2-⑥
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閑話(モーリスの葛藤)
アルマ様とパトリシアお嬢様が旧ルーシア伯爵領に視察に行かれるとおっしゃった時、わたくしはお二人を行かせたくないと思いました。
何故ならこれはお二人には秘密にしておりますが、イサベラ様が統治していらっしゃった際にわたくしは変装して様子を伺いに行ったことがあったからでございます。
わたくしが見た旧ルーシア伯爵領はそれはもう酷い有様でございました。
たったの数ヶ月でかつての面影はなく、土地は荒れ、領民は飢えて痩せ細り、それなのにイザベル様の側近並びに貴族の皆さま方だけは随分と肥えていらっしゃいました。
同じ領地でも統治者が変わればこうも変わるのかと驚愕致しました。
それから現在はラナ公爵領、過去はラナの街の領民の様子を思い浮かべ、わたくしは深いため息をつかざるを得ませんでした。
お二人は貴族でありながら貴族らしからぬ程にお優しい。
そんなお二人でありますからわたくしはお二人に着いていっているのですが。だからこそ不安だったのです。
あのお二人のこと。旧ルーシア伯爵領の様子をご覧になれば心を痛められ、ご自分達のせいだと嘆かれるのではないかと。
だからこそ行かせたくないと思ったのですが、止めようにも嘘を付けば伯爵領はそのような状態だと白状しているも同然。
わたくしは葛藤の末、お二人に同行することを願い、その旅路の中で全てをお話致しました。
予め知識があるのと無いのとでは多少なりとも差がありましょうから。
◇
ラナ公爵領から馬車で数日。
旧ルーシア伯爵領に到着した私とトリシアが見たものはそれはもう凄惨で悲惨な光景だった。
予めモーリスから話は聞いていたけど、実際に見るのと話を聞くのとでは大違い。
私達は変わり果てた領地の様子に愕然としてしまった。
「酷い...」
私の隣に立つトリシアが両手を口に当てながら嘆きの声。
頬に涙を伝わせ、身体を小さく震わせてトリシアはただただ絶望を続ける。
私はそんなトリシアに何も出来なかった。
私も彼女と同じように動けなくなっていたから。
「どうして...」
強く握った拳から血が零れる。
その私の様子を見てモーリスがハンカチを差し出してくる。
「アルマ様、お手が」
「大丈夫」
「ですが」
「今はいい!!」
「畏まりました」
八つ当たりしてしまった。最低だ。
モーリスが私を気遣ってくれたことは分かったのに。
でも私には余裕がなかった。
「貴族様?」
私が大声を出したことでこちらに気付き、恐る恐る私達の元に女の子がやって来る。
五歳程度の子だろうか? 痩せ細っていて見るからに栄養失調なことが分かる。
「何か食べるもの、下さい」
涙が零れる。
なんでこんな小さな子に。見ず知らずの私達の前でそんなことを言わせる程。
なんで......。
「ごめんなさい...ごめん、ごめんね...ごめんなさい...」
私はその女の子を抱き締める。
トリシアも私ごとその子を抱き締めて私達は女の子も含めて泣き喚く。
その声を聴きつける領民達。
「貴族様」
「貴族様だ。助けて下さい。もう何日も食べてないんです」
「せめて水だけでも...。貴族様」
貴族様、貴族様....。
耳に声がこびりつく。
こちらに歩いて来る領民達の目が、声が怖い。
「やめて、やめて....やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
私は堪らず叫んでしまった。
モーリスが機転を利かせて近くに停めていた馬車の中から菓子袋を取り出し領民達に投げる。
それを取り合っている間に私達を馬車へ連れて行ってくれてモーリスは馬車を走らせる。
事実上現実から逃げ出した私達は馬車の中、一人連れてきた女の子を虚ろな目で見ながら。
「貴女のお名前は?」
「分からない」
「そう。お父さんとお母さんはいる?」
「ううん、もう死んじゃった」
「....っ」
淡々と。淡々とそう言える。
なんて残酷な現実なんだろう。
貧民街で生まれた私もここまでじゃなかった。
ううん、私の場合は運が良かった。それだけかもしれないけど。
見ずに済んでいたことを今見た。
知らなかった現実を今知った。
私は何もかも甘かった――――。
それを知った。
「お菓子、食べる?」
「うん!」
私はポシェットから菓子袋を取り出す。
その中からブロッサム商会の新商品のミルクチョコレートを女の子の口へと持っていく。
「甘い。美味しい」
私は花のような笑顔を見せる女の子を見つめながらトリシアと共にまた悲しみの涙を零した。
◇
ラナ公爵領に戻った私は女の子を養子に迎える手続きをし、私とトリシアの名前の一文字ずつを取ってルリと名付けて二人の子供とした。
ルリは物覚えが良かった。
私とトリシアが教える知識を瞬く間に吸収。
あっという間に字を覚え、物書きをしては私達に見せに来るという可愛い一面を見せるようになった。
それまでの過程。
旧ルーシア伯爵領で地獄を見た私はそれまでの自分の愚かさを嘲笑って少し暴れた。
私も思いあがっていたことを知った。
自分は何でも出来ると何処かで思っていたのかもしれない。
私の手は小さな手。その手をめいいっぱい広げたところでどうしたって零れ落ちるものがあるのは当たり前なのに。
私は足元を見た。そして私は旧ルーシア伯爵領を見捨てた。
以降は寝る間も惜しんでラナ公爵領の地盤を固めた。
バエル様やエステル様と密に連携して食糧事情や災害対策などの改革を行った。
罪は背負う。一生私は旧ルーシア伯爵領の人々の恨みを浴び続けることになるだろう。
でも私はラナ公爵領の領主で優先すべきはこの領地の領民達。
旧ルーシア伯爵領などの改革はエステル様にお任せする。
それが彼女の仕事だと思うから。
…
真夜中。
私は夢の中、あの声・あの目で私に縋って来るあの人達を見て叫び目を覚ました。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
呼吸が荒い。嫌な汗。血の気が引いて眩暈を起こす。
「...寝ちゃってたのね」
ここは執務室。
連日の徹夜がさすがに身体に響いていつの間にか眠ってしまっていたらしい。
「アルマ、起きてるかしら?」
扉をノックする音と声。
「うん。起きてるよ」
返事をすると扉が開き、ルリが私に駆けて来てトリシアが執務室に顔を覗かせる。
「アルマお母様~~」
「ルリ」
数ヶ月で体型的にも性格的にも子供らしくなったルリを抱っこ。
案外重く私は自分の非力さに苦笑い。
「アルマ」
「どうしたの? トリシア」
「一人で背負うおうとしないで欲しいわ。私もいるのよ」
「ルリもいるよ」
「そうね。ルリもいるわ」
「・・・・・」
「アルマ。ねぇお願い。私達をちゃんと見て」
「アルマお母様、見て」
「....。トリシア、ルリ。ごめんなさい。私、また自分を過信するところだった。間違うところだった。ごめんなさい..」
「貴女は優しすぎるわ」
「うん、アルマお母様は優しい」
「ううん、私は愚かなだけよ」
ルリとトリシアの言葉が嬉しくて私は抱っこしているルリの頬にキス。
笑顔になるルリが可愛い。
ルリに癒されていたら目に映る頬を膨らませたトリシア。
「トリシア?」
「私にはしてくれないのね」
拗ねている。可愛い。
「ルリ、ちょっと目を瞑ってて」
「アルマお母様とパトリシアお母様キスするの?」
「な、なんでそんなこと知ってるの!?」
「アルマ」
「ん~~~~」
私達の様子に興味津々なルリ。
この子の将来がとても心配になる。
「・・・・・」
まぁ、いっか。
私はルリが見守る中、トリシアの唇に唇を重ねた。




