尋問は続く
コンクリ張りの部屋の中、伊田は五條の足から流れる血を無表情で眺めていた。しかし、五條の顔には苦痛の色は浮かんでいない。
「ひでぇ事するな、出血死したらどうすんだ」
「もしや、痛覚が効いてないのですか?」
「悪いな、その通りだ。」
先程のような薄ら笑いを浮かべながら答える。
流石にあの事件の首謀者だ、その気になれば痛覚を取り除くも不可能ではない、という事か、伊田はゆっくりと思考を巡らせる。そして、燻らせていた感情が胸の奥から湧き上がるのを感じていた。上林が声を掛けるのを手で制して、冷めた声をかける。
「出て行ってくれ」
「でも…」
「聞こえなかったか?」
しぶしぶ上林が部屋から出て行くのを見届けてから、五條に向かい合う、その表情に、五條は当惑せざるを得なかった。
そりゃあ嬉しいからですよ、五条さん、手間が省けて」
氷のような笑顔って、こういう顔なんだろうなと思いながら、雰囲気から今後の展開を何となく予想した五条はどんよりとした不安が胸に広がっていくのを感じる。
「いいのかい、あんだけ金と人使って結局おっさん一人殺しただけっていうのはちょっとまずいんじゃないか」
「こんな時に人の心配なんて、ずいぶんとお優しいんですね」
「そりゃ優しいよ」
伊田に向かってニヤリと笑いながらはっきりと言う。
「救世主なんだぜ?俺は」
伊田は笑顔を絶やさずに言う
「確かに、貴方は人類の救世主かもしれない、増えすぎた人口、消費される資源、進む環境破壊、技術の進歩がまるで追いつかないそれらの問題を最も確実な方法で解決した。それに賛同する者は少なくないし、貴方がやらなくても、近い将来に飢餓や戦争で同じような事態が発生し、人類はより深刻な絶滅の危機に瀕したとする科学者も大勢いる。私個人としても、我々の普段の仕事と比べればよっぽど正義感に溢れた行動だと思っています。」
表情を変えずにに淡々と語る伊田を前に、微かな希望の光を見る
「お、中々話せるじゃねえか」(もしや、これは助かるんじゃねえのか?)
「ただね、そんな事は関係無いんですよ、貴方が人類の救世主だろうと、何億人もの罪の無い命を奪ったテロリストだろうと、もっと言えばワクチンの有無だって私には大きな問題では無いんです」
「悪いが、言いたい事を簡潔に言ってくれねぇと俺には理解できんよ」
ふと、顔から笑顔が消え、無表情になる。
「あの日、私の娘は北京にいた」
(やっぱりか…)
状況を理解し、より暗い未来を予想する。そんな五条の前で、伊田は先ほど使ったばかりの銃の薬室に弾が自動装填されている事を確認する。
「分かったよ、何であんたが俺の護送ルートを、知っていたか。軍内部にもいるんだろ、あんたみたいな…」
銃声が響く、五条が伊田が片手で銃を撃った事を理解するのに数秒かかる。そして外れた事を理解するのにも同じくらい。
「今は私が喋っています」
淡々とした口調だった筈がいつの間にか随分と熱がこもっている。
(参ったなぁ、喋らせてもくれないか)
「そうです、私の同類は大勢居ますよ、主に家族を奪われ復讐に燃える方々が、先程貴方は私を心配して下さりましたがご心配なく、貴方の遺体の写真でも撮れば誰か親切な方がかくまってくれますよ、それから嬲り殺したりはしないのでご心配無く、どうせ痛みも感じない様ですし。この業界に長い間いると分かるんですがね、人間が本当に恐れているのは痛みではなく死だという事がよく実感できます。どんな人でもね、散々拷問した後、拳銃や肉切り包丁や両足に結ばれたコンクリートと漁船を見て命が終わると悟った瞬間、絶望と驚愕が混ざり合った様な目をするんですよ、命は助からないって事は大男に車に詰め込まれた時か、椅子に縛り付けられて目が覚めた時か、それとも組の誰かがヘマやらかした時か、少なくともあの目になるずっと前に分かっていたはずの彼らが、それでも人間がこんな絶望を感じる事ができるという事実に驚いているようにさえ見えるようなる顔になる、死とはそういうものなんです」
「そりゃ楽しそうだ」
五条の軽口を無視し、伊田が銃を構えようとした瞬間、ドアが叩かれる。伊田は少し迷い、銃を向け、狙いもせずに引き金を引く。
銃声と共に発射された弾は五条の背後のコンクリの壁にめり込む。
「ついてますね」と声をかけ、伊田は部屋を出る。そして、五条はワクチンの所在が自分の生命線になるという楽観的すぎた考えを反省する。