水上流奈 ライブ終了後
第1章、1話です。
アイドルグループ「ばんかみ」一周年記念ライブが終わったようですが……。
正直、アイドルには向かない体質をしていると流奈自身も思っている。だけど、自分のあこがれの職業に就くことができたら全力で頑張るしかない、とも。
事実、強烈にしんどいときは稀のことだ。今日の「万物の歌神一周年記念ライブ! ~天地創造~」でのパフォーマンスが終わった今、アイドルになれて良かったと思えた。
しかし、今日はマイナスな面も顔を出している。
「……あー、頭いった」
楽屋のテーブルに我慢できず突っ伏した流奈に、他のメンバー全員が「えっ」と振り返る。
ライブが終わったあとは、いつもなら高揚感と多幸感に包まれるのだが、今日だけは激しい頭痛が水上流奈を襲っていた。
「おやおや、大丈夫? 水分取らないとダメだよ、流奈は水の女神様なんだし」
「あはは、間違いないわ。ありがとう……」
楽屋の冷蔵庫を開けた楓花が、中に入っていた水のペットボトルを差し出す。ただの水のはずなのに、キンキンに冷えたミネラルウォーターは絶品で一気に半分まで開けてしまった。
「だ、大丈夫ですか……? 熱中症とかじゃ……」
グループ最年少の美亜が心配そうに流奈の顔を覗き込んだ。
「ワンチャンそれもあるかもね~」
三百人以上の観客が詰め込まれた会場で、歌ったり踊ったりしたのだ。熱中症になってもおかしくない。
「待って流奈。両腕伸ばして、手の平上に向けて上げてみて」
自分の腕で実例を示しつつ「やってみて」と告げる静。これを試して片方下がっていると、脳梗塞のサインらしい。流奈には初耳だった。
「こう?」
言われた通りやってみたが、持ち上げられた両腕はどちらも水平をキープした。
「んー、大丈夫そうね」
「みんな、ありがとう~」
水分摂取と緊張感がほぐれたせいか、頭を締め付けていた痛みが少しだけ引いた。
「この後の握手会まで少し時間あるし、反省会始めよっか」
静が音頭を取る形で反省会が始まる。ライブ終了後の恒例行事だ。
「後ろから全体見てること多かったけど、全員振付も歌もかなりまとまってたよね。これまでのライブで最高の出来だったと思うな」
爽やかな笑顔でメンバーを讃えたのは楓花だった。彼女はいつも人を褒めるのが上手く、性格の良さを感じさせる。パンツルックの衣装とハンサムショートの髪も併せると「王子様」という形容がしっくりくる。
「あたしのラップはどうだった? ソロのときは無我夢中だからわかんないんだよな」
茜が全員の顔を眺めながら問う。赤いメッシュの入ったマニッシュショートがよく似合う彼女は、メンバー唯一のラップ担当でもある。
「……茜さんのラップ、かっこよかったです」
美亜がおずおずと頷く。メンバー最年少ということもあるからか、美亜は主張が少ないことが多く、流奈は時々心配になる。もっと自分の我を出してくれてもいいのに。
「うん、悪くはなかった」
「『悪くはなかった』ってなんだよ。言いたいことあるならこの際言ってくれよ」
静の言葉が気に食わなかったのか、茜が突っかかる。
「わかった、じゃあ言っちゃうね。なんて言うか今日の茜のラップはキレがなかった。さっき無我夢中って言ってたけど、本当? ってツッコみたくなる。ラップ以外のことに気を取られてたって感じがしたんだけど違う?」
本人に悪気はないし、間違ってはいないのだが、楽屋に緊張が走る。
「……それは何となく思ってたわ。ごめん」
思うところがあったのか、素直に謝る茜。
「原因はわかってるの?」
「まあな……言い訳するみたいでダサいんだけどさ」
「いいよ、言ってみて」
「今日の会場さ、空気がいつもより違った感じしなかったか?」
「違う感じ?」
茜と流奈以外の全員が首を捻った。
「なんつーか重いっていうか、どんよりしてんだよ。ちょっとそれが気になってた。プロ失格だな」
「まあ、そういうときもあるよ」
「ありがと、静——あと、あたしの聞き間違いかもしれねーんだけど」
しねって声が聞こえたんだよな。
言いづらそうに茜は言った。
「……その『しね』っていうのは」
訝し気な声になる静。
「だから多分、罵倒のときに使う言葉だろ。別にうちのメンバーを疑ってるわけじゃねーよ、みんなそんなこと言うはずないのはあたしだって知ってるし。そもそも男の声だった」
「スピーカーからミスで音響さんの声が入ったんじゃないかな?」
「だけど、それならあたし以外にも気づいてすでに問題になってるんじゃないか?」
楓花の指摘は茜のその一言で封殺された。
「他に誰か聞いてたりしない?」
仲間を探すように周りを見回す茜。
——あたしも聞いてたよ。
出したかったその一言が流奈からは出なかった。自分の身体の震えを止めようとするので精一杯だった。
怖い、あれは思い出してはいけない良くないものだ。
「……うな?」
五色のサイリウムの海からその声は聞こえてきた。
歌とダンスに集中しながら観客席を見ると、最前列の前方左に黒いもやが漂っていた。火事のときに発生する煙の黒色をうんと濃くしたようなもやが。舞台演出ではないことはすぐにわかった。
——見るべきじゃない。
——パフォーマンスに集中しないと。
数多の経験から知っている。霊や悪霊というのは、生きている人間に己の存在を知らせたいのだと。こっちが向こうに気づけば、嬉々として寄ってくる。
だから、そんなものたちにかまけている暇はない。
そのとき歌っていたのは、アップテンポなメロディーが心を沸き立たせる、「ばんかみ」の人気曲だった。得体の知れないもののせいで、盛り上がっているステージを台無しにするわけにはいかない。
客席のあの箇所に目を向けないようにしながら必死にパフォーマンスを続けた。自分のソロパートもちゃんと決めた。
みんな、最高ーーーー!
曲が終わり、最初に客席へ向かって叫んだのは楓花だったと思う。それに呼応して、わああああああ! とあちこちで歓声が沸いた。
流奈自身も感極まっていた。ありがとうーーー! と流奈も叫ぼうとした。
油断せず、気を付けていれば良かったのに。つい、気を抜いた。
その黒いもやは蠢いていた。見たくもないのに、目はそれに引き寄せられてしまう。
もやは大きすぎて憑りついているファンの顔や身体をも覆っていた。それについた大きな唇は舞台の方を向いていた。
巨大な真っ赤な唇が開くのを流奈の目ははっきりと捉えた。
「死ね」
「なんでお前らがあいつらが出てきたんだ」
「許さない」
「おまえらさえいなければ」
——やめて!
恐怖への本能でぎゅっと目を閉じていなければ、舞台上で倒れていたかもしれない。
再び目を開けたとき、呪詛を吐き出す黒いもやはいなくなっていた。その後にいたのは、混じりけのない黒髪を丁寧にセットした女性の観客だった。
「流奈! 流奈!」




