水上流奈 握手会直前
第1章、2話。
不穏な影は濃くなってきているようで……。
ぐらぐらと身体を揺さぶられ、ようやく気付く。顔を上げれば、肩をさする静とその向こうでメンバーたちが流奈を見つめていた。
「ねえ、私の声聞こえてる?」
「……あ、うん。ごめん」
背中を折り曲げた体勢で頭を抱えていたようだ。
「大丈夫? また具合悪くなった?」
「そうっぽい……でも大丈夫。ありがとね、しーちゃん」
軽く返しながら、肩に乗った静の手をそっとどかす。
「ちょっと疲れちゃったみたい。でも、しーちゃんにさすさすしてもらったらちょっと楽になったよ。だから大丈夫!」
「でも、まだ顔色が悪く見えるよ」
「楓花の言う通りだよ、とても大丈夫そうには見えないんだけど」
「大丈夫だってば! それより茜……」
「失礼します」
迫力あるバリトンの声で話は中断された。
楽屋に黒いスーツ姿の男が入ってくる。「ばんかみ」のマネージャーの因幡兎史博だ。
「握手会の準備ができました。全員会場に……」
楽屋内を漂う重々しい雰囲気に気づいたのか、因幡の眉間に皺が寄った。
「何かあったようですね。大丈夫ですか?」
「大丈夫でーす。全然問題ありません!」
何事もなかったかのようにすっくと立った流奈を皮切りに、全員分の「はーい」「大丈夫です」が続く。
手の中に残っていた塩タブレットの包みをゴミ箱に捨て、立ち上がる。
「待ってください、流奈」
そのまま楽屋を出て行こうとする流奈を通せんぼするように、因幡が立ちはだかる。
「流奈、顔色が悪いように見えますが大丈夫ですか?」
——やばい。
思わず身を縮こませる流奈。彼女を見つめる因幡の目には、心配のほかに不信感が含まれているように見えた。
「ぜ~んぜん大丈夫ですよ、因幡マネージャー。めっちゃ元気です」
「強がってない、水上流奈さん?」
因幡に加勢するように、静が加わる。
——負けるもんか!
「ううん、大丈夫だってば——あたしは女神もといアイドルだからね~。ちゃんと務めを果たします!」
宣言した流奈は一番先に楽屋を出て行った。このとき訝し気な顔の静が彼女を見ていたのだが、後ろを振り向いたりしなかった。
「すごいね、流奈。私が流奈だったら『今日は無理です』って休んでたかもしれない」
握手会会場へと続く通路、流奈の隣に肩を寄せた楓花が声を寄せる。
「夢、叶えたしさ。これぐらいでへこたれてられないって」
まだわずかな頭痛があったが、流奈は笑ってみせる。彼女を動かしているのは、「アイドル」だという確固としたプライドかもしれなかった。たとえ、常人には見えない存在が見えやすい体質だったとしても。
——あのときも何とかなったんだから。
だが、それでも憧れのアイドルになることができたのだ。時々ぶっ飛んだ発言をするが、悪い人ではない高天原というプロデューサーの元で。
倒れて意識を失ったり、死んでしまったりしない限りは務めを果たさないといけない。アイドルオーディションに合格したその日から、流奈の心にはそんな想いがあった。




