5 アリシアの加護
アリシアの生まれた年、その年は近年稀にみる豊作の年だった。
ニーダム領は数十年に一度、ひどい虫害による大規模な農被害が起こる土地だった。
前々からこの年は虫害が予測されており、領では飢饉になったときに民へ放出する食料を数年かけて備蓄していた。
しかし蓋を開けてみると素晴らしい天候に恵まれ、ここ10数年ほどの中で一番作物の収穫量が多く、その品質も素晴らしいものだったのだ。
さらにこの年は、流行り病の発生もなく、病や産褥などによる老衰以外の民の死亡率がなぜだか極めて低かった。
ニーダム領の民はこの年のことを「奇跡の年」と呼んだ。
それから現在に至るまで冷害や水害などのひどい自然災害が起こることもなく、毎年の作物の安定した生産と相まって民の生活も安定していった。
食料事情の安定は幼児などの死亡率を下げる結果につながり、それが労働力の確保と生産力の向上をもたらした。
いいこと尽くめというやつである。
それらの奇跡的な出来事が、すべてアリシアの授かった加護のおかげだとわかったのは、アリシアが8歳の時だった。
この国の貴族の子どもは8歳になると王都の中央教会に洗礼を受けに行くことが決まりとなっている。
洗礼で子どもたちは神託を受け、自分の授かった加護がある場合それを知ることができるのだが、9割方は何も授からないか微弱な土地の精霊の加護だ。
残り1割の比較的強い精霊などからの加護を授かったとわかった者は、国に報告され、男ならば将来王の側近となったりと出世の道が開かれる。
チャールズは、見ての通り、何かあるはずもない。
アリシアが洗礼を受けたこの日も、参列者10名のうち9名は何も授かっていなかった。
最後、アリシアが洗礼を受けるため神像の前に立ち、神託の水晶に触れたとき、目の眩むようなまばゆい光とともに神託が下った。
ー豊穣と癒しの女神の加護ー
それがアリシアの授かった加護だった。
精霊を飛び越えて女神から加護を授かったという出来事に教会は騒然となった。
参列した貴族の子どもたちは嫉妬と羨望の眼差しを、その両親たちは獲物を見つけたハイエナのような眼差しをアリシアに向けた。
その日から、他領の貴族たちのアリシア争奪合戦が始まった。
そして、1年に渡る熾烈な争奪戦、それを勝ち抜いたのがピカリング家だった。