櫛川明 停滞
第3章、1話。
青年・櫛川の出会ったアルバイトとは……。
人生で一度しか持てない新卒カードを使って入った会社は、結局半年足らずで辞めてしまった。仕事中、些細なミスへの叱責を何度も受け、全てがどうでも良くなったからだ。「最近の若者は叱責への耐性がない」など言われることが多いようだが、無理なものは無理だ。
意を決して辞めたことで会社のしがらみからは解放され、昼間からアパートでゴロゴロできる贅沢を堪能できる。
しかし、いつまでもそうはしていられない。
「……腹減った」
ぐうう、と腹から虚しい低音が鳴る。
今日は、スーパーで半額値引きのロールパン3個しか食べていない。これからの昼飯を食おうにも、安価で低栄養なカップ麺だけになるだろう。
今のオレの手元には大学時代のバイトで稼いだわずかばかりの全財産しか残されていない。悲しいことに何もしなくても腹は減るし、飯を食って生きていくだけでも金がかかるのだ。次の就職先を探すまで、食い扶持を見つけるしかない。
携帯電話の普及した現代には、アルバイト求人アプリがある。インストールして登録したアプリを開いて希望条件を入れるだけで、わんさかと求人情報が羅列される代物だ。
ひとまず家から近いA市周辺から探してみることにした。
クソみたいな仕事ばかりだった。飲食店、コンビニ、カラオケでの接客。対人コミュニケーションが苦手なオレにとっては拷問だ。自炊ができないから飲食店での調理ももってのほか。
面倒ではあったが、「接客なし」の求人情報欄を見ることにした。
事務スタッフやセミナーなどでの受付など、やはり人と話すことが必要そうな業務が並ぶ中、ある見出しが目につき、「おお」と声が出た。
「未経験大歓迎の短期アルバイト! コツコツデータ入力をしていくだけのシンプルなお仕事です!」
パソコンの集計ソフトを使って細かいデータを入力するよくある作業だろう。しかし、他の仕事よりは幾分マシな気がして、説明欄を見るだけ見ることにした。
詳しく見ていくと、雇用元が決めた施設にこもる形でデータ入力を黙々と続けるだけのものらしい。しかも勤務時間は夕方5時から深夜2時までの夜間であり、夜型のオレにはその時点でぴったりのものだ。
オレが申し込みボタンを押すまでに至ったのは、給与欄の金額である。
「給与:最低保証20万。作業量に応じて増額あり」
一か月、夜間の入力作業をするだけで20万。通常この金額をもらうには、一か月毎日汗水垂らして働かなければならないのに。
オレの指は瞬く間に申し込みボタンを押し、必要事項を入力し始めていた。
反社会的組織のパシリとして犯罪行為を担がされる「闇バイト」かもしれないという認識は、面接直前10分前になってようやく出てきた。単純作業でうん十万などと言う大金がもらえるうまい仕事などあるわけがないのだ。
——もうどうにでもなれ。
正直にいうと、やけになっていた。闇バイトで犯罪者になったらなったでいい、オレの人生はこんなもの、そこで終わりとして生きていけばいいやと。
面接会場は、家から数駅の距離にあるビルだった。たかがバイトの面接だが一応リクルートスーツを着て、面接会場に着く前から普段は丸めている背筋を伸ばしておく。
「今日はありがとうございます。早速面接を始めさせていただきますね」
雑居ビル内の小さな会議室、戸倉と名乗った面接官はオレをパイプ椅子に座らせると早速あれこれ聞き始めた。
といっても当たり障りのないことは聞かれなかった。オレが一番恐れていた「新卒で入った会社はなぜ半年足らずで辞めたのか」も聞かれなかった。
ただ、一つだけ変なことを聞かれた。
「これまでに幽霊を見たことはありますか?」
あまりにも唐突すぎた。端から見たら、その質問をされたときのオレはどこまでも間抜けな顔をしていたことだろう。
——そんなこと聞いてどうするんだ?
「オレにオカルトの趣味はないです」と言いそうになったが、何も言えなかった。確証はないが、この答えのせいで面接に落ちるような気がした。
「もう一度聞きます。これまでの人生で幽霊を見たことはありますか?」
答えられないオレに戸倉はもう一度問いかけた。
ふざけているのかと思ったが、にこりとも笑っていなかった。
「……いえ、ありません」
「あります」と答えていたらどうなっていたのだろうか? わからない。
とにかく20数年生きてきて、今までに幽霊の類を見たことのないことは嘘ではない。
「わかりました、ありがとうございます」
何でもないことのように戸倉は頷いたあと、手元のクリップボードの紙に大事なことのように何かを書き込んだ。
その質問を最後に戸倉は面接が終了したことを告げ、採用であれば明日以降電話連絡するという事務的な話で締めくくられた。
最後の質問の意味が本気でわからなかったが、気にしないことにした。考え出すと良くない循環にハマりそうだったから、そういうことは考えない方がいいのだ。
「先日お越しいただいた選考の結果ですが、採用とさせていただきます。よろしくお願いします」
戸倉の声で電話が来たのは翌日、ブランチのインスタントスープをすすっている午前十時頃のことだった。




