ちている。おまけに、ありとあらゆる年代測定を使っても須らく測定不能だったという話だ。
素晴らしい。未知を既知とする〈冒険者〉。〈冒険者〉が挑むは、神秘が渦巻く最後の秘境。
これぞまさしく冒険だ。俺は確かに、今こうして迷宮遺跡の神秘に触れている。
他にもっと未知なるナニかがないか周囲を見渡すと―。
「え?…魚?」
魚が宙を泳いでいた。
「は?え?ここ空気中じゃないの?もしかして水の中?」
空気中を魚が泳ぐという異常事態にパニックになる俺。
泳いでるのはたかが一匹二匹じゃない。魚系の迷宮生物が群れを成して泳ぎながら俺の眼前を通り過ぎているのだ。誰が見てもパニックになるだろう。なる筈だ。
「"龍寓宮"名物『空飛ぶ魚』だ。すげえ光景だろ?」
「―ッ!」
背後からいきなり声を掛けられ咄嗟に離れる俺。くそ、全く気付かなかった。
「そうおっかねえ顔すんなや。別に取って食ったりはしねえよ。たまたま後輩を見かけたから先輩ちょいと風吹かせてみたかっただけだい」
ものすごく立派なちょび髭に、膨大な量の顎鬚が絡まり顔中が毛むくじゃらなおっさんが立っていた。只者ではないことは立っているその風格で分かる。
一目で迷宮遺物だとわかる胸装甲と、戦鎚と銃が一体になった〈戦銃鎚〉で武装していて、首元には〈冒険者〉であることを示す金色の免許証がぶら下がっていた。
つまり、この眼前の男性は―。
「おっと自己紹介がまだだったな。オイラは井上 檀五郎、A級だぜ。〈鮮血の銃皇卿〉と〈冒険者〉はオイラを呼ぶがな」
「〈鮮血の銃皇卿〉…貴方が」
冴子さんには悪いが、〈鮮血の銃皇卿〉は〈先導する黒鬼卿〉の次に俺の憧れの〈冒険者〉だ。他の"生ける伝説"たちが神話級の迷宮遺物を幾つか武器として携える中、この眼前の男は〈戦銃鎚〉一本と己が武技のみで幾重もの困難を切り拓いてきた伝説なのだ。
銃撃と操鎚術を組み合わせた、銃撃操鎚格闘術が有名で、その戦法を以て数多の血を得物に吸わせてきたが故に〈鮮血の銃皇卿〉という二つ名が贈られたらしい。
打ち立てた数々の功績はどれも素晴らしく、盗掘しに来た他国の冒険隊を返り討ちにしたこと数知れず。
単独での深層到達記録は未だに破られることなく健全で、先導する黒鬼卿〉に勝るとも劣らない、"生ける伝説"そのものである。
「…?名乗りってのは互いにし合うもんじゃあねえのかい。お前さんも名乗れい」
「あ、す、すみません。まさかこんな浅層で貴方の様な御仁に会えるとは思わずに…つい。俺は、五百雀 尊です。〈冒険者〉になりたてのヒヨッコです!」
慌てて俺は頭を下げた。憧れの〈冒険者〉に会えた衝撃でうっかりしてた。
「ほう。お前さんが噂の〈超新星〉か。【ギルド】の高速電報で見たぞ」
「そうなんですか?」
「おうよ。有望な新人なんだってな。やたら評価が高かったぜ。オイラも期待しちょるぞ」
檀五郎さんはにかっと笑うと俺の頭に手を置いてぐしゃぐしゃと撫でつけた。やべえ、頭しばらく洗えないよ。それに期待してるだって、えへへ。
「D級でここまで来るヤツはそうそう居やがらねえ。骨があるじゃねえか。…おう?そいうや連れはどうしたってんだ?もう一人いると聞いちょったんだがな」
「…ちょっとあってそっとしてます。あははは、は」
冴子さんがむくれモードであることを思い出した乾いた笑いを浮かべるしかない。檀五郎さんは首を傾げ不思議そうにしているがこればっかりは部外者には教えられない。じゃないと俺が怒られる。
「よくわかんねえが、お前さんらの事情かい?なら触れねえおくか。なあ、オイラとここを見て回らねえか。お前さん、暇だろい?」
「いいんですか!?」
A級のお誘いに興奮して声が裏返ってしまうが、そんなのは関係ない。
「おうよ!オイラもちいとばかし暇してたんだ。ここのことを教えてやろう。ここはオイラの庭って言っても過言じゃねかんなぁ。詳しいぞ。そんで、先輩としてアドバイスもくれてやろう!」
「よろしくお願いします!師匠!」
「―ッ!がはははは!オイラが師匠か!ならお前さんはオイラの舎弟だな!こいつぁ愉快愉快、まっこと面白いじゃねえか。がはははは!」
やっぱり檀五郎さんはノリがいい。
テンションが爆上がりになった野郎二人は謎のテンションのまま散策することになった!!!
※興奮するおっさんと男子高生の絵面は想像するだけで汚いので一部ダイジェストで振り返ります
「マジすか!?それ!」
「ああ。山くらいはあるでっけえ迷宮生物がいてよ。くそ熱い体温で溶かした鉱石を飛ばしてくんだよ。あれはさながら動く火山だったぜえ。どえらく硬くてよ、銃弾を弾きやがんだ。 本当はぶっ倒してやりたかったが、他の迷宮生物がわらわら集まってきて仕方なく諦めたって訳だ。まさしく王者の貫禄、深部を護るに相応しい階層守護者だった。出鱈目もいい加減にしやがれってんだ」
「深層にはそんな怪物までいるんだ。すげえ」
「ああ。真っ暗闇だってのに赤い蒸気を身体中から噴き出しながら進むんだ!すっげえぞ。おかげで、そいつの周りだけくッそ明るいんだからなあ。だが、そんな恐ろしい化け物もリュウグウジョウからしたらまだまだなんだぜ?深部にはもっと強かで理不尽を体現した様な怪物たちがわんさか居やがるんだ」
「ふおおおおおお!」
「ああ、あと。この話はどうだ。あれは、確かオイラがまだB級だった頃だった気がするんだが。初めて第七層に潜った時に不思議な声を聞いたんだぜ」
「不思議な声!?」
「ああ。優しくて懐かしい…まるで死んだ母ちゃんみてえな声だった。何言ってんだか、全然分かんなかったけどよお。とても温かかった。しかもおもしれえことにその声を聞いたのはオイラだけじゃねええんだ」
「というと?」
「今いるA級漏れなく全員が聞いてんだよ!しかも日本だけじゃねえ。世界中のA級が皆そうだ。不思議だろう?オイラは迷宮遺跡の声だと考えちょるが、まぁてんで正体は分からん。けど、すっげえだろ?迷宮遺跡は想像もつかねえ神秘に満ち溢れちょる。人類のちっぽけなお頭じゃ、神秘の一割も解き明かせねえ。燃えるよな?」
「めちゃくちゃ燃えます!!」
「がはははは!そうだろそうだろ!やっぱりお前さんはオイラたちに近けえなあ。ますます気にいったぜい」
”生ける伝説”が語る文字通り正真正銘の【英雄譚】に俺の興奮は留まることを知らずに高まり続けた。
檀五郎さんは嘘を交えることなく、深部に潜む神秘を教えてくれた。
機密に関することは隠しただろうが、出し惜しみなく語ってくれたそれは俺の冒険魂を熱く燻った。
畜生、早く深部に行けるようになりたいな。
「深部ってすごい場所なんですね。まったく想像がつかないです」
「ああ、深部は迷宮遺跡の深奥、迷宮遺跡が抱える神秘そのものだかんな。神秘の深淵が最も深い、答えに近い。当然、危険度も桁違いだが冒険も桁違いだぜ。なんせ〈冒険者〉が抱く、憧れの最前線だからな」
まだ見ぬ深部への羨望の言葉に、檀五郎さんは感慨深げに溜息をつきながら何処か遠くを見つめていた。その目は神秘を追い求める、憧れに満ちた〈冒険者〉の瞳そのものだったが、俺には何故か決して叶うことのない憧れを欲する悲しげな眼にも見えた。
最初から疑問だたったのだ。
何故、〈鮮血の銃皇卿〉の様な一騎当千という言葉が似合う傑物が、たかだか四層如きに長居しているのか。
もしや、この英雄は―。
「4年前、…あぁ地上時間で10年前にヘマして足を駄目にしちまってな。これを見てくれ」
ひょっとすると顔に出ていたのか、俺の疑問に答える様に檀五郎さんはズボンの袖を捲って右足を露出させた。
「―ッ!」
鍛え上げられた強靭な太ももに脹脛、筋肉の造形美はまるで彫刻の如しだが…それよりも目を引くのは。
黄金に侵食された見た目だった。膝のあたりまで黄金化している。脛毛の一本一本に至るまで全部だ。
「最深部、かつての未到達階層だった第九層に単独で潜ったんだがな。迷宮生物に襲われてあっけなくこの様だ。外側だけでなく骨と神経まで黄金化しちょる。治療しようにも治療法がわからんから、このままだ」
〈鮮血の銃皇卿〉と謂われた英雄が、この様になるとは…一体第九層にはどんな怪物が居座っていると言うのか。
「調子に乗り過ぎてたんだなぁ。オイラの力を過信しぎて敢え無く返り討ちにされちまった。オイラなら単独でどこまでも行けるって慢心を迷宮遺跡はこっぴどく圧し折ったっつう訳だ。慢心がわかっただけ儲けもんだが、授業料にどえらいもんを支払っちまったよい。深部に潜ることが二度と出来ねえ脚になっちまいやがった。…そんでここの管理を引き受けちょる。迷宮遺跡から離れられなくてなあ」
「なんで単独に拘り続けたのは聞かんでくれよな。オイラの黒歴史ってやつだ。お前さんにも聞かれたくねえことの一つや二つはあんだろう?」
重苦しくなった空気を払拭するように檀五郎さんは後頭部を掻いた。
「わかりますその気持ち!俺も人には言えないような黒歴史がありますから」
俺も重苦しい空気を変える為に軽口を交える。
「がはははは!そうかそうか。やっぱ男にはあるもんだなぁ。にしても悪いな。年取るとすぐに湿っぽくなっから、年は取りたくねえもんだなあ」
「いえいえ!第九層の脅威が存分にわかりましたから。ありがとうございます」
未だ想像すらできない、迷宮遺跡の深奥たる深部。そこには、第三層の嵐とは比べ物にならない程の危険が渦巻くというが、一体どのような魔境が広がっているのだろう。
そこにはどれ程の神秘と、どれ程の危険が渦巻きているのか。きっとそこまでの道のりには、想像を絶する神秘に、迷宮遺跡の猛威がある筈だ。
それを乗り越えた一部の者だけが到達できる、深淵の世界。
そこでは”生ける伝説”をも食い物にする危険が潜んでいるという。
なんとも俺好みで、燃えるような状況だろうか。必ず挑んでやる!
高速電報
迷宮遺跡内での情報伝達手段の一つ。迷宮遺跡内では特殊な力場の影響か、一切の無線機器が使えないので、USBやケーブル等、物理的手段を介して情報を伝達する必要がある。そこで、厳重なケースにUSBを入れ人力で各所に運ぶ必要がありそのシステムのことを【高速電報】と呼んでいる。
実際には、迷宮遺跡の広大さと時差もあり結構なタイムラグがあるが、より深い層に潜る〈冒険者〉、あるいは常に情報を更新しなけらばならない【ギルド】にとっては絶対になくてはならない生命線である。




