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第17話 限りあるスローライフだとしても。

 さて、待ちに待ったオリントの湯がこの目に映る瞬間がまもなくやってきます。


 崖の頂上まで残りわずか。モカモカが私を追い越して一足先に頂上に到着し、「わぁ……」と声にならない感動を漏らしています。


 ややあって私も同じ景色を目にし、ふっと唇をほころばせました。


「遠路はるばるやってきた甲斐があるというものですね」


 眼下に広がるのは、宝石を溶かしたかのように美しくきらめく秘湯でした。水面はほとんど透明なため、夜空の光を跳ね返してキラキラと輝いています。


「本で見たよりもずっときれい……」

「早速入っちゃいましょうか」

「うんっ。入ろ入ろ!」


 タオルで身体を包み込んでお湯に肩を沈めます。


 ……あ、これはマズいです。


「きもちいいぃぃ~」

「お師匠様ぁ、なんかこの温泉すごく気持ちいいよぉ……」


 特集の小見出しに〝1か月分の疲労が吹き飛ぶ!〟とでかでかと書かれていましたが、あれは誇張ではなく事実なのかもしれません。1か月どころか1年ぶんの疲労がほぐされている気がします。あぁ身体が沈み溶けていきますぅ~……。


 5分ほどで涅槃の世界から現実に戻ってきました。

 ぽわぽわした顔をするモカモカに、私は意を決して話しかけました。


「ご両親のことなんですけどね」

「っ! パパとママ見つかった!?」

「この世界にはいないようです」

「え?」

「魔界では10年に一度、一部の地域が異界に転移する天災が起きるようで、モカモカの両親はそれに巻き込まれてしまったようです。次にその天災が起きるのは5年後みたいでして、それまではモカモカの期待に応えることはできそうにありません。ご希望に添えずほんとうに申し訳ありません」


 この老獪さをモカモカには見習ってほしくないです。


 相手が話題に出さないからと、自分にとって苦しい話題を口にするのを先延ばしにして、秘湯に浸かって相手のこころが和らいでいるときなら許してもらえるんじゃないかと期待して。


 ほんとうはもっと早く伝えるつもりでした。ですが、モカモカの笑顔を見るたびに気持ちが引っ込んでしまいました。この子の曇った顔を見たくなかったのです。


 だけど、いつかは告げなければなりませんでした。

 ようやく覚悟を決めて告げられた私にモカモカはどんな表情を向けているのでしょうか。……きっと悲しげな顔をしてるんだろうな。


 けど大丈夫、そんなこともあろうかと活発さに花を咲かせるものは用意していますから。そう自分を鼓舞しつつ顔をあげます。


 モカモカは幸せそうに笑っていました。


「ありがとお師匠様」

「……感謝が真っ先に来るのはおかしくないですか?」


 完全に意表を突かれて頭が真っ白です。喜びや驚きを追い越して、「どうして?」だけが頭を満たしています。


「ここ最近、集中して読んでる本は地理とか歴史に関連するものばっかりだったからどうしてだろうと思ってたけど、ようやく合点がいった。なんとかできないかってがんばってくれてたんだね?」

「……まぁ本音を漏らせばそうですね。結果には結びつきませんでしたけど」


 プリテンドにある地理や歴史に関連する本はすべて読み終えました。ですが、異界に関連する情報はほんの欠片すらも手に入れることができませんでした。


 ですが、諦めるのは早計です。ほかの街の書物を漁れば情報を得られるかもしれませんから。……まぁ魔界領にその情報がほぼないって時点で希望的観測に過ぎないということは承知していますけど。


「お師匠様が夜な夜な本を読んでたこと、あたし知ってるよ?」

「寝たふりするなんて悪い子ですね」

「りんご採取を3日間もサボったのは今回がはじめてだよね」

「言われてみればそうかもですね」

「ねぇお師匠様」

「なんですか?」

「大好きのぎゅ~!」


 背中に抱きつかれてビクッとしてしまいます。

 おろおろするあたしの背中に、モカモカは頬をすりすりしてきます。


「あたしのためにいろいろがんばってくれてありがと、お師匠様。お師匠様があたしのために動いてくれたってだけですっごくうれしいよ? だからそんな申し訳なさそうにしないで?」

「……5年間、待てますか? 5年後、必ず私が異界からモカモカのご両親を連れ戻しますので」

「うん、待つよ。そのときはあたしもいっしょに異界に行く。5年後ってことはあたし18でしょ? きっとあたしもいっぱいいっぱい力になれるよっ」

「……では頼りにしちゃいましょうかね」


 5年後、私はモカモカとふたりで異界に乗り込んで、天災に巻き込まれた両親を連れ戻すことになる。


 きっとその日に至るまでが私のスローライフで、その日を終えたら私のスローライフは終わりを迎えてしまうのでしょう。


 薄々感じています。私の理想のスローライフは今この瞬間、可愛い弟子と可愛いペットといっしょに何気ない日常を満喫しているこの時なんだって。


 ……感傷に浸るにはまだ早いでしょ私。まだ5年もある。5年もあればモカモカはぐんと成長する。その成長を誰よりも近くで見守ることができる。

 それだけで充分じゃないですか。


「うんっ。頼りにしてよママ!」

「……」


 あぁ誰にもこの子を渡したくないなぁ。

 それが実の両親であっても嫌だなぁ……。


 どうやら私は、自分が思っている以上にモカモカを愛してしまっているようでした。これが甘え上手の影響とかだったなら笑い話にできたんですけど、そうではなさそうなんですよね。


 私はどうしようもないほどにモカモカを愛していることを自覚していました。


 のぼせるくらいに秘湯を満喫した後、私はモカモカのためにこっそり用意していたとあるものをアイテム一覧から取り出しました。


「モカモカ、ちょっとこっち見てくれますか?」

「ん、なに?」

「ささささっ」

「わわわ!? 急になにお師匠様!?」


 所要時間はたったの10秒。

 しかし、この10秒でモカモカは劇的な変化を遂げました。


 私は手鏡を持ち、モカモカの顔に焦点を合わせます。


「どうです? 似合っているでしょう?」

「……かわいい」


 曲がりなりにも師匠なので、弟子が成長したらなにか渡すのが道理だよなぁと前々から思っていました。


 そして、いろいろと悩んだ末にリボンをプレゼントすることにしました。私がゼロからつくったオリジナルのリボンです。それを頭にくくりつけたモカモカは想像していたよりもずっと可愛らしくなっていました。


「魔法が上手に使えるようになったお祝いです。どうです? うれしいですか?」

「うんっ。すっごくうれしいよ! わぁ、角度によって輝き方が変わってる!」


 ふふ、満足してる満足してる。

 モカモカは様々な角度から自分を眺め、やがてにっと白い歯を覗かせました。


「ありがとお師匠様っ。あたし、お師匠様の自慢の弟子になれるようにもっともっとがんばるね!」

「ほどほどにがんばってくれれば充分ですよ」


 だって、あなたはもう、すでに自慢の弟子なのですから。


 まだ5年もあります。

 あと5年しかないです。


 150年のりんご採取よりもずっとずっと短いその時間は、きっと瞬きでもするようにあっという間に終わりを迎えてしまうのでしょう。


 ……1日1日を悔いを残さないように過ごさなければですね。

 

 とりあえず今日は、最高の1日となったので合格点としましょうか。

 


 



 




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