2
立ちつくした道には、誰もいない、
見渡しても、誰もいない。
声を上げてみた。外で声を発するのなんて、ここ数年なかったためか、発したように感じただけで、実際は喉から空気が抜けただけだった。
後ろをついて来ていたクロックドールが、僕の足にぴったり張り付いたのを見て、僕はもう一度、今度こそ声を出した。
「だ、だれか、いないの?」
そう発した途端、堰を切ったように、僕はその場を駈け出した。凹凸のない道を走る。走っても走っても誰もいない。
「はあはあ……どうしてっ」
立ち止まり、道路一面に、不自然に散らばっているものを拾う。それは服だった。そして、時計や髪留め等の身につける嗜好品、シリアル端末にブレインチップ……そんな物たちが、何も、塵ひとつ落ちている筈のない道に散乱している。まるで、人のいた痕跡を残すように。
自動塵除去装置が作動しているのか、落ちていた、人の痕跡が音もなく消されていく。
僕には家族や友人、知人すらいない。誰がどこへ行ったのか、確かめるすべもなく、住処があるレストラン街の地下へ戻ってきた。
一体、何が起きたのだろう?
人は、どこへ行った? いや、どこへ消えた?
寝床に潜り込んだ。心臓がドキドキしている。闇雲に走り続けた所為だけではない。何が起こったのか解らない現実に、言いようのない不安を抱いているからだ。
嗚咽が聞こえた。僕の声だ。何故泣いているのか自分自身にも理解出来ない。
悲しむことなんてない。泣くことなんてなにもない。泣く様なことがどこにある? いまさら何かあったとして、それがどうしたというのだ。
「僕は、宇宙に行く、それだけじゃあないか」
そう、それだけだ。なのに涙が止まらない。
(だって、だってさ、地球は僕を捨てたんだ)
そんな筈はない。そんなことある筈がない。
(悲しいなんて、ある筈がない)
とめどなく流れる涙をそのままに、僕は思考の防衛の為に眠りに落ちた。
僕は本来、存在してはいけないとされる人間だった。
地球連合が発足し、人を監視下に置くことを目的に、満8歳の子供にブレインチップを埋め込むことを義務付けたが、8歳に満たない子供は、膨大な記憶と記録のデータの受容に耐えられないという理由から、ブレインチップは埋め込まれず、親にリンクする形をとる。
情報の安定化の為に、子供は親に従属しなければならず、それ以外は認められない。だから、親のいない8歳未満の子供は、どのような理由であれ、処分の対象に上がる。
僕がその処分対象に上がったのは、皮肉にも、8歳の誕生日を迎える一週間前だった。
僕が生き残るための手段はひとつしかなかった。今考えてもそれ以外の方法があったとも思えない。いや、違う。それ以外の方法などしたくなかった。
(後悔はない)
僕は夢の中でも、そう何度も自身に言い聞かせ続けた。
次に目覚めた時、僕は目的を果たす為の機械の精査を始めた。ただ、やはり外の様子も気になるので、クロックドールを外に出し、周囲の数値を演算させている。異常があれば(この場合の異常というのは、例えば、僕以外の人物の察知等)知らせに来るようになっていた。
負荷が掛かる為、クロックドールには極力、そういった機能を使わないようにしていたが、出来る限り、僕は外に出たくなかった。それは、こうなる前にだって思っていたことだったけれど、今は一層その気持ちが強い。
ひとつひとつ丁寧に精査を行っていくと、部屋の端に置いてある機械を見つけた。その用途の特性から、長らく使っていなかった筈なのだけれど、どうやら最近起動した痕がある。セットしていたリールが巻き切っていた。
(こんなもの、どうして?)
これは、地球連合のあるデータ配信でしか反応しないものだ。
僕はブレインチップがなく、個体識別用のシリアル端末も単体で、どこにもリンクしていない。だから、緊急時や重要性のあるメッセージをどこにも受け取る事ができないので、その通信データをこの録電子機器で拾っている。
埃を被っていた機械を引っ張り出し、手のひらで無造作に払い、リールを引きだす。液晶モニタに繋ぐ時間も惜しくて、リールからフィルムを伸ばしながら、直接電子記号を目で拾い、頭の中で組み立てていく。
「なんなんだ、これ」
メッセージ自体は、地球連合の定期演説だが、電子記号が所々、継ぎはぎみたいに滅茶苦茶だ。これではスムーズに通信が出来た様には見えない。
(ノイズ? そんな馬鹿な)
古代物では当たり前に、それこそ頻繁に起こるノイズは、現代の機器で発生することなど、まずあり得ない。ノイズ自体を知らない人が普通なので、それが起こる可能性はないと言って良い。
(ノイズでないとすると、これはなに?)
椅子に深く座り込んで、フィルムをつぶさに見ていくが、やはり意味のある羅列とは思えない。
「繋げてみよう」
リールに巻き直し、データが配信された状態を再現することにした。映像と音声データの二組なので、液晶モニタとスピーカーに繋げ、シリアル端末を使って変換する為に起動した所で、悲鳴が聞こえた。
「きゃーたすけてー」
全く切迫感のない悲鳴だが、聞き慣れた声だった。
「クロックドール!?」
僕は部屋を飛び出すと、レストラン街に出た。声が聞こえたということは、地上ではない筈だ。
「ああ、クソっ、動くんじゃねえよ」
「はなしてー」
僕の部屋から数十メートルの所で、黒い人影が見える。その黒い人影は、クロックドールの襟首を掴み上げていた。
(え、え、え、ええええええ、人ーーー!?)
心の中で大きく叫ぶが、思い切って上げた声は、「ひと、ですか……?」モスキート音もびっくりな空気が抜けた様な声だった。
「お前の飼い主はどこだ?」
「ヒカルは部屋にいる」
僕の声はもちろん聞こえなかったようで、クロックドールは持ち上げられてぶるぶる震えながら、人影に僕の居場所を抵抗することなく暴露した。
(まあ、普段、負荷のかかる事はするなって言い聞かせてるけどさ。躊躇もしないって酷くない?)
「ヒカルって奴はどこの部屋にいるんだ? つーかきったねえ場所だな」
貧民層のレストラン地下街が綺麗な筈はない、とは言わず、僕は名乗り出ることにした。
「ヒカルは僕。クロックドールを離してやって」
「うわっ」
「ヒカルー」
後ろから人影の肩を軽く叩いて存在を示す。こんなに近いのに、こうまでしないと気付かれないなんて、僕の存在感は地の底にまで落ちているらしい。
(別に、良いけどね。それで生きていけた訳だし)
人影から逃れたクロックドールが僕の足にくっついた。それを確認して、僕は人影の姿を改めて目にとめる。
シングルのスリーピース・スーツを着た大人の男だ。スーツを着た地球人種などひとつしかない。
(この人、華族だ)
男も僕の上から下までを見ている。きっと僕と同じように(こいつ、平民か)と思っていることだろう。
「俺は東海だ。お前は?」男は名乗り、僕に促す。僕はこういう流れを作るのに慣れていないから、トーカイが促してくれれば話しやすい。
「僕は、南条光。こっちはクロックドール、名前はないよ」
クロックドールはトーカイを警戒してるのか、僕の足の間から離れない。
「ナンジョウ、ここにいる人間は、お前一人なのか?」
「ここから離れてないから解らないけど、今朝から誰にも会ってないし、見てない」
「俺もだ。シリアル端末は無事なんだが、ブレインチップがイカレちまって全くデータが使えねえ」
僕はトーカイのその言葉に少し引っ掛かりを覚えた。
(ブレインチップがイカレる?)
そんなことがあるのだろうか? それとも、ブレインチップがイカレるほどの事があったのだろうか?
些細なことが気になり始める前に、僕はやるべきことが途中なのを思い出す。
「ちょっと僕、やらなきゃいけないことがあるんで」
そう言って失礼したが、トーカイは後ろをついてくる。
「お前、マイペースな奴だなー」
十年近く他人と話しをせず、接触もしなけれなマイペースに成らざるを得ないだろう。
部屋に戻って椅子に座り、リールを巻き込めるようセットする。
(この電子記号に意味はあるのか?)
処理音が数秒続いたが、やがて地球連合の演説が流れ始める。
「これって、一昨日流れた演説か?」
確かにトーカイは一度これを聞いている筈だ。
フィルムは変だったのに、これといって、異質な音を拾わないのを不思議に思っていると、トーカイが椅子越しに身を乗り出して音声が流れるスピーカーに近づき凝視したまま、眉間に皺を寄せて険しい顔をする。
「ブレインチップがねえから確かじゃねえけど……俺が聞いた音声と内容が全く違う。それに、」
トーカイはひとつ呼吸を置いた後、絞り出すような堅い声で告げた。
「この演説を聞き終えた記憶は俺にない。次に気付いた時には、人間が消えていた」