責任を・・・
主は命を絶ち、また命を与え陰府に下し、また引き上げてくださる。
旧約聖書 サムエル記 二章 六節
三河湾に造成された工業用地の一画にコンテナが集積される場所がある。自動車の積み出しを主とする流通の拠点であるため昼間には車両の往来で賑わうが夜となると打って変わったように夜の静寂が支配する。
積み出しを担う会社が入っているビルとて例外ではない。すべてをセキュリティシステムに委ね、今は人っ子一人いない。
そのビルの外階段を上る一組の男女があった。両者はともに十代の風貌をしている。
「寒いね。」
「真夏なのにな」
この時、僕は初めて彼女の目を見ることができた。
「ねぇ、一つだけ聞いてくれる?」
「おう、何でも聞くぞ」
「あたしはね、中学生の時に自分がどれだけ無意味な存在かを知ったわ。そして思ったの〔何でこんな希望のなくなるような世界に生まれちゃったのかな〕って。それからはなんだか悲しくなって、どんなに楽しい事があっても負に積算されてくの。だから日常が嫌いになった」
「わかるな。日常になんざぁ魅力なんて微塵もねぇっていうの。」
「えっ・・・。いや、そうでしょ。」
着いた、屋上だ。僕はなぜ自分がここまで来たのかまだわからない。いつの間にか彼女に頷いていた。その約束を守るためだけに付いてきた。多少なりとも恋心を抱いている相手に頼まれて断るという選択肢は無かったのだろう。だからまだ決心がついていない。
「優希、今でもこの下ではお前の嫌いな日常が過ぎているんだ。」
「だからなんなの?」
「お前は人生の最後にまで嫌いな場所にへばりつく気なのか、そこまで執着すべきものではないだろう」
「飛び降りるのが怖いと言いたいんでしょ。大丈夫、行き着く先が地獄でもあたしが守ってあげるから。」そう言うと彼女はおもむろに鞄から一升瓶を取り出した。
「今生の別れよ。日の出まで精一杯楽しみましょう。」
信じがたかった。彼女の表情がなんと清々しいことか。寸分の迷いも無いように見える。
それから僕たちは酒を飲んだり、ラスト・ワルツを踊ったり…、とこの世に思い残すことがないよう様々なことをした。
その間でも僕は思考をやめなかった。
(死は覚悟した。)
(もう生きることを考えてはいけない。死は確実に約束されているのだから。)
(彼女は、優希は、どうして清々しくできるのか。)
(明日に夢を持ってもどう足掻こうがそれは夢でしかない。)
でも、海が金色に染まるにしたがい、いまは我が身の死など大したことなどないと思えて微かな笑みさえ浮かべることができる。
僕はなんと幸せなのだろう。死を目の前にしながら、苦しみや悲しみも恐怖さえ無視して笑える。
「日の出よ。一緒に行きましょ。」
彼女の手を握りしめ、下界へと踏み出した。
小さな一歩かもしれないが死ぬには十分に大きな一歩である。
「わがままに付き合ってくれてありがとう。あの世で苦楽を共にしましょう。愛してたよ」
「この先も一緒だからな。」
次の瞬間、彼女の頭がはじけ、激痛が僕を襲った。
「この川を越えればお前の望む世界だ。さしづめ三途の川ってところかな」
「ええ。あっ、あたしが死ぬ前に言ったこと覚えてる?あれ、死後があるなんて思ってなくて・・・
その・・なかったことにしてほしんだけど。
だめ・・・かな?」
「告白のこと?いいよ。世界が違うからね!心機一転しなきゃ
じゃあ、行こうか。裁きを受けに」
彼らは死者の列に混じり閻魔大王の処へ向かい始めた。