李香子の物語
『月光伝』
登場人物
【劇における現実世界】
蝶野李香子 高校二年生 演劇部 女子
遠藤三男 高校二年生 演劇部 男子
蓬野ちがや 高校二年生 女子
天野末子 高校二年生 女子
暁 角夫 担任 国語教師 男性
山木露子 李香子の小学校時代の担任 女性
同級生たち 数人
李香子の母親
中島敦又は李徴 中島敦ならば茶かグレーの背広を着て、髪はぴったりとした七三分け。黒い丸眼鏡(教科書の写真に似せる)。李徴ならば古代中国の官吏の服装。
虎 可能であれば虎の着ぐるみ。不可能なら白地のTシャツに縞。虎らしいメイク。カワイイ感じを出すこと。
【劇中劇の世界】
ウツシタユメオ 芸人 小男
プロデューサー 女性
都鳥姫子 女優
スパイダー 女子プロレスラー 悪役
楓 アキラ 男性スタッフ 兄
楓 シゲト 男性スタッフ 弟
ダンサー 十人程度
警官 数人
救急隊員 数人
一幕
【1場】 ステージ。
ダンサー、姫子、ユメオ板付き。楽しげな音楽がかかる。
全員で踊る。ユメオ、リュックサックに人形が顔を出したものを背負っている。ユメオだけ滑稽な踊り。
リズムに乗って李香子、三男、ちがや、末子、同級生たちが机椅子を運んでくる。担任と同級生のひとりがホワイトボードを移動してくる。上手に運ぶ。机を教室にあるように置く。担任、ホワイトボードの側に立つ。生徒たち、机について座る。ホワイトボードに『山月記』とタイトルが書かれている。
【2場】 教室。
現代文の授業中。ちがや、熱心に授業を受けている。みんな一応マジメに授業を受けている。ただし、三男だけは机の上でA4用紙の束をパラパラめくっている。ちがやの席はいちばん前。
角夫 「この小説でいちばん大事な言葉は『尊大な羞恥心』だ。最初の段落でやったけれど、こいつは自信のバケモノみたいな男だ。だけどそんな奴が、なぜ劣等感なんか持っていたんだろうか」
間。
角夫 「李徴は、本当に自信があったんだろうか」
ちがや 「逆なんじゃないかな…」
角夫 「そうだ、李徴は劣等感があったのに自信のバケモノだったんじゃない。劣等感があったから自信のバケモノになった。ならなきゃならなかったんだ」
ステージが暗くなる。全員ストップモーション。上手から中島敦(又は李徴)、虎、登場。スポットライト。
中島敦 「ナカジマアツシでーす」
虎 「トラでーす」
中島敦 「『三分でわかるさんげつきー』」
虎 「さんげつきー」
中島敦が説明し、虎がスケッチブックをめくる。紙芝居方式。
中島敦 「唐の時代、偉い役人であった袁慘が出張で旅に出ていたところ、人食い虎に出会った」
虎、スケッチブックをめくる。虎が袁慘に跳びかかろうとしている絵。
中島敦 「何とその虎は、袁のかつての友人、李徴であった」
虎、スケッチブックをめくる。官服を着た李徴の絵。
中島敦 「李徴もかつて役人であったが、詩人になって有名になりたいと思い、実家にひきこもってひたすら詩を作ったが、少しも売れない」
虎、スケッチブックをめくる。とじこもって机に向かっている李徴の絵。やせこけている。
中島敦 「ついに生活のために役人の世界にもどったが、かつてバカにしていた同輩に命令されるようになり、どんどんストレスがたまっていった」
虎、スケッチブックをめくる。大変イライラしている李徴の顔のアップの絵。
中島敦 「ストレスが高じてついに発狂。虎になってしまった」
虎、スケッチブックをめくる。虎の顔の絵。
中島敦 「李徴は『自分が虎になったのは、傷つけられることを恐れるがために師に事えることはおろか、友人と詩を見せ合うことすらできなかったせいだ。だから詩人になることができなかったためだ』と言い、『詩のことなんかより家族のことをまず言うべきだった』と自分をおとしめるようなことを言って、最後まで袁慘をいやな気持ちにさせて、姿を消した」
虎、スケッチブックをめくる。袁慘の後頭部と虎の後ろ姿の絵。
中島敦 「おしまい」
虎 「おしまい!」
中島敦と虎、上手に退場。ステージに明かりが点く。担任、生徒動き出す。
角夫 「この李徴の自嘲癖っていうのは、自意識過剰の現れだ。李徴は自分の虎の姿を何度も醜いと言っている」
ちがや 「虎ってカッコイイと思うけど…」
角夫 「李徴は『尊大な羞恥心』のせいで自分が虎になったと言っている。自分の隠しておきたい恥ずかしいものが皮膚の外に、誰にも見えるようになっているような気持ちなんだろう…。いいかな。この『臆病な自尊心と尊大な羞恥心』は確実にテストに出るぞ」
チャイムの音。
角夫 「じゃあ、終わろうか」
ちがや 「起立」
生徒、全員起立。
ちがや 「これで4時限目を終わります。きをつけ! 礼!」
担任、下手に退場。生徒たちは弁当を出す。男子は机をホワイトボードに向けたまま、女子は机どうしをくっつけて食べ始める。李香子だけは机を前に向けたまま食べている。席は後ろの方。
ちがや、ノートに板書を写している。
末子 「(三男に)へえ…。あのさあ、コロッケをおかずにご飯を食べるっておかしいとおもうんだけど…」
三男 「何で?」
末子 「炭水化物をおかずにして炭水化物を食べるって、おかしいでしょ。マヨネーズを目玉焼きにかけるのと同じだよ」
三男 「卵に卵をかけてるってこと? そうすると、カレーライスのジャガイモはライスの代わりになるってこと?」
末子 「そうだよ」
三男 「カレーは飲み物だっていう人がいるけど、カレーを食べる時に水の代わりに、コップにルーが入っていてもいいの?」
末子 「よくないでしょ…」
三男 「両方大豆だけど、冷や奴にしゅうゆをかける人はいっぱいいるよ」
末子 「うちはかけないよ」
三男 「そうなの?」
末子 「お豆腐きらいだもん!」
三男 「好き嫌いの話だっけ?」
末子 「それから、ニンジンも嫌い!」
三男 「いい歳してニンジン食べられないって…」
末子 「ニンジンって、どこまでが皮でどこからが身かわからないから嫌い!」
三男 「ぼくはほうれん草のごま和えが嫌いだけど…」
末子 「おいしいのに…」
李香子、食べ終わり、末子を睨んでいる。
三男 「チョコレートが好きだよ」
末子 「そうなの? あげるね」
末子、カバンの中に手を入れる。
三男 「ありがとう…。あのさぁ、ヘンゼルとグレーテルの『お菓子の家』って、トイレはどうなってるんだろうね…」
末子、李香子が睨んでいるのに気づく。
末子 「食事時にそんなことを言う人にはあげない!」
三男 「それは残念」
李香子、立ち上がって下手に向かって歩く。末子、李香子に向かって両手を合わせて頭を下げる。李香子にかまわずさらに下手まで歩き、ちがやのノートをのぞきこむ。
李香子 「よくがんばるねえ…」
ちがや 「(ノートを取りながら)まあ、夢があるからね」
李香子 「ちがやは偉いねえ…」
ちがや 「(ノートを取りながら)別に…」
李香子 「あたしには絶対できないよ。将来の希望なんか、何にもないし」
ちがや、何も言わずにノートをとり続ける。
李香子 「中学の時も親からずーっと、『勉強しろ』って言われ続けて、塾にも行かされたけど、勉強なんか何にもしなかったし、結局は…」
ちがや 「(顔を上げて李香子をにらむ)この高校にしか来れなかったって言いたいの? こんな高校からじゃ、医者になんか絶対になれないって言いたいわけ!」
李香子 「だれもあんたのことなんか言ってないでしょ。あたしは中学生の時に努力しなかった。今もしてない。これからもしないだろうっていうだけのことだよ」
ちがや 「李香子と話してるとねえ、気が滅入ってくるんだよ!」
担任、下手から登場。
角夫 「どうせこんな学校の生徒だからとか、そんなことは絶対に思うな!それも甘えなんだよ。常に自分に誇りを持って生活しろ!」
担任、教卓の後ろに立つ。生徒たち、自分の席にもどる。
ちがや 「起立! これから、帰りのSHRを始めます。気をつけ、礼! 着席」
角夫 「ところで、今日は何日かな?」
ちがや 「二月二十六日です」
角夫 「そうだ。226事件が起きた日だ。この事件を境にして日本は軍国主義の道を歩み始めた。日本は先の大戦で世界中に迷惑をかけた。君たちは無論、先生だってそのころ生まれていたわけじゃないけれど、被害を受けた国の人たちにはそんなことは関係ない。もともと日本には前科があるんだ。我々は前科者だ。我々は、日本人のことをよく思っていない人が世界中にいることに、常に気を配っていなければならない。そうしなければ日本は、ますます世界から孤立するだろう。…みんなの方から何か伝達はあるかな」
生徒たちから発言なし。
ちがや 「これでSHRを終わります。起立! きをつけ、さようなら!」
全員 「さようなら!」
担任、下手にたい生徒退場。生徒たち、かばんを持って次々に退場。
李香子と三男だけが残る。李香子、三男に呼びかける。
李香子 「遠サン!」
三男 「その呼び方、ジジくさいからやめてほしいんだけど」
李香子 「遠藤三男」
三男 「フルネームで呼ばなくてもいいでしょ」
李香子 「遠藤」
三男 「なに? 蝶野さん」
李香子 「あたしの台本、読んでくれた?」
李香子と三男、下手側の机に隣り合って座る。李香子、アメの袋を取り出す。
三男 「まあ…、最初の方だけは」
李香子 「やっばり、読みにくかった? 読みにくいっていうことは、テンポが悪いってことだよね。やっぱり上演は無理か…。だけど、うちの演劇部では伝統的に六月は創作劇をやっているから、良かったら、遠藤が書いてくれても…」
三男 「そんなこと言ってないよ! これを渡されたのは4時間目の前だよ! 一時間くらいしかなくて、授業を受けながら、最後まで読めるわけないでしょ!」
李香子 「それで、どう思った?」
三男 「最初に歌とダンスを入れたのはいいと思うよ。いきなり会話なんかで始めるよりずっと自然だ。日常のリアルとは違う物語の世界に、観客を自然に取り込むことができる」
李香子 「ほかには…」
三男 「そうだねえ…」
楽しげなBGM。リズムに乗りながら机、椅子をダンサーたちが片づけていく。三男、下手に退場。李香子、アメの袋を持って退場。