⑥
数週間後。
この頃になるとパトリシア様に味方する方々が徐々に増えつつあった。
それだけブロッサム商会のネーミングが無視出来ない存在になってきたということ。
商会長は私だけど、その上に立つのはパトリシア様。
私は敵対しているからと言って商品を売らないなんてことはない。
ないけど優先順位は当然ながら下位となる。
うちの商品を待っているのはそこだけじゃないから。
現状人気商品は予約待ち状態。
こちらも一刻も早くお届け出来るよう頑張ってはいるけど生産が追い付いていない。
お客様に申し訳ないなぁと思うのは当然で働いてくれている従業員にも申し訳なく思う。
うちは間違いなく他の商会よりも忙しい。
でもその分福利厚生は手厚くしてるつもり。
この世界で初の育児休暇を作ったし、有給休暇も作った。
前世日本以上に男尊女卑なこの社会。
それにメスをいれるべく男性だけでなく女性にも優しい職場を私は提供しているつもりだ。
学園と合わせて保育園も作ろうと思ってる。
まだもう少し先の話になりそうだけど。
パトリシア様の自室。
それらの相談とこれまでの商会の状況など報告していたらフィーネ様が血相を変えて飛び込んできた。
「お嬢様、大変です」
「まぁ。そんなに慌ててどうしたのかしら」
「イザベラ様がラナの街を返還するよう求めてきました」
「なんですって!」
ついにイザベラ様が動いた。
このラナの街は中立地帯。
だからこそパトリシア様はこの街に追放された。
仮にここが何処かの貴族領の一角であればパトリシア様は別のところに追放されていただろう。
だというのに返還など。
おかしなことを言う。
と皆が思うだろうけど、どうせイザベラ様のこと。
あれこれこじつけて伯爵領だったということにしてしまうつもりなのだろう。
狙いは明らか。
豊かになったこの土地そのものとブロッサム商会。
パトリシア様と私から全部奪うつもりだ。
今まで黙っていたのは育つのを待っていたというところ。
熟れた果実を横から現れて育てた者から掻っ攫っていく。
本当にいい性格をしている。
でもそれは私の予想範囲内。
いつかはそういうことをして来るだろうと思っていた。
だから私はそれを見越してあらゆる手を尽くしていたのだけど。
最後の一手が足りない。
決め手に欠ける。
これさえ揃えばラナの街は奪われずに済む。
歯噛みするパトリシア様。
イザベラ様が送ってきた書状を見ると明け渡しは二週間後。
私は軽く途方に暮れた。
◇
おさらいだけどこの世界は本の中の世界そのもの。
そして私は主人公のアルマ。
◆
でも実は割と最初のほうから本と展開は変わっちゃってるのよね。
だってここは正確には本の世界と瓜二つな現実世界だもの。
暮らしている人々はお話の登場人物じゃなくて現実の人物。
私も主人公アルマとは姿形が同じでも考え方ややり方は違う。
つまり予想外のことも起こりえるってことね。
◆
…
その予想外のことが起こってしまった。
ブロッサム商会の商品を実際に使っている人々の生の声が聞きたくて"ふらっ"と出た街の視察。
私は屋敷からそれ程離れていない場所で賊に襲われた。
失敗だった。
私を狙ってきたのか、それとも見せしめの為に襲ってきたのかは分からない。
でも時期的にあれは確実にイザベラ様の手の者だろう。
となると見せしめの意味合いのほうが強いかもしれない。
自分の決定に従わないとお前もこうなるぞ! っていうパトリシア様に向けた意思表示。
私は自らの立場を軽んじて護衛をつけていなかった。
例え侍女としては下位でも商会の長なんだからというお屋敷の皆さんの声もあったのに私はそれを笑うだけで済ませた。
それが裏目に出た。
最悪のパターンだ。
腹部に突き立てられた短刀の傷。
そこから血が次々に流れ出て私の身体を紅の湖に沈めていく。
息が苦しい。意識が失われていく。寒い。私、死ぬんだ...。
これはもう助かる傷じゃない。自分の身体のことは自分がよく分かる。
自分の愚かさを嘲笑い、何処かで他人事のように思う。
死ってこんな感じなんだなぁ...。
前世は天災で死んだためにそんな余裕はなかった。
あっという間に私は死んだ。
でも今回はそうじゃない。
ついに走馬燈が流れ始める。
私のせいで騒然となっている街中。
その中で聴こえてくる私がよく知っている皆さんの足音。
パトリシア様を筆頭にモーリス様やフィーネ様達。
この惨状を聴いて駆けつけて下さったのだろう。
パトリシア様が私の手を取る。
「アルマ、しっかりしなさい。死んだら許しません。アルマ!!!!」
私にはもうそれに応える力はない。
器官に血が入ってきていて喋ることも出来ない。
最後の力でパトリシア様のお顔を見る。
いつもの凛々しいお顔はそこにはない。
悲愴に満ち涙に濡れて歪んだお顔。
私がパトリシア様にそんなお顔をさせているなんて...。
最後の最後まで私は...。
私は好きな人を傷つけている。
――――好き?
心にストンとそれが落ちる。
アルマはパトリシア様のことが恋愛対象として好き。
前世の私はパトリシアが現実にいるなら恋をしたいと思っていた。
そんな"私"。そうか、そうだったんだ。
生命の灯火が消える。
せっかく自覚したのに私は。
光を失う中、私が最後に見たのはパトリシア様の翡翠色の瞳ではなく魔族の特徴である深紅の瞳だった。
◆
閑話(パトリシアの焦り)
アルマが何者かに襲われたと聞いた時、私の頭の中は真っ白になった。
身体中から血の気が失せて倒れそうになったところをフィーネが間一髪支えてくれた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「えっ、ええ...。それでアルマはどうなの?」
「現在モーリス様達が様子を見に行こうとしているところです。私もこの後で」
「私も行くわ」
「ですが!!」
「お願い」
「...畏まりました」
こうして駆けつけた私が見たのは生命が風前の灯火となっているアルマだった。
嘘でしょ...。そんな、どうして...。
私の心をそんな疑問が支配する。
「アルマ、しっかりしなさい。死んだら許しません。アルマ!!!!」
無我夢中の呼びかけ。
実のところこの辺りは記憶が曖昧で自分が何を言ったのか覚えていない。
幼い頃に拾い出会ったアルマ。
彼女は私のことをどう思っていたのか知らないけど、私はアルマに一目惚れ、気が合った。
完全に自覚したのはアルマが十三くらいになった時だったと思うけど。
女性が女性を好きになるなんて思わなかった。
私はおかしいってそう思った。
だってあり得ないわ。
生物学的に常識外だもの。
でもアルマへの想いはどんどん膨らんだ。
特に最近は彼女に触れたくて仕方なかった。
これでも伯爵令嬢なのだからと自分を抑えつけてきたつもり。
上手くいっていたかは怪しいところだけれど。
「アルマ、アルマ!!!!」
こんな時に一瞬場違いなことを考えた。
私が知るアルマはどちらかというと大人しくて控えめな子だった。
たまに妙なことを口走ったり、おかしな行動をしたりすることもあったけど、まぁ普通だった。
それがこの街に来てからのアルマの変わりよう。
一体何処からそんなアイデアが思いつくのか次々と打ち立てられる企画。
私は正直舌を巻いていた。
そんなアルマの主人であることが誇らしかった。
そんな彼女を好きなことが誇らしかった。
「アルマ!!!」
アルマの瞳から消えていく光。
それを見た私の身体を何かが包んだ。
"ドクンッ"
それが何かはすぐに分かった。
私の中に流れる魔族の血。
これまで眠っていたそれがアルマの死を引き金にして今覚醒したのだ。
これならアルマを助けられる。
助けられるけど、アルマは人間じゃなくなる。
私を恨むかもしれない。
拒絶するかもしれない。
アルマにそうされたら私は――――。
怖い。怖い。怖い。
身体が恐怖で震える。
それでも! それでも私はアルマに生きて欲しい。
私はアルマに一方的に契りを交わした。
◇
穏やかな日差しの中、私は目覚めた。
いつもの自分の部屋。
死後の世界って案外現世と変わらないんだなぁなんて呑気に考えながらベットから降りて壁に立てかけてある姿見鏡に自分の姿を映す。
これも生前にブロッサム商会で取り扱っていた商品の一つ。
前世日本で言うプレミア価格がつく程の代物。
そりゃそう。何しろ製法が製法だし、一つ作るまでにかなりの時間がかかる。
この鏡が欲しくて待ち続けていたお客様は一体どれだけいらしたのか。
特に貴族様。女性は絶対に手に入れようとしていらしたように思う。
「ん...。ん~~~?」
右を向いたり、左を向いたり、後ろを向いたりして鏡に自分を映す。
歳相応より少し幼めの顔、肩よりもやや長い亜麻色の髪、服を押す膨らみはそれなり、未完成ながら引っ込むところは引っ込んで出ているところは出ているこの身体。
「何処からどう見ても私ね」
疑問はあるけど深く考えることなく服を捲る。
大きく広がっていた腹部の傷は塞がっているけど多少傷痕が残っている。
服を着ていたらどうせ見えないのだから別にいい。
それに私は死人。
何を気にすることがあるのだろうか。
それにしても死人って思ってたのと違う。
身体が生前と変わらず体重を感じる。
足もあるし、透けてないし、漫画やアニメで見るような死人独特の服を着ているわけでもない。
「・・・・・」
姿見鏡から離れてベットに倒れ込む。
仕事とかもうしなくていいんだと思うと嬉しいような寂しいような複雑な気持ち。
未練は沢山ある。その中でも大きいのが...。
「パトリシア様」
その名を呟くと"ずきっ"と痛む胸。
もう二度とお会い出来ない。
苦しくて、切なくて涙が零れて来る。
「パトリシア様、パトリシア様...好きでした。貴女が...」
わんわん泣き喚いているとノック音が聞こえてきた。
最初はお迎えが来たのだと思った。
涙を無理矢理止め、覚悟を決めて扉を開けるとそこにいたのはパトリシア様。
「えっ?」
混乱した。
私の願望が死神か何かをそう見せているのかと思った。
「アルマ」
「....お嬢様!?」
そのパトリシア様は今にも壊れてしまいそうな雰囲気だった。
見ていられずその手を取ると切なそうにはにかむ。
一体何がパトリシア様にそんなお顔をさせているのか。
ううん、私だ。私がパトリシア様をまた傷つけている。
「お嬢様」
「アルマ、お話があるの。今いいかしら?」
「あ、はい」
謝罪を口にしようと思ったらパトリシア様に先に言葉を告げられてしまった。
私はパトリシア様を室内へ。
そこで聞いた話で私は呆けてしまった。
「じゃあ私、生きてるんですか?」
「ええ。でも貴女は私の眷属になってしまったの。生きているけど人間ではないわ」
「眷属...」
「ごめんなさい、アルマ。でもそれしかなかったのよ。貴女を助けるにはそれしか」
「...? また助けられたんですね。ありがとうございます、お嬢様」
「アルマ?」
「はい?」
「貴女、私を恨んでいないの?」
「恨む? どうしてですか?」
パトリシア様の話によると魔族の血が覚醒してそれで私を助けて下さったらしい。
傷は塞がって人間だった頃よりも私は身体能力が向上した。
ただその弊害として寿命が延びた。
魔族は人間の十倍の寿命がある。
一つ歳を重ねるのに十年かかるということ。
それは覚醒したパトリシア様も同じ。
これからは私もパトリシア様も成長に時間がかかる。
そしてもう一つ。
パトリシア様の視線が私の首筋に。
"ごくりっ"と喉を鳴らす主に私は自ら肌を晒す。
「血が必要なんですよね?」
「アルマ...」
「吸って下さい」
「ごめんなさい」
パトリシア様のお母様・アリシア様は吸血姫という種族だった。
その血を引かれているパトリシア様も。
パトリシア様に舐められる首筋。
いろんな意味で"ぞくりっ"とする。
吸血姫の唾液には吸血の際の痛みを和らげる緩和剤の作用がある。
とアリシア様は以前おっしゃっていた。
たっぷりと舐めてからパトリシア様は私のそこに牙を立てる――――。
「―――!」
痛みは一瞬だけだった。
その後は自分の身体の中から吸い上げられる生命の感触と代わりに流し込まれるパトリシア様の魔力を感じ、その魔力に媚薬のような効果があるのか身体が火照った。
「あっ...、んっ...お嬢様...」
「・・・・・」
私の血を吸われているパトリシア様は泣いていた。
私をこんな生物にしてしまったことに責任を感じているのだろう。
私はパトリシア様のお身体を優しく包み、身体に走る甘味に耐えながら微笑んだ。
「大丈夫です。ですからそんなお顔をなさらないで下さい。私はパトリシア様の笑われたお顔が...」
好きです。
最後のほうは限りなく独り言に近い蚊の鳴くような小声。
果たしてそれはパトリシア様のお耳に届いたのかどうなのか。
パトリシア様は泣きながら笑んでいるように見えた。