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 念の為にと三日程休みを取って久しぶりに執務室に入室した私は顔を引きつらせた。

 ブロッサム商会の仕事。私の仕事は()()()()()私にしか出来ない。

 モーリス様がいくらかは片して下さったようだけど、多くの権限は私に集中している為にその私のサインなどが必要なものはどうしても残ってしまう。

 滞っていたものはその分溜まる。

 今この部屋は書類の山、山、山で埋め尽くされていた。


「はぁ...」


 小さく嘆息。

 頬を叩いて気合を入れた私は颯爽と机に向かう。


「上等だわ。社畜だった私を舐めないでっ」


 猛然と書類整理の開始。

 いつもの音を部屋に響かせながら私は頭の片隅で考える。

 これ終わらせるのに何日くらい徹夜したらいいかなと。


 結局、一応の目処をつけるのに休んだ分と同じ三日を費やしてしまった。

 一日分を終わらせた際に申し訳なさそうな顔をして、新しい書類を持ってくるモーリス様のお顔を見た時は苦笑いすることしか出来なかった。

 やっと仕事を終わらせて机に突っ伏し、ぐったりしている私はさながら生きる屍(ゾンビ)

 まぁ現在魔族な私は似たようなものなのかもしれないけれど。


 そんな私を余所にモーリス様は淡々とブロッサム商会の現状の報告をする。

 耳だけは傾けて聞き逃さないようにする私。

 今のところこれと言って進展もなければ問題もないという感じ。

 良かった。これでもし何かあったら私、過労死するかもしれなかった。


「それから ――最後の一手がこちらの手に入りました」

「それは本当ですか!?」


 モーリス様の言葉を聞いて私は突っ伏していた顔を勢いよく上げる。

 疲れなんて何所へやら。

 モーリス様の前でガッツポーズを決めて彼からそれを受け取る。

 確かにそれは私が求めていた物。

 おいそれと手に入る物ではないのにモーリス様有能すぎる。

 私はそれを手に口走った。


「これで、勝てる!」


 決戦の日。

 ラナの街に現れたのはイザベラ様の私設騎士団と官僚数名、それにご本人だった。

 当時痩せていたイザベラ様が随分ふくよかになられていたことには驚いた。

 驚いたけれどもパトリシア様を追放してから甘い蜜をたっぷりと吸っていたのだろうなぁと思うと一気に気持ちが冷めた。


 今頃ルーシア伯爵領はどうなってしまっているのだろうかと心配になる。

 法外な税金を掛けられて民衆は飢えに苦しんでいるのに貴族様方だけは贅沢をして肥えている。

 なんてことになっていなければ良いのだけど。


 そう言えば官僚の一人が私を見て"ギョッ"とした顔をしていたような気がした。

 多分気のせいだろう。

 一応博識者と呼ばれる人達が()()()()()する筈ないよね。

 私はその方に微笑みを返しておいた。


 私達の案内でイザベラ達が通されたのはラナの街のお屋敷。

 この時ばかりはイザベラ様が上座に座り、パトリシア様は下座に座る。

 私達はパトリシア様の背後で起立。

 話し合いが始まる。


「今日はわざわざお時間を作っていただきありがとうございます」

「久しいわね、パトリシア。それで? いつ出て行って下さるのかしら」

「まぁ、イザベラ様。私は出ていくつもりはありませんわ」

「なんですって! 貴女わたくしが送った書状を見ていないのかしら」

「拝見しております。ですが、私が出ていく道理が何処にありましょうか? このラナの街は元々中立地帯で今は私が治める街ですわ」


 まずはお互いに牽制。

 最初にカードを切るのはイザベラ様。


「貴女がいるということは伯爵領ということなのではなくて?」

「私は追放された身。そのような解釈は通じないと思いますわ」

「まぁ。でしたら貴女は身分を返上しなくてはいけないわね」

「...っ。王がそれを望まれるのであれば仕方ありませんわ」

「言質は取りましたわよ」


 これは結構痛い。

 本気でそんなことをされようものならパトリシア様は危うい立場に置かれることになる。

 最もそれを実際に行うことは多分難しいと思うけど。


 次はパトリシア様がカードを出す番。


「もし私が爵位を返上しなくてはならなくなると困りますわね」

「あら、わたくしは少しも困りませんわ」

「実は魔族の公爵様と取引がありますの。私が爵位持ちではないとなるとあの方は何処と取引をされるのかしら」


 ブロッサム商会は人間の陣営だけではなく魔族の陣営とも取引が活発に行われている。

 パトリシア様と私との取引に合意して下さった魔族の公爵様。

 公爵様ともあろう方が爵位も持っていない者と取引をするのは体面が良くない。

 パトリシア様が爵位を返上されるということは、これすなわち取引先を奪うのと同じ。

 公爵、ないしは魔族全体を敵に回す可能性がある。ということになる。


「なんですって!!!」


 イザベラ様の額に冷や汗。

 しかしこれはある意味諸刃の剣。

 イザベラ様はそこを突いて来る。


「貴女、人間ではなく魔族に肩入れするつもりなのかしら」


 人間と魔族。

 パトリシア様のお父様は人間だった為にパトリシア様は人間側に属している。

 それが魔族を持ち上げているとなると、それを理由にパトリシア様を潰すことが出来てしまう。

 その場合先のように魔族を敵に回すことになるので戦争になるようなやり方ではなく、例えばパトリシア様を王城で生涯幽閉するなどのやり方がきっと取られることになるだろう。

 ブロッサム商会とこの街はイザベラ様の手中。

 私は人質に取られたパトリシア様の為にイザベラ様の言う通り動かなくてはならなくなる。


 ここでイザベラ様が連れてこられた官僚達が動く。

 机に広げられる、この国の歴史が記された書物と土地の権利書。

 ざっと読むとようするにパトリシア様の後見人であるイザベラ様に土地の所有権が発生するという感じ。

 イザベラ様は私が危惧したパトリシア様の幽閉に話を持っていくつもりなのだろう。

 そろそろこちらも切り札を出したほうが良いのかもしれない。

 パトリシア様と視線を合わせる。

 小さく頷くのを見て私はジョーカーを切る。


「私達のこの土地は女神セレンに守られた土地です。それでも立ち退くようおっしゃるのでしょうか?」


 慈愛の女神セレン。

 この国で最も信仰されている神様。

 私が出したのは教会本部の教皇様がこの土地をパトリシア様の領土として認めると印が押された権利書。

 この時代の宗教の力って恐ろしいのよ。

 ある意味王様よりも権力があるってどんだけって感じよね。

 前世日本だと考えられないわ。

 イザベラ様以下彼女のお付きの者達が驚愕の顔となる。

 神に守られた土地に手を出そうものなら神罰が下る。

 この世界の人々は本気でそう考えているから。


 官僚達が本物であると認め、イザベラ様は無言となる。

 私が求めた最後の一手。モーリス様が手に入れて下さった切り札。

 どうやって教皇様にお会いしたのかは分からないけれど、抜群の効果を発揮した。


「イザベラ様、お顔が優れないようですわ。大丈夫でしょうか?」

「パトリシア...。貴女」

「イザベラ様。私もイザベラ様も一分一秒でも時間が惜しい身。これ以上の会談は無意味と思いますがいかがでしょうか?」


 悔し気に唇を噛むイザベラ様。

 その日のうちにイザベラ様は伯爵領へ戻られた。


 閑話(パトリシアの真実の気持ち?)

 全てが終わった後、自室に戻った私は"ホッ"と胸を撫で下ろした。

 いつも背中に伸し掛かって来る重圧。

 他者からの嫉妬や私達の邪魔をする行為。


 アルマが淹れてくれたお茶を一口飲み、私は彼女に視線を向ける。


「ねぇ、アルマ。私は神様って信じてないの」

「そうですか」


 あまり驚かれなかった。

 もっと"ギョッ"とした顔になると思ったのだけど。


「貴女は驚かないのね」

「私も信じていないので。信仰はします。それがこの国に生きる者の務めみたいものですし」


 結構大胆なことを言う。

 人のことは言えないけど、それがどういうことか分かっているのかしら。この子。


「神様がいるならこの世界はもっと平等でしょう。ですが現実はそうではありません。裕福な者、飢餓に苦しむ者、様々な人々がいます。それになにより私はお嬢様に救っていただきました。ですので神様ではなく、私の支持するのはお嬢様です」


 不覚にも"ドキッ"としてしまった。

 女神様と同列に置かれたことにじゃない。

 私に向けたアルマの微笑みがとても優しくて可愛らしかったから。


「お嬢様?」

「なんでもないわ」


 アルマの顔を見続けていられなくて顔を逸らす。

 勿体ないなと思うけど、そのままアルマを見ていたら暴走しちゃいそうだったから。

 お茶を口に。今回はハーブティではなく紅茶。

 その紅茶と窓から見えるいつもと同じ風景のおかげでやや落ち着いた気持ちを取り戻す。


 アルマの言い方だと私は恵まれている。

 裕福さも私の周りの人々にも。

 今回の件も私一人だとどうしようもなかった。

 乗り越えられたのはアルマとモーリス、それから彼に協力していた使用人達のおかげ。

 私はその幸運を私だけの為に使うようなことはしない。

 皆に分け与える。それが私の務め。

 アルマと話していると改めて「自分」を思い出す。


「アルマ」

「はい」

「これからも苦労を掛けるかもしれないけど、私の傍にいてちょうだいね」

「勿論です。お嬢様」


「は!?」


 パトリシア様の自室から自分の自室に戻ってすぐ。

 訪ねていらしたモーリス様の言葉を聞いて私はそんな声を上げていた。

 目上の方に対して失礼な言葉を使ってしまったとすぐに謝罪する。


「も、申し訳ありません。あまりにあまりなことだったので」

「構いませんよ、アルマ様。わたくしが聞いた時も同じように思いましたぞ」


 苦笑いするモーリス様。

 私は先程切り札に使った権利書を手に取りつつ。


「今のお話は事実ということですか?」

「はい。教皇様はブロッサム商会で扱うエールをとても気に入ったようでして、今後一ヶ月おきに幾らかそれを納品して欲しいと。それが切り札を手に入れる条件でございました」

「・・・・・」


 教皇様って聖職者...だよね。

 聖職者って確かお酒って禁止されてなかったっけ。

 いいの? まずいんじゃないかな。

 汚職者として追放とかされちゃいそうな。

 もしそうなったらパトリシア様がまた危うく。

 どうしよう。納品しないでおく? それはそれで約束を破ったってことになるよね。


「うぐぐぐっ...」

「アルマ様落ち着いて下さい」

「モーリス様、聖職者がお酒飲んでいいんですか?」

「納品先は教会本部ではなく隠れ家のほうにということでした」

「そういう問題じゃなく!!!」


 モーリス様は居た堪れなくなったのか私から顔を逸らす。

 彼がそんな態度をすることは非常に珍しい。

 私は頭を抱え、結局最終的にその条件を飲んだ。

 ちなみにこの後、新しいお酒を開発したら真っ先に教皇様に味見をして貰うことになることを私はまだ知らない。

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