おれが見えないのか
李香子 「あんた…、あたしに優越感を持ちたいだけなんじゃないの?」
三男 「これは取引なんだよ」
李香子 「意味わかんない」
三男 「蝶野さんが救われる。ぼくは優越感を持てる」
李香子 「あたしが救われなかったら?」
三男 「ぼくは優越感を持てない」
李香子 「どうだか」
三男 「なら賭けをしよう」
李香子 「言い方かえただけじゃん!」
三男 「蝶野さんが救われたらそのアメを一つもらう。救われなかったら…」
李香子 「あたしに告白しろ! こっぴどくフッてあげるから!」
三男 「いいよ、それでも」
間。
李香子 「あたしの家は代々軍人なんだ。人殺しの家系なんだよ」
三男 「ぼくらのじいさんばあさんより上の世代は、どんな形であれ戦争に協力してるよ」
李香子 「それだけじゃないんだ!」
李香子、立ち上がる。
李香子 「あたしのお母さんのダンナは船乗りだ」
三男 「お父さんのことだよね…」
李香子 「そうは呼んでない。あの人は海上自衛隊員だったから、もともとほとんど家に帰ってこなかった。そのことが寂しいわけじゃない。だけど三年前の三月に…」
李香子、立ち上がる。
ステージの明かりが消えて李香子と三男にスポットライト。同時に下手にスポットが点く。下手のスポットの下にベッド。ベッドの中に李香子の母親。ぼうっと前を見ている。
李香子 「あんた、白血病って知ってる? そう、血液のガンって呼ばれている怖い病気。女房がそうなってあの人は、せめてお母さんが寂しくないようにって除隊したんだ。…それで色んな治療をしたけど、とうとう無理だって時期がきた。あたしは、覚悟なんかできなかったけど、あの人がいるから大丈夫だと思った。…そう思いたかった。そんな時…、予備自衛官の招集があった!」
三男 「まさか…」
李香子 「三年前の三月に何があったか、知らないわけじゃないでしょう?」
下手に向かって歩きながら言う。スポットは李香子を追いかける。(三男に明かりは当たらない。客席から見えるのはシルエットのみ)
李香子 「あの人は、その場で宣誓して飛び出して行った! お母さんは、笑って見送った。『あなたが帰ってくるまで絶対に生きている』って…。だけど次の日…」
李香子、下手のスポットの下に入る。ベッドの下手の椅子に腰かける。李香子の母親、李香子に話しかける。
母 「お父さんは?」
李香子 「お父さんはいま、宮城県沖に…」
母 「(客席に向かって)
「なんでいないのよ…。
なんでいないのよう!
顔を見せてよ。
声を聞かせてよ。
名前を呼んでよ。
さわってよ。
手を握ってよ。
髪をなでてよう。
キスしてよう。
抱きしめてよう!
抱きしめてよう!
抱きしめてよう!
抱きしめてよう!
もう会えないかもしれないんだよ。
なんであんたがここにいないのよう!」
母、立ち上がって「Lost my music」をアカペラでさびしげに歌う。
「眠りのふちで~ 幻を感じたいMorning」まで
下手のスポットが消える。上手のスポットがつく。三男の隣に李香子が座っている。
李香子 「それから三日経ってお母さんは逝った。あの人は帰ってこなかった。中学生のあたしが喪主でお葬式をした。あの人は帰ってこなかった。あの人が宮城県で何をしていたかは知らない。お母さんとあたしがいちばんそばにいてほしかった時、あの人は帰ってこなかった」
間。
李香子 「…あんたも、ちがやみたいに『悲劇のヒロインになるな』とか言うつもり? 『おまえよりつらい目に合っている人がいくらでもいるんだ』とか。悪いけどそんなものじゃ、あたしは救われな…」
三男 「『もっとつらい人がいる』ことがわかったとしても、蝶野さんの苦しみが少しでも減るわけじゃない。例えばの話だが、イジメや虐待に苦しんでいる子供に、『おまえは食べられるだけ幸せだ』とか言ってなんになる。だいたい、『自分より不幸な人がいる』から救われるっていうのは異常だろう」
李香子 「(話を途中で遮られてむっとする)…テレビでは、自衛隊を『最後の砦』とかもてはやしていた。チャンチャラおかしかった。女房も娘も守れない男に、ほかの何かを守れるか! そんな時に暁先生に言われた」
三男と李香子にスポットライト。下手にスポットライト。下手のスポットの中に角夫が立っている。
角夫 「いま、自衛隊がマスコミで持ち上げられている。だけど自衛隊は非武装の救助隊じゃない。自衛隊に入ることは人殺しを学ぶことだ。おまえの先祖はみんな人殺しだ。おまえの持ち物も、今着ているものも、おまえの体さえも、全て罪でできている。多くの血と犠牲によって作られている。おまえが父親に反発するのは当たり前のことだ。そうでなかったら、おまえは祖父や曾祖父と同じになってしまうだろう…」
スポットライトが消える。角夫退場。ステージに明かりが点く。
三男、机をバンと叩く。李香子、動じない。立ち上がって下手に向かおうとする。
李香子 「どこに行くの?」
三男 「校長室だ!」
李香子 「いきなり生徒が行って会ってくれるわけがないでしょ!」
三男 「この件は別だ! 生徒の家族をそんな風に言うなんて、正気かあいつは!」
李香子 「私はあれほど一生懸命な先生に会ったことはない! 暁先生はね、卒業式で国歌斉唱のとき、ひとりだけ座っているほど勇気がある人なんだよ」
三男、李香子の方にふり返る。
三男 「そんなのは奴の趣味だ。だけどこれは、はっきりした職業差別だ!」
李香子 「ひとを差別なんかしてないよ! 先生は自分のことを、『日本人に生まれたことが恥ずかしい』って言ってた!」
三男 「なんてえ『尊大な羞恥心』だ!」
李香子 「李徴のとは違う! 暁先生はね、あたしがいちばん苦しい時に『がんばれ』だの、『自分を変えろ』だの言わずに、『そのままでいい』って言ってくれたんだ!」
三男 「奴は自分を、『日本の罪を自覚しているインテリ』ってことにして、『まだ罪を自覚してない非インテリ』を啓蒙してるんだよ。『啓蒙』って意味わかるか? 『バカに教えてやる』ってことだ! そうやってカッコつけてるんだよ。これも自意識過剰なんだ! 表向き平等主義者だから、一流大学を出ているだけじゃ威張れないからな!」
李香子 「男の嫉妬ってみっともないね」
三男 「女と違ってな」
間。
三男 「世界は侵略でできている。今生き残っている民族は、多かれ少なかれ他者を踏みつけにしている。侵略を一切否定してしまえば、アメリカなど存在そのものが…」
李香子 「あんた幼稚園児? 先生に『ボクだけじゃないのに…』とか言ってるのと同じだよ。他人が罪を免れていたとしても、自分の罪は認めるべきでしょ!」
三男 「李香子、おまえにはその資格がねえ」
李香子 「ドサクサにまぎれて下の名前で呼ぶな!」
三男 「その必要があるんだ。利香子、おまえには罪を認める資格がない」
李香子 「しかも呼び捨てで、『おまえ』って…」
三男 「おまえが十七年間生きてきた中でやったことなら、自分の罪として認めることができるだろう。だけど同じ民族だろうが直接の祖先だろうが、全体の中から特定の他人を抜き出して断罪するとか、筋合いからしておかしい」
間。
三男 「『山月記』の李徴は、作者の分身だ。李徴は中島敦の『臆病な自尊心』でできている。ならば作者の『罪』でできた登場人物がいたっていい。だけどこれは、『初音ミク』みたいなもんだ」
李香子 「誰それ? あんたの彼女?」
三男 「おれは彼女もちじゃねえよ」
李香子 「言わなくてもわかるよ、そんなこと」
間。
李香子 「…それで、初音ミクって誰?」
三男 「自分で作った音楽トラックに合成音声のヴォーカルを乗せられる音楽ソフトだ」
李香子 「は? ソフト?」
三男 「そうだ。それをアニメキャラが歌う。もちろんアフレコだ。だけど彼女が歌っているように見えれば、彼女が歌っているのと同じだ。『初音ミク』のコンサートなんてものさえある」
李香子 「二次コン…」
三男 「相羽くんやあっちゃんだってぺったんこじゃねえか。おれたちの前に、液晶から出てくることはねえよ」
李香子 「あんた今、相当数を敵にしたよ」
三男 「しかし間違えちゃいけないのは、『初音ミク』がバーチャルリアリティーだってことだ。現実に生きている人間じゃない。ウツシタユメオがおまえの分身だってことははっきりとわかる。それでもキャラクターにすぎない」
間。
李香子 「要するに生き生きとしてない、リアリティーが無いっていいたいんだ。台本として致命的だね。まだるっこしい言い方をせずに、上演できるレベルじゃないって言えばいいじゃん!」
三男 「そういう言い方をするのが自意識過剰なんだ。李徴もハムレットも光源氏でさえも、作者の頭の中で創られたキャラクターでしかない!」
間。
三男 「だけどおまえは違う…。おまえは万年筆のインクからでも、パソコンのキーボードから生まれたわけでもない…」
李香子、三男から顔をそむけて言う。
李香子 「何が言いたいの!」
三男 「おまえは自分が罪でできていると言ったな。ふざけるんじゃねえ…、そんなものに人間がつくれるか! おれもおまえも、おまえの父親もじいさんも、ひいじいさんもみんな同じだ…」
三男、李香子に顔をぐっと近づける。
三男 「すべての人間は、恋によってつくられている」
間。
三男、体を乗り出して袋からアメを一個ひっぱりだす。李香子、三男をにらんでいるがその手を叩こうとはせず、何も言おうともしない。
三男 「それほど恋したからおまえは生まれた…。それほど恋されたからおまえが生まれた…」
三男、カバンを取って下手に向かって歩く。
李香子 「あたしを生んでくれた人はもういない…。(歌うようにつぶやく)大好きな人が遠い。遠すぎて悲しくなる…」
三男、立ち止まって振り返り、李香子を見る。
三男 「(歌うように、笑った声で言う)おれが見えないのか? すぐそばにいるのに…」
三男、アメを口の中に放り込む。下手に退場。
間。
李香子、立ち上がり走って舞台中央まで行き、思い切りあかんべえをする。
李香子 「ベーッ! カッコつけてるんじゃないよ! そんなこと信じてないくせに!」
間。
李香子 「だけどまあ…、ありがと」
李香子、客席に向き直る。
李香子「ムーンライト伝説」
「たまには二人でウィークエンド~生き方が好きよ」まで歌う。
李香子、歌い終わったあとアドリブのように言う。
李香子 「なんだかいいことがありそうな気がする…。(三男の声色を真似て)『蓬野さん、天野さん、ちょっと来て。そうだ、李香子!』(めんどくさそうに)『なに?』『おまえもいっしょに来い』『ふん、わかったよ』。なんてね。むふふふふ(下手を向いている)」
緞帳が下り始める。
上手からプロデューサー、髪を振り乱し、ナイフを構えたまま走ってくる。
李香子の背中に体ごとぶつかる。効果音。
緞帳が止まる。
李香子、呆然としたように口を開ける。下手を向いたまま。
李香子 「だ、だれ…」
プロデューサー「名前なんか無い」
李香子 「あ、あんた…、ここにいるはずが…」
プロデューサー、えぐるように、ナイフを回転させながら引き抜く。効果音。李香子、倒れる。
プロデューサー、李香子を組み敷くと、両手で持ったナイフを頭の上まで上げ、何回も振り下ろす。効果音。
プロデューサー「愛するつもりがないんだったら、つくるなぁぁぁぁぁっ!」
李香子 「いたい…。死ぬのはいやぁぁっ! ママ…、パパ…」
緞帳が下りる。
閉幕。