③
こんな時間に誰だろう?
私が扉を開けるとそこには寝巻き姿のパトリシア様がいらした。
「アルマ、もしかしてもう寝るところだったかしら?」
「あ、大丈夫ですよ。何かありましたか? お嬢様」
「部屋に入らせて貰ってもいいかしら?」
「ですが」
私が躊躇うのは別に部屋が汚いからじゃない。
大体私はこれでも結構綺麗好きで部屋はそれなりに片付いている。
なら何を躊躇うのか。
当然、貴族様が使用人の部屋に入室するっていうその事実。
この世界の常識からして体裁がよくない。
「・・・・・」
「・・・・・」
「...どうぞ」
数秒部屋の前で見つめ合って結局私が折れた。
パトリシア様は微笑み、私の部屋に入室してランプの天井に手をお翳しになる。
そこには魔鉱石が埋め込まれていて魔力を得たランプは再び灯火を芯に纏った。
「あら」
パトリシア様のお顔が机の上にあるものに固定される。
幾らかの植物群。私が夜の散歩で摘んできたもの。
「これは夕方に淹れてくれた茶葉かしら?」
「はい。正確にはお茶だけでなく料理にも使います」
「まぁ。他にも種類があるみたいだけど、全部同じ用途に使うの?」
「あの、お嬢様」
いいタイミングなのかもしれない。
これから私がやろうとしていることをパトリシア様にお伝えする刻。
今日一日いつにしようか頭の片隅で悩んでいた。
私はただの使用人。何かするとなるとパトリシア様の許可は絶対。
それに私の前世の知識は最初はともかく将来的に絶対なんらかの弊害をパトリシア様にもたらすことになる。
幾ら平和な日本で生きてきたとはいえ私だってそこまでバカじゃない。
アルマの記憶や知識がもし無くてもそれくらいのことは予期出来る。
「お嬢様にお話があるのですが」
「何かしら?」
この街の改革・開拓。
私が指示するとしても実質的な責任者はパトリシア様。
あれこれ考えると胃が痛い。どうしても緊張する。
目の前のパトリシア様は真剣なお顔。
多分私も同じ顔をしているんだと思う。
その私の顔からそれだけ大切なことを私が言おうとしていることを察してパトリシア様は...。
「実は...」
私はパトリシア様に深夜遅くまで私の計画を語った。
今はまだ夢物語であることを最初に告げた上で。
パトリシア様は終始驚愕したお顔で私のことを見て最終的に私の提案に乗って下さった。
◇
翌日。
私は早速動き出していた。
まず商業ギルドにいって新しい商会の設立を告げてその商会長に私が立つ。
商会の場所をパトリシア様のお屋敷にしたら驚いていたけど、私の身分を明かすと受付けの女性は納得してくれた。
商品はあまり多くない。
とりあえずハーブティと試験的に作成した石鹸にシャンプー、リンス。
◆
実はこの世界って石鹸はあるけど質が悪くて、それなのにシャンプーやリンスはないものだからその石鹸で髪も身体も纏めて洗うのだけど、洗いあがりは当然よくなくて前世日本人の女性だった私はずっと気になっていたのよ。
本を沢山読んで置いて良かったって思ったわ。
予備知識があるのと無いのとじゃあ作成するの雲泥の差だもの。
でも幾ら本の知識があっても材料が足りないのよね。
だから作成したシャンプー、リンスは日本のものよりは遥かに劣ってるの。
それでも自然由来のものばかり使用してるから身体にはいいかもしれないわね。多分...。
◆
いずれは世界に行き渡らせられたらいいなぁと思いながら今はこの街を発展させることだけを考えて私の商会の商品は全部貴族様向けにした。
入れ物が適当なものが無いから陶器に詰めて売り出す。
その陶器にはいずれは現れるだろう競合商会のことを見越して商会のマークとした桜の花弁がモチーフの焼き印を入れた。
私の商会の名前はブロッサム商会。
私は最初の一歩を踏み出した。
最初は私の予想通り売れなかった。
金額も高いし、得体のしれない物だから当たり前と言えば当たり前。
そこで私とお屋敷の皆さんがそのシャンプーとリンスを使用した状態で街を練り歩いた。
宣伝効果は抜群。
いつの時代も何処の世界も女性というのは美を追求するもの。
私達に「その髪は何を使っていらっしゃるの?」などと質問が飛んできて街の貴族の方々には売れるようになった。
さて、ここからどうやって他の場所に広めるかが問題だった。
何せパトリシア様はこの街から出ることが許されていない。
殆どの権限を奪われて貴族様でありながら貴族様ではないような身の上。
そういうことなので貴族様の行事である社交会にお顔を出すことも出来ない。
そこに出席されることが出来たらブロッサム商会のネーミングを広めていただこうと考えていたけど。
なんて心配していた時期が私にもありました。
パトリシア様が無理でも他の貴族様が勝手に広めて下さったようで三ヶ月も過ぎる頃にはブロッサム商会の名前はアリアノラ王国中に広まっていった。
こうなると生産者の手が足りなくなる。
街から希望者を募ると同時に次の一手を打つべく私はとある場所に向かった。
名無しの街。私達の街のこと。
その街の隣にあるリリウス伯爵領。
出迎えて下さったリリウス婦人に案内されながら私は屋敷内を歩く。
心臓はバクバク。貴族様とこれから会談しないといけないと考えると逃げ出したい気分になる。
今日は商会長として来ているからリリウス領主様と話すのは私。
絶対に通さなくてはいけない商談。
万が一破れようものならブロッサム商会は早くも立ちいかなくなる。
「貴女達の商会の商品は素晴らしいわ。私、愛用しているのよ」
「お褒めの言葉をいただきありがとうございます」
そんな雑談をいくらか交わして領主様の部屋前。
私の緊張はピークに達した。
「旦那様、ブロッサム商会の方がお見えです」
「入って貰いなさい」
「...失礼致します」
婦人の言葉で私は領主様の待つ室内へ。
重苦しい雰囲気の中、私と領主様は対面する。
「それで? 今日はどういったご用件で?」
眼光がとても鋭い。
若干こちらを蔑んでいるように見えるのは、身分の差だけではなくパトリシア様の境遇を知っているからだろう。
どんな形でも追放された貴族。
プライドの塊と言える彼らにとって追放されたパトリシア様など平民以下の存在。
自分の主をそんな風に思われて腹は立つけど今は感情は抑える。
そうすると先程までの緊張も幾分か和らいだ。
ここからは狸と狐の化かし合い。
失敗したほうが相手に食われる。
「馬車の中からも拝見させていただきましたが、この領地はとても富に溢れている領地ですね」
私は先手を打つ。
その私の言葉で軽く眉を上げる領主様。
「それはありがとうございます。して、今日はわざわざ我が領地をお褒めいただく為にお越しいただいたと?」
「いえ、私は商会長ですので商談に参ったのです」
「ほお、女性が商会長とは驚きました。ですが先程貴女が褒めて下さったように私の領地は富んでいる。今更新しい商談が必要でしょうかね?」
刺々しい言葉。それに隠しもしない負のオーラ。
......怖いよ。
「確かに今は富んでいますが、今のままではいずれ朽ちていくでしょう」
「それはどういう意味ですかな?」
ここに来るまでに。というよりも一ヶ月程前から私はこの領地のことを調べていた。
情報は大事だ。商品を売るには市場調査は欠かせない。
「失礼ですが市場はすっかり新しい商品が並ばず停滞していらっしゃいますよね?」
「....っ」
領主様の顔が歪んだところを見ると、どうやら痛いところを突くことに成功したらしい。
新しい商品が並ばないってことはアイデアがないってこと。
今はそれで良くてもいつか遠くない未来に他のところに取って食われる。
社会ってそういうもの。
民衆は新しい商品に飛び付く。
その質が悪ければまだ大丈夫だけど、既存のものより上回っていたらそちらを購入する。
それがこの領地から出たものならいい。
しかしそうじゃなかったら...。
「領主様は民を思う優しい方だとお聞きしました」
私がここを選んだ理由はそれ。
貴族様の中には民衆を自分の為だけの駒のように思っている方がいる。
...ううん、ほぼそういう方々。って言ったほうがいいかも。
本当の貴族の在り方は人の上に立って人を助ける。
これな筈なのに。
そんな貴族様が多い中でリリウス領主様は限りなく私が理想とする領主様に近い。
だからこそ私は私達の街と、パトリシア様と提携を結んで欲しいって思った。
だからここに来た。
「私達が売り出している商品は現在市場を賑わせています。これからも間違いなくヒット作を出すでしょう。そこで...」
「確かにブロッサム商会の名は聞き及んでいる。だが何を根拠にそのようなことを言っているのか?」
「根拠ですか。私は材料と人材さえあればより良い物を作ることが可能なんですよ」
大口をわざと叩いてリリウス領主様の動揺を誘う。
ここでほんの一部新しい商品のアイデアレシピを見せる。
これはもし盗品されても構わないものだ。
商談が成立してないのに画期的なことが記されたアイデアレシピを見せるなんて愚かなことはしない。
それでも領主様には案外衝撃的だったらしくそのアイデアレシピを食い入るように見続ける。
「私達の商会と手を組んで下さればこの先数百年にわたってこの領地を発展させられることをお約束しましょう」
「...貴殿は一体何処からこのようなアイデアを?」
「それはお教え出来ません。さて本題ですが私達の街と業務提携を結んでは下さらないでしょうか」
私の提案に領主様は小さく唸る。
餌はすでに撒かれている。
後はそれに食いつくべきか否かだ。
「業務提携とやらをしたら一体どうなる?」
「幾つかの商品は広い土壌が必要になります。つまりこの領で新商品が真っ先に販売されることになります。後、私は商会長ですが農耕の技術もお教えしましょう。何故経年によって作物の実りが変わるのか。この技術を知れば毎年豊作...とまでは言えませんが今よりは実りが安定すると思いますよ」
「なんと! それは真か。しかしそれではうちの領地ばかりが得をするのではないか? 貴殿達は何を求める?」
「人材と土地を。領主様直々の書簡をいただければ活動しやすくなりますので有難いのですが」
上からの指令書的なものは絶大な効果を持つ。
特にリリウス領主様の様な良領主様の場合は尚更。
民衆は「あの領主様が言うなら」的な感じでついてきてくれる。
これが愚領主であれば逆に反発の材料となるのは言わずもがな。
「う~む」
領主様の渋い顔。
それに許可を出せば私達のやること全部に自分が責任を持つことになるのだから無理もない。
それとパトリシア様陣営に入ることになるという事実も付いて来るからまぁ決断しにくいだろう。
私はもう少し話を広げる。
「当然私共の勝手で事業を行うことは致しません。何をするにも領主様に相談させていただきます。それとこれはまだ未確定のことですが、将来は学園を作って貴族様から平民に至るまで全員の識字率と知識を上げたいと思っています」
「っ何」
「知識は力となります。自分達で考えて行動する。私はそういう国を作りたいのです」
一歩間違えば今の国の在り方が気に入らないという言いよう。
それに平民が知恵を付けるということは国や領・街や村のおかしいところなどに気が付くようになるということ。
王様や貴族様にとってそれは脅威ともなり得るから好ましくないっていうのは分かる。
でもそれってどうなのかなって。
私は対しているのがリリウス領主様だから話してみた。
「貴殿は自分の言っていることが分かっているのか!」
あれ? 先程までと違って領主様が少し疲れた顔になっているのは気のせいだろうか?
私の考えはまだ早かったかな...。もしかしてやってしまったのだろうか?
口から出た言葉は戻らない。
こうなったら突っ走る。
「人は石垣。人は城。政治とは民の為にあるものだと思うのです。それに今でも綺麗な政治をされていると自認があるのでしたら民の識字率や知恵が上がっただけで怯えることはないのではありませんか?」
最後のは嫌味。
パトリシア様を追放したり、理由も知らないのに嫌悪したりする方々。
他にも私はこの国の腐敗を知っている。
例えば法外な関税で儲けている領があることとか、何処から入ってきたのか謎の金で豪遊している貴族様がいることとか。
◆
本の中の世界だもの。幾つかは調べなくても調査完了状態にあるのよ。
◆
ちなみに最初にパトリシア様を蔑んだお返しもちゃっかり滲ませている。
それが分かったのだと思う。苦笑いするリリウス領主様。
「恐ろしい方だ。もしここで断りでもしたら貴殿らの街の民に将来何を言われるか分かったものではありませんな」
「そんなことは教えたりしませんよ。ですがあの時私達と提携していれば良かったと後悔はするかもしれませんね」
もし最初にこれを言っていたら商談不成立どころか私は不敬罪に問われていたかも。
でも今となっては和やかなもの。
私達は互いに笑い合って、そして...。
「いいでしょう。ブロッサム商会、それからパトリシア様と手を組みましょう」
私は商談を勝ち取った。