真実の価値負け
「昨今はごきげんよう。情報は安売りされて豚共が弄ぶ、ご存じですか、これが真実あれが善悪、普通、となるとなると横暴でも許されるのでしょうか。
私が思うところはすでに高校の頃からでした。私は努力主義に纏わりつかれまして、怠惰で才能論を語る者共を屑と罵ったものです。今見れば最低ですが、どうでしょうか? それが戦中なら、戦後なら、そして十年くらいまでは。資本主義はよくそう言うものです。そこに交わる理屈が緊縮財政や財政健全とは高校生の、奨学金まで手を伸ばす努力主義にはわからぬものでしょう。果たしてそこに愛があるのか。
愛といえばまたも高校生、世界史のラストページは愛を願うものでした。ずっとそうでした。そこに書いてあるのは持続可能なとか、環境だとか、です。それとSDGsです。昨今はどうでしょう、見直されつつあります。ええ、そりゃあそうです、ここには愛はあるのかさえ、いえ、無くてもいいですが、真実なのかは重要です。真実、結果主義であるべきということです。依然変わりないようで。
大学とはいわば矛盾を追求する場所だと思われます。それは真実なのか、正しいのか。ポリティカルコレクト? LBGT? それは置いておいて、学問とはつねに主義と隔絶されてあるべきです。これは当たり前の考えであるし、歴史はそうして世界に技術を提供してきたはずだった。
それがどうでしょうか。それがどうでしょうか(笑)。もはや説明するまでもなく、アメリカは酷いものでした。日本も同様でした。矛盾、真実、追求。それを扱う場所であるのに、カルト宗教が入り込んでは好き勝手してはどこに説得力があるのでしょうか。高校生、大学生、彼らは賢いです。されど馬鹿になれと教えるのか、数字。そう数字。人を騙す数字であるのか、そもそもそこに数字があるのか、大学生は大人になっても数字を裏切って、世間を強請るばかりでしょうか。真理とは人類の野望に勝るものか。
真理を求めるための懐疑主義は差別主義へと名ばかりに。
お気持ちはこんなものです。これを知ると、統る側かと痛い目で見られるものです。いえいえ、そうではありません。これは今までの話です。これからの話があるでしょう。
よくある話です。よく左翼が多弁しますが、あれは悪だと、あれはヒトラーだと。だからこうしてもいい、ああしてもいい。と。これはもちろん、右翼の技にもなり得ます。情報は主義を持たない。これは持論です。もしも神がいるならばその人は共産主義者か、あるいは独裁者か。私はそうは思わない。特に日本人ならそう親しいでしょう。
何が言いたいかといえば時代、側、全てはそこにあるのです。誰かが誰かを利用するための情報。それが真実であろうがなかろうが関係ないこと。普通、才能、マジョリティ、マイノリティ。都合よく金のある人が裁いているだけにしか昨今はどうも思えないほど、ええ、それとは矛盾した、大学という場所。
つねに世界は混沌とし、ありもしない愛をばら撒いて、金よりも支配欲。いいかげん面倒なものです。
果たして真実に価値などあるのでしょうか。真実は人を愛するのか。私にはどうもわからない。だから私は人の時代の始祖たるあなたに聞いていたのですよ
」
キリストは葡萄酒を飲みながらAIでググった。




