櫛川明 浸食
オレの短期バイトは単調に続いた。
あの民家に行って、奇妙なお供えとお参りをする。そのあとは毛筆を使って、不吉な漢字を半紙に書きつけ続ける。自然と頭に浮かび続ける憎いやつらの顔に、悪態をつきながら。
「いイね、えらイね」
「いイこ、いイこ」
その脇で同僚は、作業を続けるオレに賞賛を浴びせ続けるのだった。
同僚の変化に気づいたのは、四日目頃のことだった。
「なんか、日に日にでかくなってないか?」
オレの腰までの大きさだった同僚の赤い目は、いつの間にかオレの目と合わせられるほどの高さにまでなっていた。身長170近くあるオレをもうすぐ抜かしそうな勢いだ。心なしか横幅も大きくなって、ふくよかになった気がする。
オレの疑問に同僚は何も答えてくれない。ただ奇妙な抑揚で笑いながら、オレのそばに居続けるだけだ。
いや、それだけなら良かった。弊害が出てきた。
「はヤく、たのしイことしよウ」
万年布団の上で寝転んでいるとき、風呂に入っているとき、ゲーセンで暇つぶしをするとき。逆さの神棚の家でバイトをしていないときはいつも、オレを誘う。同僚にとってのあの作業は、心躍るものらしい。
「……あっち行ってくれよ」
嫌になったオレがそう追っ払おうとしても、あいつは「わかった」なんて言わない。どこにも行かない。弾んだ声でオレを誘い、服や髪を引っ張る。
「ねエ」
オレの髪を引っ張る。
「あソこにかエろウよ」
オレの服の袖を引っ張る。
——うるさい。
「はヤくかエろウよ」
ぐじゅぐじゅ。
湿った音とともに、頭の中が真っ暗になる。あいつの両手が、オレの脳内に直接入り込んでくる。
——ああ、うるせえな。
「かエろ」
「いい加減にしろよ!」
とうとう限界が来て、オレはそいつに左手を叩きつけた。
そのときの感覚をオレは忘れられない。忘れられるわけがない。普通の人間の肌を叩いたなら聞こえてきそうな、衝撃音はしなかった。
するりと音もなく、オレの左手はぬるぬるとしたヘドロのような感触の中につっこまれた。
——何だこれ。
それまで自分の周りにいるのが何なのか、深く考えたことがなかった。そのときになってようやく、やつが尋常のものでないことを自覚した。
ガタン。
足元にプラスチックのカゴが落下する。オレの右手から滑り落ちたのだ。
同時に嫌な視線を感じてはっとした。周りを見れば、同じカゴや様々な柄のエコバッグを持った客たちの視線がオレに突き刺さっていた。スーパーマーケットの冷凍食品売り場で、大声を張り上げて手を振り上げたりしたのだから当然だ。
「……せん」
ちゃんと言えていない謝罪を口にして、その場を離れる。
「だイじょうブ?」
——何が、大丈夫だよ。
お前のせいだろうが。そう言いたかったが、我慢した。どうせ何も変わらないし、オレがますます異常者になるだけだ。
「はヤくかえろウ」
同僚の声を聞き流しながら、とぼとぼと歩き出す。
こんなことになるのなら、飢え死にしていた方がまだマシだった。




