⑩
あれから二日が過ぎた。
王都からラナの街まではどんなに急いでも馬車で二日。
即ち後三日でレオン殿下がパトリシア様を迎えに来ることになる。私もついでに。
私は仕事も身に入らず、一日一日を怠慢に過ごしていた。
「アルマ様、お嬢様がお呼びです」
「....行かないとダメでしょうか?」
「アルマ様はお嬢様の使用人であることはお変わりなき事。であればお呼び出しには応じるべきかと」
「そうですよね。変なことを言ってしまって申し訳ありません。モーリス様」
「いえ。それでは失礼致します」
ぼんやりとモーリス様が私の部屋から退室するのを見送る。
動きたくなかったけど、暫くして鉛のように重い足を無理矢理引きずってパトリシア様の自室へ。
「お嬢様。お呼びと伺いました。アルマです」
「入って」
「失礼致します」
こんな時でも身に着いた仕草はちゃんと仕事をすることに笑ってしまう。
静かに扉を開けて静かに閉める。
当たり前のようにお茶セットの前へ。
「今日はお茶は良いわ」
「畏まりました」
「アルマこっちへ来てちょうだい」
「はい」
呼ばれてパトリシア様の前へ。
一拍置いて言葉を吐く。
「ご婚約おめでとうございます」
「...それは貴女の本心からの言葉かしら?」
「....っ。この縁談が成功すれば国も更なる繁栄が約束されるでしょう。私も嬉しい限りで」
そこまで言って"つぅ"と頬に涙が伝う。
それ以上どうしても言葉が続けられず私は泣き崩れてしまう。
「申し訳...ぅっ......」
これではこの縁談は反対と言っているも同然ではないか。
パトリシア様に失礼に当たってしまう。
それなのに。それなのに私は――――。
「行かないで...下さい。お嬢様....」
なんてみっともない。
格好悪い。
取り消せ。取り消せ。早く、早く。
「お嬢様が...」
私は強く唇を噛む。
血の味を感じてそこだけは乗り越えないことに成功する。
偽の笑みを顔に張り付け、力なく立ち上って私はパトリシア様の使用人となる。
「取り乱してしまい...失礼致しました」
「アルマ」
「私はまだ仕事が残っておりますので、これで失礼致します」
パトリシア様に背を向けた瞬間に抱き締められる。
感じるのは温もりとぬかるみ。
パトリシア様が泣いていらっしゃる――――?
「本音を教えて。貴女も殿下のものになるのよ。そんなの耐えられないわ!」
「お嬢様」
「ええ、貴族失格なのは分かっているわ。でも無理だわ。貴女が好きなの、アルマ」
「――――?」
今パトリシア様はなんておっしゃっただろうか?
私のことが好き? 私にはそう聴こえた。
「・・・・・」
「...ごめんなさい。忘れてちょうだい」
暫くして落ち着いたらしいパトリシア様が私から離れる。
温もりが遠ざかり、どうしようもなくなる私。
「お嬢様」
私は振り向いてパトリシア様の肩を掴み、その唇に唇を重ねた。
◇
約束の日の前日。
パトリシア様と私はベットの中、いかにして角が立たないよう今回の縁談を断るか共に考えていた。
これは政略結婚。下手を打てば国と国との友好関係に亀裂が入る。最悪の場合は戦争。
前世の日本では考えられない常識だけど、この時代・この世界では当たり前のこと。
とは言ってもその日本でも少し前まではそうだったのだけど。
ううん、富豪の娘達は今でもそういうこともあるのかな?
私は庶民だったからそっちの世界のことは知らないからなんとも言えない。
「断るのは難しいわね」
「そうですよね。では殿下の正室と側室となりながらも関係を続けますか?」
「絶対嫌よ! 例え殿下でもアルマを抱かせるなんて"ぞっ"とするわ」
心底嫌そうなパトリシア様のお顔に頬が緩んでしまう。
私なんかのことをこんなにも。嬉しい。それに私も同じ気持ち。
パトリシア様を取られたくない。
「お嬢様」
「アルマ、ダメよ。今は殿下とのことを考えるのが先だわ」
「分かっています。でも一度だけでもダメですか?」
「仕方ないわね」
パトリシア様の許可を得てその首に手を回して見つめ合う。
今のパトリシア様は翡翠色の瞳。私の血を吸う時は深紅の瞳となる。
通常魔族は深紅の瞳だけど、ハーフのパトリシア様は欲望により変わるみたい。
その瞳が潤んでいる。口では明日のことを憂いながらも心は期待して下さっているのが分かる。
頬がほんのりと紅。瞳が閉じられて私はパトリシア様の瑞々しい唇に唇を近づける。
すぐに零となる距離。実は昨日から何度もこうしているけど、その度に胸の奥に幸せが広がる。
私はパトリシア様を愛しているのだなぁって何度も自覚する。
酸素が足りなくなって苦しくなる限界まで。
名残惜しく離れると今度はパトリシア様が私との距離を零にする。
手と手も繋ぎあって身体と身体も密着。
お互いに息を吐く。
「一度だけじゃなかったんですか?」
「あんなに私を求めてくれて我慢出来なくなるの当たり前だわ」
拗ねるパトリシア様も美しい。
笑う私にパトリシア様はますます頬を膨らませる。
「何笑ってるのかしら」
「申し訳ありません。お嬢様があまりにお可愛らしくて」
「かわっ...。アルマ、貴女」
「はい?」
パトリシア様の瞳が深紅に。
私の首筋をその手で撫で、目を細めて"私"を見る。
"ぞくりっ"とする。
蛇に睨まれた蛙のよう。
身動きが出来ない。
「愛しているわ」
皮膚を舐められ、牙が突き立てられ、手が私の身体を這う。
私は前世、今世とも生まれて初めて淫らに乱れた。
…
お屋敷のお風呂。
行為を終えたパトリシア様と私は隣り合って浴槽に沈んでいる。
水面下でしっかりと繋がれた手がお湯の温度以上に温もりを感じる。
あんなことを終えた後なのにパトリシア様のほうに顔を向けられない。
一糸纏わぬパトリシア様が私の隣にいらっしゃる。
意識すると頬が紅に染まる。
「・・・・・」
「・・・・・」
勇気を出してそっとパトリシア様に近づいてみる。
触れ合う肩と肩。
パトリシア様のお身体が"ぴくっ"と震えた気がするけど、一瞬だけですぐに普通になる。
少しして"ちゃぷん"と水音。
「アルマ」
「はい」
「ごめんなさい」
「えっ?」
「貴方の傷...。残ってしまったわね」
パトリシア様が私のお腹に触れる。そこには薄っすらと残るあの時の傷跡。
「お嬢様のせいではございません。それに私は残ってよかったと思っているんです」
「...! どうしてかしら?」
「これを見るたびに自分の浅はかさを思い出すことが出来ますから」
私はパトリシア様に安心して貰うよう微笑む。
その私の笑顔を見て何処か浮いた感じのお顔をなさるパトリシア様。
ほぅと小さく息を吐かれる。
「.....。アルマ、私をはしたないと思うかしら? その...貴方とまたキスしたいのだけど」
思うわけないです。可愛いです。
主にそういうのどうかなって我ながら思うけど、今更かな。
「思いません。私もしたいです」
「もっとちゃんとこっちを向いてくれる?」
「はい」
パトリシア様の照れたお顔は多分私も同じ感じ。
身体が触れ合った時に感じた胸の鼓動も同じ。
私達は世界に二人だけとなったかのように唇と唇を重ね合わせた。
何度も何度も。
◇
約束の日当日。
何も思いつかなかった。
ううん、最初以降もう考えなかったというほうが正しい。
パトリシア様と私は普段着でレオン殿下の到着をお屋敷で待つ。
昼食の刻を超えて世界が紅に染まろうかという頃に殿下はラナの街にいらっしゃった。
「ようこそおいで下さいました。レオン殿下」
「うむ。約束通り迎えに来たぞ」
「はい。私共も用意は整っております」
パトリシア様が真っ直ぐにレオン殿下を瞳で射貫く。
用意は整っているけど、用意なんてしていない。
異変にすぐに気付いた殿下はまじまじとパトリシア様を観察。
「少し見ぬ間に"女"の顔となったように見えるが気のせいだろうか?」
この言葉にはさすがのパトリシア様も軽く動揺を見せる。
前世日本であれば失礼に当たる言葉。
セクハラで訴えられても仕方ない。
でもここはそんな日本ではない。
「真剣にお付き合いをしたいと考えている方がいるのです。ゆくゆくは結婚も視野に入れております。ですが私とアルマが嫁がなければ国が戦火に見舞われてしまうかもしれません。殿下、この身体は殿下に差し出しましょう。それが貴族の務め。ですが心は殿下に差し出すことは出来ません。生涯形だけの結婚となりますが、ご容赦下さい」
「僭越ながら私もお嬢様と同意見でございます」
縛り首や火炙り。
国の次期頂点に啖呵を切ったのだ。
パトリシア様はともかく私はそれくらいは覚悟しなくてはならない。
本音を言えば怖い。ううん、今の怖さはまだ仮の怖さ。死の直前になって私は絶望に打ちひしがれるんだと思う。
それでも私は殿下に心を許すことは出来ない。
私の心は私のもので、大切な人のものだから。
重苦しい空気が部屋に充満する。
誰も二の句を出すことが出来ない。
その沈黙を破ったのはレオン殿下。
「くくくっ...。はっはははは。なるほど、そういうことか。しかし君達は女性同士だろう?」
「私も始めはそう思いました。ですが日に日に彼女への想いは募るばかり。殿下に結婚を申し込まれたことで失礼ながらこの想いは本物だと自覚致しました。私はアルマを愛しています。前例がないなら作りましょう。新しくなっていくこの街のように」
パトリシア様がお屋敷の窓から外を見る。
ここから見えるのは中庭。けれどパトリシア様の瞳に映っているのはその外側の街並み。
私によりラナの街は刻一刻とその姿を変えている。
見えるところも見えないところもそれまでとは違っていっている。
「私はアルマが好きです。それと同じくらいこの街のことも愛しています」
「・・・・・」
私はパトリシア様の言葉にほんの少し引っ掛かりを覚えた。
今はイザベラ様のものとなってしまった伯爵領のことが気にかかっているのだろう。
思い出の詰まった土地。出来ることならなんとかしたいけど。
「つまり君達は俺との結婚を断るということだな?」
「いいえ、先程も申し上げた通り身体は殿下に差し上げます」
「くくっ。そうか。それでも魅力的な提案だとは思うが、いや、ならば見せて貰おう。君達の理想を。縁談は破棄する」
「えっ!?」
「そのように嬉しそうな顔をするな。さすがに傷つく」
「も、申し訳ございません」
「式には呼んでくれ」
「はい。一番にお知らせしたいと思います」
「楽しみにしている」
殿下は爽やかに笑うと立ち上がり、その足で国にお帰りになられた。
…
夜。
「これで良かったのでしょうか」
パトリシア様の自室。バルコニーに二人で出て私達は抱き合いながらお互いを見つめ合っている。
「あら、アルマは殿下と結婚したかったのかしら?」
「いえ、そうではありませんけど」
「あの方は言動よりも賢い方だわ。接してみて思ったの。きっと理解して下さってる筈よ」
「それならいいのですけど」
「アルマ、それより私を見てちょうだい。こうしているのに他の誰かを貴女が見ていると妬けてしまうわ」
「お嬢様」
「パトリシアと呼んで欲しいわね」
「.......パトリシア様」
「ふふっ。今はそれでいいわ」
パトリシア様が微笑み、その唇が私の唇に。
私達はその日、永遠の愛を誓い合った。
◇
五年後。
"私"の前世日本の街並みとヴェネチアの街並み、中世後期程度の街並みが融合した街ラナ。
そこはこの中世初期の時代を生きる人々にとっては楽園と言える場所。
そんな楽園を私達は改装・新設されたお屋敷の三階の窓から眺めていた。
眼下に広がるは学園や商店街、保育園といった建物が立ち並ぶ活気溢れる街。
魔鉱石を用いた街灯が設置され、そのおかげで夜であっても比較的安全に歩くことが出来る。
初期は田舎だった街は今や都市と化し、他領からこちらへの移住希望者も後を絶たない。
お屋敷の使用人達も十人だったのが十倍に膨れ上がった。
「失礼します。アルマお嬢様、パトリシアお嬢様。そろそろお時間でございます」
「もうそんな時間。ありがとう」
「ふふっ、アルマは職位を賜ってもあまり変わらないわね」
「パトリシア様..じゃなくてトリシアそれは言わない約束だわ」
私はただの使用人からパトリシア様と同じ伯爵令嬢になった。
それというのも私とパトリシア様...。
トリシアと私は婦々となったから。
使用人と伯爵令嬢では世間体が悪かろうと王様が爵位を下さったのだ。
お互いの左手薬指に輝く指輪。私達が結婚する時はそれはもう国中が大騒ぎになった。
同性婚なんてない世の中。私達が初めてのケース。
反対もあったけど、私達が築いてきた人脈に後押し・守られて私達は無事式を挙げた。
今では少しずつだけど私達に続く人達もいる。
そういう人達にとって私達は目標であり、憧れの存在。
私は妻の手を取ってお屋敷の廊下を歩く。
階下に降り、一階の中央、荘厳な扉を開けると大勢の人々。
貴族に平民、私達に縁のある人達。
私とトリシアはその人達の間を進んで奥へ。
この部屋はパーティ会場。
そこそこ豪華な調度品と内装、私はワイングラスを手に音頭を取る。
「今日は私と妻の四年目の結婚記念日に起こしいただいてありがとうございます。僅かな時間ではありますが、皆さまどうぞパーティをお楽しみください。乾杯」
掲げるワイン。
宴が始まった。
…
宴もたけなわ。
会場の熱気に些か疲れた私は外に出て熱を冷ましていた。
特に何をするでもなく夜風に吹かれる。
そうして待っていると私の元に歩いて来る待ち人。
「誰かを待っているの、アルマ?」
「トリシアを待ってたのよ」
分かっているくせに。その顔を見たら分かる。
小悪魔な笑み。私は何処までもトリシアに惹かれる。
「トリシア」
「アルマ」
大切で愛してやまない妻の身体を引き寄せてその腰を抱く。
強く力を入れると折れてしまいそうなその腰。
トリシア曰く私もそれは同じらしいけれど。
「貴女と会えて良かった」
「私もそう思うわ」
見つめ合って微笑んで。
「愛してるわ、トリシア」
「世界で一番愛してるわ、アルマ」
目を閉じ、ほのかに頬を紅に染めたトリシアが突き出した唇に私は唇を重ねる。
愛してる――――。貴女のことをずっとずっと。永遠に。
この二人だけの世界。
宴を抜け出してきた私達を追ってこっそりと物陰から大勢の人々に見られていたなんて私達は知らなかった。
「バカップル」なんてこの世界になかった筈のその言葉を最初に言ったのは誰だったのか。
私達はその日から前にも増して大勢の人々に生温かい目で見守られるようになる。
唇を離してトリシアを見つめる。
その瞳は今度は私に目を閉じろと訴えている。
素直に閉じると重ねられるトリシアの唇。
甘くて柔らかいこと、私だけが知っている。
私の唇の味と感触もトリシアだけが。
幸福に満たされる私達。
どちらからともなく私達は言った。
――――幸せだわ。
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第一部 End.
夫婦 ← 本当はこの漢字が正しいことは分かっています。
ですが作者的には女性と女性であるのにどちらかが「夫」。
言わば男性の役割を何故しなくてはならないのか?
という疑問がありまして...。
女性と女性が結婚してどちらも女性でいいじゃないか!!
ということでこの物語では「婦々」と書いて「ふうふ」と呼ばせてもらっています。




