穂村茜 フリースタイル開始
第2章、第8話。
茜の起こした行動、それは……。
「——人気男性アイドルがあれじゃなあ」
笑い声を出している張本人を見ながら、宮沢は顔をしかめた。
火の前に置かれた折り畳みチェアーに座り、両肩をスタッフたちに押さえつけられているKyoyaから出ている声だった。押さえつけていないと、今の彼は命に関わる行動を取る可能性があるからだ。
数十分前、Kyoyaは突然女性のような高い声で茜たちの前で駄々をこねたり、にやにや笑い始めたかと思うと、スタッフたちの思いがけない行動に出た。
誰かがチェアーへ置きっぱなしにしていた予備用の撮影機材のコードを手に取ったかと思うと、林の中に向かって走り出したのだ。
「何してるんだ!」
咄嗟に男性スタッフたちが動けたのが幸いだった。彼らがたどり着く頃には、Kyoyaは件の木の枝にひっかけたコードで輪を作り、首を入れようとしているところだった。
「いやだ、いやだ! 死なせてよお! 私がこのお兄さんを連れてくのお!」
スタッフたちに取り押さえられたとき、Kyoyaは確かにそう言ったという。成人男性の声帯から出ているとは思えない高い女性で。
それからずっとKyoyaはその調子が続いていた。虚ろな目でぼんやりしていることがほとんどだが、時折目をぎらりと嫌な輝かせ方をしてはどこかへ行こうと暴れ、「もうやだ」「死にたい」と言うような言葉を吐き出す。
「……あれ、本当にここで死んだ女性の霊が憑りついてるんじゃないかな」
そう漏らした北谷に、「おいおい」と目を剥く野口。
確かにそんなことを一部のスタッフが言っていた。「キャンプ場には十年前に首を吊った女性の霊が未だに彷徨っていて、今回Kyoyaに憑りついたのだ」と。
「本気で言ってるのか、それ」
心霊現象否定派の野口は懐疑的であり、北谷もそうだと思っていたのだが。
「そう思うしかないだろ。死にたいとか女性の声でわめいて、人が死んだことある木の枝で首くくって死のうとするなんてさ——ここにはきっといるんだよ、十年前に首吊った女性の霊が」
今でもここで彷徨ってるんだ。
「それにおかしくなったKyoyaくん——ていうか、女性の霊は何度も言ってたよな。『このお兄さんを連れて行く』だとかって」
「……ああ」
「それも、彼に憑りついた女性の霊が言わせてるって考えればそれなりの辻褄が合う」
「何であの青年を連れて行く必要があるんだ?」
「寂しいんだろ。幽霊としてここで一人でいるのが」
北谷の自説はあまりにもできすぎているんじゃないかと野口は思うが、反論することができなかった。
「そういや『ばんかみ』の二人はどうしたんだろうな?」
Kyoyaとの共演者二人のことを思い出した野口がきょろきょろと辺りを見回す。少し前まで火の回りで幽霊役の溝口たちと話をしていたのだが、どこにもいない。
「言われてみれば、いないな」
「トイレにでも行ったんじゃないか?」
「にしては不在が長すぎる気がするけどな」
「怖くなってテントにでも引きこもったかね——さっき、心霊写真撮ったとか妙なこと言ってたし」
茜が言っていた「心霊写真」のことを話す野口。宮沢が「うわ、マジか」と大げさなぐらい驚く。
「だからここには幽霊がいるんじゃないか、って何となく思わざるを得ないわけだよ」
「なるほどなあ——おっ、噂をすれば来たぞ」
宮沢が目を剥く。スタッフたちのテントが並ぶ先から携帯を持った茜がやってくるところだった。その後ろには静もついてきている。
「大丈夫ですか、二人とも。今丁度心配していたとこなんですよ」
「そうっすよね、ご心配おかけしました——ところですみません、Kyoyaさんっています?」
「あっちで取り押さえられてるけど」
「ああ、本当だ。彼に用があるんですよ」
「だけど今は……」
「わかってます。まださっきみたいな調子なんすよね?」
「……そうだね」
気まずそうに頷く宮沢。
「——問題ないっす。とにかくやってみます。あと用があるのは、彼というか彼女かな」
「はっ?」
「彼女って誰だ?」
「茜ちゃん、何を……」
呆然とする三人を置いて、今もなお押さえつけられているKyoyaの元へずかずかと近づいていく茜。Kyoyaの両脇にいたスタッフも近寄ってきた茜のことを不思議そうな目で見ている。
「——すみませーん、皆さん!」
キャンプファイアーの前、茜が高らかに宣言するように手を挙げた。散っていたスタッフたちが、「なんだなんだ」と言わんばかりに寄ってくる。
「ちょっと騒ぎます!」
茜は持っていたスマホを片手で操作した。
直後、フリースタイルで使われるようなビート・トラックが流れ始めた。その裏拍のビートでリズムに乗っているのは、茜しかいない。
「——Kyoyaさんに憑りついてるあんたに告ぐ」
茜は携帯を持っていない方の指を、びしりとKyoyaに突き付けた。
「——エヨウ、あんたの名前をあたしは知らない
どこで何やってたかも全然わからない
南無阿弥陀仏とかは知らないし
手向けの言葉とかも言えない
でもこれだけは伝えさせてほしい
この地で一人彷徨える
一人の魂へのレクイエム」
火が爆ぜる音に混ざり、「ばんかみ」火の女神・茜のフリースタイルが始まった。
「——茜、あなたまで」
スタッフが集まる中、黒いスーツの男——「ばんかみ」のマネージャー、因幡は複雑な気持ちで彼女のことを見つめていた。




