幸せな男
世の中には二種類の人間がいるんだ。持つ者と、持たざる者だ。
それは国の話だって? まあ聞けよ。これは俺が実際に経験した話なんだが−−。
前の職場はな、オフィス資材の販売所だった。注文を受けてパソコンから発注依頼を流すだけの仕事だ。月末のグラフ作成が面倒なのを除けば、あとは気楽なもんさ。車で二十分も走れば海沿いの道に出るから、帰りにスカッとしたい時はよく寄っていったよ。
同僚にジムって白人がいた。髪は綺麗な金で、目は海辺みたいに真っ青だった。身長はちょっと低いんだが、身体はパワフルだったよ。学生時代、アメフトのレギュラーだったらしいんだな。彫刻みたいな身体をしていた。大英博物館にいけば、アジア人が服を剥いて写真でも撮るだろうさ。
性格も真っ直ぐなやつで、何をするにしても歯を見せて笑うんだ。二言目には「ラッキーだったよ」と言う。
ジムは物を失くしても必ず戻ってきた。不思議なのが、自分のだけじゃない。他人の失くし物も出てくるんだな。超能力捜査官みたいに場所を言い当てるわけじゃないが、例えばお前が家の鍵を失くしたとする。ジムに相談すると、じっと見つめてこんなことを言うだろう。
「君は今日家に帰ったらまず風呂に入るべきだ」
だから家の鍵がねえんだよファックって話なんだが、とにかくお前は家に向かう。言われた通り、まず風呂に入ることを考えてな。
途中、気づくんだ。そういえばお気に入りのシャンプーボトルが空だったぞってな。お前の数少ない長所が真っ黒い髪だ。これをギトギトにして出勤するくらいなら、まだピーナッツバターで固めてきた方がマシだな。
さて、お前はシャンプーを買いに店に行く。目的のものを手に取ると、そこでカートを押した大家に出会うだろう。実は既に大家にはお願いしてあって今日の夜にスペアキーで開けてもらう予定だったんだ。カゴの中に大量の食材があるのを見て、子供たちの夕飯の用意をするために夜を指定されたんだな、と合点がいく。この糞大家−−と思うだけにしておいて、俺は予定より早く鍵を受け取ることが出来た。
ああ、すまない。これは俺の体験談さ。おかげでフットボールの中継試合に間に合い、ビール片手にテレビの前にふんぞり返ることができたわけだ。
翌日ジムに聞いたよ。お前は超能力者なのか、大家の行動が分かったのかってな。ジムは首を横に振ってから言ったよ。
「ラッキーだったね」
ってな。あの真っ白い、綺麗に並んだ歯を見せてな。
俺はモルダーを頭のイカれたサイコ野郎だと思ってるが、ジムのことは信じたね。こいつは何か不思議な力を持ってる。でなきゃ、神に愛された特別な人間なんだって。
さて話の本題はここからだ。今の話はサラダのドレッシングくらい薄味の、ただ無きゃ無いで困る話だ。
ジムってのは基本的に不運な人間だったのさ。年に四回は空き巣に入られているし、ひったくりやスリの被害を受ける常連でもあった。小鳥が見かけたら必ず止まる枝みたいに、なにかとついばまれていたよ。
俺らは「またかいジム」って言う。するとジムは笑って、
「ラッキーだったよ」
と言うんだ。金を取られただけで怪我はなかったってな。万事その調子さ。トイレに行けばファスナーが壊れて開かない。コーヒーメーカーで朝の一杯を注ぐとお湯が出てくる。コピー機を使うと詰まるってな。
そのたびあいつは笑って言うのさ。これなら大したことがないから、ラッキーだって。実にポジティブなやつだ。幸せな野郎だとみんな思ってた。
幸せというのは半分皮肉だが、半分本当だ。あいつには美しい妻と娘がいたんだ。
天は二物を与えずと言うだろ。でもジムには与えられていた。あれだけ見た目に恵まれ仕事も出来て、幸せな家庭があるんだから、彼が不幸に見舞われると「ああ、神様がまた天秤を傾けていらっしゃる」と微笑むことができたわけだ。実際大事になったことはないしな。
そんなある日のことだ。公園の樹が丸裸になる季節だ。雪も降っていたかな。あの頃、街では連続殺人事件が起きていた。若い女ばかりを狙って、犯した後にバラしてゴミ箱に捨てちまう糞みたいな事件さ。その日の朝、新聞では七人目って字がでかでかと貼り出されていた。
犯人は依然不明。人目につかないところを一人で歩かないことって、どこの家庭でも口酸っぱく言っていた。
夕方、ジムに電話がきたんだ。嫁さんからだ。小学生の娘の帰りが遅いんで、迎えに行けないかって電話だった。
俺を含め、職場のみんなは早く行ってやれと薦めたよ。美人な娘さんなんだ。父親みたいに真っ青な目、綺麗な金髪。背もすらっとしていて、人形みたいだった。小さいとき、妹が持っていたバービーを思い出したね。
ジムは固まって動かなかった。受話器を置いたまま、放心していた。
どうしたんだジム、声をかけると、彼は笑いたいのか泣きたいのか分からないような表情で俺たちを見た。
「それじゃあ、先に帰らせてもらうよ」
そう言って、タイムカードの退勤欄を打刻して帰っていった。
次の日、ジムは定時を過ぎても来なかった。彼の家に電話してみたが、誰も出なかった。無断欠勤をするなんて珍しい。というか、絶対にしないであろう男だったから、みんな胸騒ぎがしていたよ。
昼頃かな。彼から連絡があったのは。
電話を取ったのは俺だった。驚いたよ。彼はかすれた声で「迷惑をかけたね」と言った。
開口一番、大丈夫かとたずねたよ。すると彼は
「ラッキーだったよ」
と言うじゃないか。いつもの綺麗な歯並びを思い出して、なんだかほっとしてしまった。
「でも明日から仕事に行けそうにない」
どういうことかと聞いたよ。
「うん、腕をね。なくしてしまった」
俺は確認した。ロボットアームとか、テディベアのものの可能性だってあるだろう?
「そうさ。今妻に受話器を当ててもらっている。それと、娘もなくした」
さすがに絶句したね。それでも聞かずにはいられなかったから、そうだな、ずいぶんしどろもどろと質問したな。変な話だが、彼よりも混乱していたよ。
「遺体は引き揚げた車から出してもらったよ」
上司に話をしたら状況を確認してこいってことで、病院まで車を飛ばした。その病院が海沿いにあるもんだから、太陽の光を反射する冬の海を尻目に車を飛ばした。
僕を見ると、ジムは妻をロビーで休んでくるように言って部屋から出した。奥さんは疲れ切った顔をしていたよ。無理もないな。
確かに腕がなかった。両腕だ。筋肉は相変わらずで、例えは変だがミロのヴィーナスを連想してしまった。
俺は無い頭をひねって、不幸を慰める言葉を発した。するとジムは「いいんだ」と言う。
「気にしないでくれ。これは最善の結果なんだ」
強く頭を打っておかしくなったんじゃないかって、そう思った。
「良かったんだ。本当にね。そうだな、君には話しておくよ。信じられないかもしれないが、僕は神の使いにあったことがある。あれは中学の時さ。それまでの僕は、とにかく怪我ばかりしていた。あまりの多さに注意散漫な生徒だと烙印を押され、入りたかったフットボール部にも教師から拒否されてしまった。危ないからってね。だから僕は陸上部で足腰を鍛えた。高校でフットボール部に入っても困りたくなかった。それでも怪我は多くて−−地雷原でも走ってきたのかと笑われたもんさ−−母さんから包帯代が馬鹿にならないから運動なんてするなと怒られた夜さ。もう寝ようと照明のスイッチに手をかけたタイミングで、彼が現れた。窓から首を出して「私は神の使いだ」なんて言うのさ。
犯罪者だ! 声を上げそうになったけど、口を塞がれた。実に素早かった。このまま僕はこの変質者に殺されてしまうんだと思ったよ。だって彼には白い翼も無ければ、頭に輪っかだってない。それどころか、表情からまるで神聖さを感じさせない。スラックスによれよれのワイシャツを着て、上に何故か白衣を羽織っていた。どちらかというとマッドサイエンティストみたいな風体だったな。
彼は耳元でこう言った。「申し訳ないことに主があなたのパラメーターの振り方を間違えた」ってね。僕の運が悪いのは、神様が間違えて設定してしまったんだとさ。成長するに従ってどんどん悪くなっていく。このままではいずれ、文字通り不運な事故で命を落とすとまで言われた。
どうにかしてくれよと僕は言った。彼は頷いてから「あなたに特別な力を差し上げます。その不運さはもうどうにもならない。その代わり、最善の選択が分かる能力を与えます」ってね。
気づくと朝だった。ベッドの中で階下の母親の呼ぶ声で目が覚めた僕は、変な夢を見たなと思っていた。布団を押しのけてベッドから降りようとしたときさ。直感的に「僕は背伸びをすべきだ」と思ったんだ。直感的に思ったのだから、僕は実行した。大した事ではないしね。すると間もなく、妹によって勢いよく部屋のドアが開かれたのさ。僕はその時気にも止めなかったが、もしもそのままドアに向かっていたら、足の小指をぶつけていただろう。
そんな調子で、僕は直感的にすべきことが思い浮かぶようになった。変だなと思ったのは、あえてその直感とは違うことをしたときだ。
目の前を憧れの女性が歩いていてね。手で突いて押すべきだと思った。そんなことが出来るわけないだろう? だから、そこはぐっと堪えたんだ。すると彼女の頭に鳥の糞が落ちた。彼女は泣きそうな顔で振り向いて、僕にビンタすると走り去っていったよ。
この時からだ。僕は徐々に、あの奇妙な男と話したことは夢じゃなかった、夢だとしても、話の内容は本当のことなんだと理解し始めた。それ以降はその直感を信じて行動した。少しでもためらったり、従わなければ、それは怪我や不運に見舞われることを意味していたのさ。
逆に言えば、直感を信じて行動すれば間違いが無かったんだ。どんどん成功して、高校では夢のフットボールのレギュラーにすらなれた。学内のマドンナ――頭で糞を受け止めたクールビューティーさ――とも付き合って結婚もできた。順風満帆さ。
でも、それに併せて、僕の直感も無茶な内容が増えていった。彼は確かにこう言った。「その運の悪さはもうどうにもならない」「しかも成長するに従ってどんどん悪くなっていく」ってね。つまり、僕の不運がどんどん酷いものになっているから、避けるための行動も比例していったんだ。僕は直感に従い続けた。もしも従わなかったらどうなるか、恐ろしかった。
……そして昨日の電話だよ。娘の帰りが遅い。迎えに行ってと言われて、浮かんだ直感は「僕は娘と車で海に飛び込むべきだ」だった。恐ろしかったよ。だって、これよりもっと残酷な何かが起きるってことなんだ。それはつまり、もしかすると、凶悪犯が娘に手をかけるってことなのかもしれない。いや、おそらくそうなんだ。それだったらと、僕は直感に従った。今までしてきたようにね。
結果、娘は五体満足で綺麗な体のまま死ねた。僕は代償を払ったけれど、娘が無事に死ねたのは幸運なんだ。この力のおかげさ。本当、ラッキーだったよ」
ジムは歯を見せて笑った。でもあの目。今でも思い出すね。あの目は、どこも見ていなかった。
なあ、お前さんはどう思う。彼は、持つ者だったのか、持たざる者だったのか。