茜と静 ダンスレッスン
第2章、最終話。
ダンスレッスンのあとに茜たちが見たものは……。
「いち、にー、さんし、にーに、さんし……今、ちょっと右足ずれたよ。気を付けて」
規則正しい手拍子の間に、静の淡々とした指摘が挟まれる。必死に覚えたダンスのフリを全力でこなしながら、茜は「おう」と頷いた。
都内K区、繁華街の一角にあるダンススタジオ。茜が練習している曲は、次の新アルバム発表ライブで披露する新曲だ。始終アップテンポなので少しでも集中力が削がれると、途端に振り付けがずれる。リズム感はラップで培われたと思っているが、ダンスとなると上手くいかない。人一倍の練習が必要だ。
そんな茜でも練習を続けられるのは、グループの中で最もダンスが得意な静が特別コーチをしてくれるからだった。本当にありがたい限りだと思う。
「……はあ、ごめん。ストップ」
「うん、休憩して。無理は良くない」
茜に水を差しだす静。
何とか一曲を踊りきれた茜だったが、その頃には「はひい」と情けない声が出るぐらいへとへとになっている。
「今のどうだった?」
「良い感じだよ。もうちょっと詰めないといけないところはあるけど、全体的にはかなり上達してきたよ」
「——あんがと。頑張るわ」
「大丈夫、茜ならできるって——はい」
「……おう」
ねぎらうように微笑んだ静から差し出された握り拳に、拳をつきつける。
「ところで、曲作りも進んでるんでしょ? プロデューサーから少し聞いたけど」
「——そうだな、おかげさまで」
前回の打ち合わせでOKが出たラップメインの曲は高天原、そしてこれまでにも茜のソロ曲作りに携わってきたコンポーザーと共に制作が進み始めている。
「まさかこの間のロケの曲を使うとは思わなかったけどね」
「げっ、そこまで聞いてたのかよ……」
「聞いてるよ。茜ってこういうときに大胆なことするよなーって思った」
返す言葉が出ない。苦い顔をして俯いた茜を見て、静がおかしそうに吹き出した。
「でも茜の正直な想いがあったからこその行動なんでしょ、この間のフリースタイルも含めて。それがプロデューサーにも伝わったからだよ」
「そうかな——とにかく誠心誠意いい曲にするわ」
「それでよし!」
レッスン場の高い天井に、静の声が響き渡った。
*
一時間ほどレッスンをすると、すっかり夕方になっていた。受付に礼を言って、スタジオを出る。
「何だ、事故か?」
夏場のまだ明るい日暮れの歩道には、黒山の人だかりができていた。歩道のガードレール手前でひそひそと囁きあう彼らの向こうには、後部の扉が全開になった救急車両が止まっている。
近くには、紙面を挟んだクリップボードの上でペンを動かしながら頷いている警察官、そして彼に向けてたどたどしく話をしている中肉中背の男性の姿もあった。
男性は事故にあった当事者のドライバーなのだろう。彼の口からは「赤信号だったのに、向こうから飛び出して来たんです」とうんざりした声が聞こえてきた。
「……そうっぽいね」
静は、口元に手を当てて眉をひそめた。
救急車両の奥にストレッチャーで運ばれた男性と思わしき腹のあたりが一瞬だけ見えたのだが、鮮血に染まっていた。二人がレッスンに集中している間に起きた悲劇のようだ。
「あの子、自分から赤信号に飛び出していったけど大丈夫かしら」
茜の斜め前に立っていた中年の女性二人のうち、一人が苦々しげな顔で呟いた。その隣の友人と思わしき女性もこくこくと頷く。
「あそこから出てきたけど顔が真っ白だし、目も虚ろだったわよ」
「こんなこと言うのもあれだけど、何か変な薬でもやってたんじゃないの?」
「そうかもねえ。ちょっと普通じゃない感じがしたわ」
「あそこ」とは、茜たちが出てきたスタジオの二軒左隣にある建物である。
アパートなのだろうか、五階以上はあると思われる建物入口には「コーポ村中」と言う看板がついていた。ストレッチャーで運ばれた彼は、そこの住民だったのかもしれない。
茜のそばにいる中年の女性たちは一層声をひそめて、話をしている。
「信号に飛び出すときも、何かぶつぶつ言ってたものね。呪うとかぶっ壊すとか」
「いやだ、本当? 私は聞かなかったけど、気味が悪いわねえ」
呪う。聞いただけで茜の背筋に鳥肌が立った。本当にそんなことを運ばれた彼は言っていたのだろうか? 言っていたとしてもどうして?
「——もう行こう」
静が茜の服の裾を引いた。見れば、今にも倒れそうなぐらい蒼白な顔をしている。
「大丈夫か? もしかして……」
また何か見たのか?
その問いに静は首を横に振った。
「別に何も感じてない——ただ、ショックだっただけ」
「ああ、そうか」
それも当然の話だ。人が死ぬかもしれない場面に遭遇して平気でいられる人間の方が少ないだろう。
「……運ばれた人、無事だといいな」
知り合いではないし、顔も見たこともない人間だ。しかしその場を立ち去る前に、無事を祈る言葉をかけずにはいられない茜だった。




