ハッピーエンドは大嫌い
【6場】 ステージ。
姫子とスパイダーがマイクを持ち、ステージ中を走りながら歌う。
ユメオがそのまわりをチョロチョロしている。
姫子、スパイダー 「紅」
「嵐吹くこの街がお前を抱く~Oh, crying in deep red」まで。
曲が終わると同時に、スパイダーが胸を押さえてうずくまる。
プロデューサー、下手から登場。アキラ、シゲト、上手から登場。
プロデューサー「どうしたんだ!」
スパイダー、苦しげにうずくまっているだけで何も言わない。
アキラ 「大丈夫ですか?」
シゲト 「大丈夫…」
プロデューサー「大丈夫なわけないだろ! おまえら、そんなことしか言えないのか? これだから最近の若い男は…。あたしが若いころはそんな下らないことを言ったりしなかった! 何も言わずに行動した!」
シゲト 「でも、何をしたら…」
プロデューサー「そんなことも教えてもらえなきゃわからないのか! あたしは番組をプロデュースするのが仕事で、バカな社員の教育係じゃないんだぞ! そんなこと自分で考えろ!」
シゲト 「はぁ…」
プロデューサー「そう言って何もしないでいれば何をしたらいいか教えてもらえるとでも思ってるのか! それとも時間を稼いでいるのか!」
シゲト 「すいません…」
プロデューサー「おまえの『すいません』は聞き飽きた! 全く、いつまで経っても成長しない。役に立たない奴だ! ユメオのことを役立たずだとか陰で言っているそうだが、ユメオの方がおまえなんかよりはるかに役に立つ! ユメオ…、介抱してやれ!」
ユメオ 「は? ボクがですか?」
プロデューサー「おまえ、いつわたしに逆らえるようになった! さっさとやれ!」
ユメオ 「でも、どうしたら…」
プロデューサー「自分で考えろ!」
ユメオ 「はあ…」
ユメオ、うずくまっているスパイダーのそばにしゃがむ。
ユメオ 「あの…」
スパイダー、いきなり立ち上がる。
スパイダー「おい、どこにさわってるんだ!」
ユメオ 「ええっ…」
ユメオ、尻餅をつく。
ユメオ 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」
ユメオ、尻餅をついたまま後ずさる。スパイダー、ユメオの胸倉をつかんで引き起こす。
ユメオ 「どこにもさわってません…」
スパイダー「おまえいま、謝ったじゃねえか!」
シゲト 「ちょっと、スパイダーさん…。ユメオは、そんなつもりじゃ…」
プロデューサー「私に介抱しろって言われたのをいいことに、ドサクサにまぎれて女の体に触ろうなんていう奴は、社会的に葬られて当然だ。もうおまえの所に仕事は二度と来ないだろう。サラリーマンだって同じだ。解雇されて当たり前だ。社会だってだまっちゃいない。二度と普通の生活を送ることはできないだろう…」
アキラとシゲト、顔を見合わせる。
スパイダー「女だと思ってナメるなぁっ!」
ユメオ 「あなたが女だとは思ってません…」
上手側で姫子、アメリカ人のように肩をすくませ、両手を広げる(ユメオからは見えない)。そんな姫子の様子をスパイダーが見ている。スパイダー、襟から手を離すと、両手でユメオを平手打ちにする。ユメオ、往復ビンタを受けながら上手に下がる。スパイダー、上手にぐいぐい進む。ユメオとスパイダー、姫子の客席側を通って舞台中央で止まる。姫子、さらに上手に進んでユメオとスパイダーを見物する。舞台中央でスパイダー、ユメオの頸をしめる。
シゲト 「アニキ…、まずいんじゃないのか?」
アキラ 「技をかけてるだけだろ…」
シゲト 「顎じゃなくて頸にかかってるぞ…。クビしめてるだけにしか見えない…」
スパイダー、ユメオの頸をしめつづける。ユメオ、つま先立ちでもがく。姫子、口笛を吹く。
姫子 「死ね♪ セクハラオヤジ」
ユメオ、苦し紛れに左手をポケットに入れる。ポケットからナイフを取り出す。カバーが床に落ちる。苦しさのあまり抜き身のナイフをスパイダーの腹にぶつける。ドスッという効果音。スパイダー、憤怒の形相。両脇を開き、肘を曲げて頸をしめる。ユメオ、もう一度ナイフをスパイダーの腹にぶつける。効果音。スパイダー、大きく口を開く。しかし手を離そうとはしない。
ユメオ 「(恐怖のため悲鳴を上げる)うわぁぁぁぁぁぁぁっ…」
ユメオ、ナイフを右手に持ち替えてしっかりとスパイダーの腹に突き刺す。効果音。スパイダー、一度手を離す。両手を上げてユメオにつかみかかろうとする。ユメオ、ナイフを腰だめにして何回もスパイダーの腹に突き刺す。効果音。スパイダー、うつ伏せに倒れる。シゲト、アキラ、姫子、硬直したまま。
プロデューサー「(シゲトとアキラに)何してるんだ! 早くなんとか…」
シゲト、我に返ってスパイダーのもとにかけよろうとする。アキラに後ろから肩をつかまれる。
アキラ 「待て! セクハラになるおそれが…」
シゲト 「いま、プロデューサーの指示があったんだぞ!」
アキラ 「ユメオも指示されていた…」
スパイダー、うつ伏せのまま上手に向かって這う。アキラとシゲト、あわててとびのく。這っているスパイダーから逃げまわる。シゲト、距離を保ちながらこわごわと言う。
シゲト 「大丈夫ですか?」
プロデューサー「大丈夫なわけないだろ! 医務室に運べ!」
アキラ 「ドッキリ企画っていう可能性も…」
シゲト 「あんなに血が出てるんだぞ!」
アキラ 「血糊かもしれない…」
シゲト 「この生臭さは、血のにおいとしか…」
アキラ 「プロレスラーが芸人なんかにやられるはずがない…」
シゲト 「それにあの、ピンク色のブヨブヨしたホースみたいなの、小腸なんじゃ…」
姫子、いきなり倒れる。アキラとシゲト、あわてて左右にとびのく。姫子、床に叩き付けられる。効果音。
プロデューサー「アキラ、スパイダーを、シゲト、姫子を医務室に…」
シゲト 「(アキラに)どうする…」
アキラ 「いや、直接さわるのはまずい。クビにされるかもしれない! ユメオにやらせよう…。ユメオ!」
ユメオ、うつろな目でナイフを持ったまま、ゆっくりと上手にふりかえる。
アキラ 「いえ、何でもないです! お願いですからこっちを向かないで下さい…」
ステージの明かりが消える。ユメオにスポットライト。
ユメオ 「(呪うかのようにゆっくりと歌う)くーれないーにそまあった…、このおーれぇをー……。なぐさめる…、やあつは……、もおおいないー」
ステージに明かりがつく。全員硬直している。
シゲト 「そうだ! 通報すればいいんじゃ…」
プロデューサー「やめろ!」
シゲト 「え?」
プロデューサー「内々で処理する! 医務室に運べ!」
シゲト 「都鳥さんはともかく、スパイダーさんは医務室でどうにかできるレベルじゃ…」
プロデューサー「わたしが責任を取る!」
シゲト 「(アキラを見て)プロデューサーの責任だって言うし、とりあえず、様子を見ようか…」
アキラ 「いや、ここは考えなくちゃならない。もしスパイダーが死んだら、プロデューサーはクビだ。責任を取るも何もない。おれたちが通報しなかったことを『上司に言われたようにしただけだ』なんて言っても、世間は納得しないだろう。まともに社会生活が送れなくなる。社内の理屈なんか通用しない段階にきているのかもしれない…」
シゲト 「ならすぐ通報を…」
アキラ 「しかしまだ、ドッキリの可能性もなくはない。なら通報なんかしたら、番組が台無しになる。つまりは、どれだけプロデューサーを信頼すべきかっていうことなんだが…」
プロデューサー「そうだ! ドッキリなんだ、ドッキリ! だから通報なんかするな!」
アキラとシゲトの足元で、スパイダーが苦しげに這っている。
スパイダー「た、助けて…」
シゲト 「だけどこの様子は、とてもそうは見えないよ…」
アキラ 「だいたいあのナイフは本物なのか?」
シゲト 「本物だよ、おれがユメオのジャケットに入れておいたんだ。プロデューサーの指示で…」
プロデューサー「ウソをつくな! わたしはそんなこと一言も言ってない!」
アキラとシゲト、顔を見合わせる。同時にポケットからスマフォを取り出す。同時に操作して耳に当てる。
アキラ 「もしもし、警察ですか!」
シゲト 「もしもし、救急ですか!」
プロデューサー「やめろぉっ! ばかぁぁぁっ!」
ステージのライトが消える。サイレンの音。以下の様子は、光が当たっていないため、客席から見えるのはシルエットのみ。下手から警官数人と救急隊員が登場。救急隊員、スパイダーと姫子の体を下手に運んでいく。退場。同時に警官の一人、ユメオからナイフを受け取り、連行する。下手に退場。警官たち、プロデューサー、アキラ、シゲトを連れて下手に退場。警官と救急隊員、下手から机椅子とホワイトボードを持って登場。もとの位置において下手に退場。上手から机を持って三男と李香子、登場。もとの位置に机を置いて座る。
【7場】 教室
ステージ全体の明かりはついていない。李香子と三男、にスポットライト。下手にもう一つスポットライトの明かり。5場と同じ場所に座っている。三男がA4用紙を持って読み上げる。
三男 「ウツシタユメオ…」
下手からユメオ、行進のように大きく手を振って歩いてくる。囚人服(作業服のようなもの)、素足にサンダル。スポットの下で止まり、きをつけの姿勢をとる。
三男 「殺人未遂罪で懲役三年の判決が下される。現在、模範囚として服役中」
三男、行進のように歩き、下手に退場。スポットが消える。
三男 「プロデューサーA」
スポットが点く。その下にプロデューサー。
三男 「業務上過失傷害の疑いで取り調べを受けるものの、立件が困難と見られ不起訴処分。ただし会社の信用を失墜させたとされ、懲戒解雇。現在消息不明」
スポットが消える。
三男 「スパイダーこと、本名八橋蜘蛛手」
スポットが点く。その下にスパイダー。
三男 「すぐに病院に運ばれ、手術を受けたため命はとりとめたものの、プロレスラーとしては引退。バラエティーにいじられキャラとして出演。糊口をしのぐも、彼女が所属していた団体『TNR』が不渡りを出して倒産。ここに日本最後の女子プロ団体が業界から消えた」
スポットが消える。
三男 「都鳥姫子」
スポットが点く。その下に姫子。
三男 「事件以来持ち前の明るさと、いい意味での強引さがすっかり消え、影の薄い存在になっている。芸能界において居場所がなくなりつつある」
スポットが消える。
三男 「楓兄弟」
スポットが点く。その下にアキラ、シゲト。
三男 「『プロデューサーの絶対的な命令に反して通報し、スパイダーの命を助けた』として一時もてはやされたものの、『セクハラを恐れて怪我人から逃げ回っていた』『ユメオのジャケットの中のナイフはシゲトが入れていた』などが暴露され、急激にバッシングを受けるようになる。また社内では、常に『裏切り者』として扱われ、アキラは耐えきれずに退職。シゲトは職場から兄を失い、味方がひとりもいない状況に長期間に置かれたことにより、鬱病を発症。現在休職中」
スポットが消える。ステージ全体に明かりがつく。
三男 「なんていうか…、誰も幸せにならないな」
三男、アメの袋に手を伸ばす。李香子、三男の手をぴしゃりと叩く。
李香子 「(憎々しげに)あたしはね…、ハッピーエンドが大嫌いなんだ!」
三男 「まあ、世の中には鬱ゲーなんてものがあるから…」
李香子 「何? 気をめいらせるような出し物?」
三男 「バッドテイストと後味の悪さを楽しむゲームだよ。そういうものもあるから別にこれはこれでいいと思うよ」
李香子 「何かはっきりしないね…。観客を制限することは確かだし、これじゃ価値がないって思ってるならはっきり言えばいいじゃん!」
三男 「李徴が才能がありながら、詩人になれなかったのはどうしてだと思う?」
李香子 「…自分で答えを出していることを質問するのは失礼だ」
三男 「…失礼。人間だったころの李徴は詩で有名になりたかっただけだ。だからいくら詩を作っても人の心を動かすことはできなかった。彼があの『偶狂疾に因つて殊類と成る』の詩を詠んだあと、初めて語り手は李徴のことを『詩人』と呼んだ。あの即興の詩には、虎になった悲しみ、屈辱、時をもどせない悔しさ、そういった李徴のギリギリの気持ちが詠みこまれている」
三男、A4用紙の束を持ち上げる。李香子、袋からアメを取りだして口に入れる。
三男 「『紅』が返り血のことだと考えれば、『紅に染まった』というのは『罪に染まった』とも解釈できる。つまりこの台本には、蝶野さんのギリギリの気持ちが込められている」
三男、A4用紙の束を机に置く。用紙の束を見る。三男、アメの袋に手をのばして李香子に叩かれる。
三男 「『自分が罪でできている』ってどういうことなの?」
李香子 「何であんたにそんなこと言わなきゃならないわけ?」
三男 「李徴は詩人になれて救われたんだろうか?」
李香子 「そんなわけないでしょ! 虎になった李徴が頭の中でどんなに優れた詩を作ったところで発表しようがないことは自分でも言ってたよ!」
三男 「李徴が救われるためには、人間にもどるほかない…」
李香子 「もどれないから苦しいんでしょ!」
三男 「失礼を承知で聞くけれど、なぜ李徴は人間にもどれないんだろうか?」
李香子 「…へ?」
間。
李香子 「……正直言って、そんなこと考えたこともなかった。そういう言い方をしてるってことは、あんたは答えがわかってるの?」
三男 「自分なりの答えならね」
李香子 「言いなさい!」
三男 「授業でも言ってたけれど、李徴が自意識過剰ぎみだってことはわかるよね」
李香子 「自意識過剰って…、気持ち悪いナルシストってこと?」
三男 「それは一つの例だよ。自意識過剰っていうのは、自分がひとにどう見られているか、気にしすぎる性格のことなんだ。李徴は袁慘に、『おれみたいな奴が、おまえの友達であるわけがない』と繰り返して語っている。つまり、『おまえに言われなくてもそんなことはわかっている』と、格好をつけたいわけだ。李徴は『尊大な羞恥心』『臆病な自尊心』のために虎になったと自己分析しているけれど、虎になった李徴もそれを持ち続けている。人間にもどれるわけがない。…これを持ち続けている限り、詩人になっても李徴は救われない」
三男、アメの袋に手を伸ばす。李香子、三男の手を叩くとアメの袋を三男が座っている反対側に置き換える。
李香子 「お菓子だったら末子からもらえばいいでしょ!」
三男 「たしかにこの台本には、蝶野さんのギリギリの気持ちが込められている。だけどそれで蝶野さんが救われたかどうか。…だから、『罪でできている』ってどういうことなの?」
李香子 「あんた…、あたしに優越感を持ちたいだけなんじゃないの?」
三男 「これは取引なんだよ」
李香子 「意味わかんない」
三男 「蝶野さんが救われる。ぼくは優越感を持てる」
李香子 「あたしが救われなかったら?」
三男 「ぼくは優越感を持てない」
李香子 「どうだか」
三男 「なら賭けをしよう」
李香子 「言い方かえただけじゃん!」
三男 「蝶野さんが救われたらそのアメを一つもらう。救われなかったら…」
李香子 「あたしに告白しろ! こっぴどくフッてあげるから!」
三男 「いいよ、それでも」