丸山英治郎の影
しかし、世の中は自分の思い通りでない方向に進むものである。
そのような思いにとらわれている時、相馬中村藩の留守居役である山口将監が、信一郎の部屋に現れた。
「おお、まだおったか、鷲巣。ちょうどよかった。昨晩陸奥国の諸藩の留守居役の寄合があってな。その席で、丸山らしき男の話が出たのだ」
英治郎らしき武士は品川の旅籠で用心棒のようなことをしているという。
その武士は、話を聞き込んできた男が泊まっていた旅籠の門前で、ふたりの勤番侍が刀を抜いて争いを始めたとき、中から出てきて素手でふたりを取り押さえたという。
鮮やかなその手際に、野次馬どもは目を見張ったらしい。
その時に一言何かつぶやいた言葉に、陸奥国訛りがあったそうである。
山口の口調には、端々に弾むような愉悦が見え隠れする。
山口は、仇討ちという一大行事に自分が参加できたことに、無上の喜びを感じているようだった。
「今から出れば、陽が高いうちに品川には着けるの。丸山は、いつどこに行ってしまうかわからん。追うならば一日でも早いほうがよい。今朝のうちにおぬしに伝えられてよかったわ」
信一郎は急な話で気持ちの整理もできぬまま、屋敷を出ざるを得なかった。
外に出ると雲ひとつなく、灼熱の円球は突き刺さるように尖った光を容赦なく地面に浴びせ続けている。
胸も焼けるように熱く、信一郎は全身にびっしょりと汗をかきながら、ひたすら品川への道を歩いた。
無性に喉が渇く。
途中、何度も水を飲み、必死の思いで足を運ぶ。
手足は鉛のように重い。何度も藩邸に引き返そうと考えた。
このような状態で丸山英治郎と相対して、討ち果たせるとは思えない。
討ち果たせなければ、すなわちそこにあるのは自分の死なのだが、信一郎は虚ろな瞳で地面を見つめながら歩き続けた。
しかし、渋谷を過ぎたあたりで胸のむかつきは徐々に治まり始め、次第に腹まで減り始めた。
体も、自由さを取り戻しつつある。
途中の茶屋で餅を食うと、信一郎は目をつぶって動かなくなった。
しばらくして目を開けた信一郎の瞳には、しっかりとした力が戻ってきている。




