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「ねぇ。創成大(そうせいだい)の文化祭に行かない?」


「行こ行こ! 前から行きたかったんだよね」


「文化祭……?」


 千波はカヤとズッキと駅前のカフェに来ていた。


 駅ビルで冬服を買い回った後で、コーヒーとケーキのセットを楽しんでいた。


 カヤからの提案に千波は微妙な表情をした。


 創成大学とは富橋にある大学の一つ。その大学に嫌な思い出があるわけではないのだが。


「もしかして空人(そらと)君のこと?」


「……察した?」


「うん」


 空人とは千波たちの高校の同級生。三年生の時は同じクラスだった。しょっちゅう話してたわけではないが、二次元モノで気が合うクラスメイトの一人だった。


「もしかしてまだ好きなの?」


「……わかんない」


 千波は空人のことが好きだった。地元では見たことがない感じがいいタイプで、恋愛に関して頑なだった彼女が唯一好きになった男子。


 だが告白できるようなキャラではなかったので、そのまま卒業してしまった。卒業式の日にも何も話せず。


「はー……。忘れられなくて早三年ですか……。チナの片想いは長いですな……」


「ホントそれね。自分でもバカだと思うよ、いつまでずるずる考えてるんだろうって」


「別にいいじゃない? あたしはチナの一途さ、嫌いじゃないよ」


 でもね、とズッキはカップを持ち上げた。


「片想いも長ければいいってモノじゃないよ。想いが実らないならキッパリ諦めた方がいいよ。そうじゃないとチナが辛いだけだよ」


「……うん」


 ズッキのもっともらしい意見に千波は小さくうなずいた。











 大学というものに訪れたのはこの日が初めてだった。


 高卒で就職したので大学に通ったことはないが、校舎内に入ると懐かしさがこみあげてきた。


 知らず内に学生時代を思い出しているのかもしれない。


 この日は文化祭ということで様々な人が多く集まっていた。ここに通う学生の父兄らしき者や友人、小さな子どもを連れた母親や中高生もいる。


「すごいねー! うちの高校もなかなかだったけど、大学となると規模が違うね」


 カヤも初めての大学にはしゃいでいるようだった。辺りを物珍しそうに見渡している。


 千波はひそかに空人のことを探す。同い年くらいの青年がたくさんいる中では無理があるかもしれないが、なぜか見つけられる自信があった。


 今日の目標は空人の姿を見ること。カヤとズッキにはもちろん言ってある。


 ”そんな消極的なことを言わなくても”、とカヤに言われたがこれでいい。


 一目でも見ることができたらきっと、空人のことを吹っ切れると思った。


 ズッキは黙って聞き、千波の肩をポンと叩いた。


『チナがそれで後悔しないなら私は応援する』


 それからは空人を探しつつ文化祭を楽しんだ。


 学生が作った展示品、サークルによる発表や販売、模擬店の行列、バザー。久しぶりの学生気分は楽しかった。会社のことを忘れることができて。


「……っ?」


 模擬店の列に並ぶズッキを見ていたら、その時は訪れた。空人の姿を視界の隅でとらえたのは。


 ハッとその方向に視線を走らすと懐かしい顔があった。


 友だちと三人で談笑しながら歩いている空人。


 元気そうな表情に笑みがこぼれた。


 会社のせいで最近、心からの笑顔を浮かべることができなかった。しかし、久しぶりに柔らかい笑顔になったと自分でも分かる。鏡を見なくても。心がじんわりとあたたかくなり、満ち足りた気分になった。


 これでいい。目的を果たせた。


 しばらく一人で立ち止まっていたせいだろうか。ズッキの姿を見失った。高校時代の部活の友だちを見つけた、と消えたカヤも戻ってこない。


(げっ……。こんな所で迷子!?)


 千波は冷や汗をかき、入口でもらったパンフレットを慌てて開く。


 あてもなく歩き始め、校舎内へ入った。


 校舎内には人はほとんどおらず、少し落ち着く。ここへ来てからずっと人波にもまれていたせいで、知らず内に疲れを覚えたようだ。千波はため息をつき、近くの壁に寄りかかった。


 その時、笑い声が聞こえて思わず顔を上げた。


 廊下の向こうで空人が一人で歩いている。その姿をとらえた瞬間、まるで高校時代に戻ったように錯覚した。


 この前買った厚手のワンピースがブレザーの制服に変わる。首元のリボンが可愛くて、オープンキャンパスで見かけた時から憧れていた。


 ジャケットにスラックスを履いた空人も制服姿へ変わっていく。明るい茶髪が黒髪に変わっていく。


 黒髪は落ち着いている彼に似合っていてかっこよかったが、茶髪もおしゃれだ。明るい髪色が似合うのがうらやましい。


 あの頃はこうして遠くから後ろ姿を眺めることが多かった。


 千波は引き返そうとしたが、足は勝手に空人に向かって踏み出していた。


 想像上の制服は消え、おろしたてのワンピースに戻る。足元はあの頃は履かなかったブーツに。


 本当は声をかけるなんて予定に入れていない。ただ、元気そうな顔を拝めればいい。しかし、これで帰ったら後悔しそうだった。


「空人君!」


 名前を呼びながら駆け出した。自分はこんなキャラなはずないのに。


 振り返った彼は、会わなかった期間分大人びて見えた。


 千波のことを覚えているのかいないのか。空人は怪訝な顔をしている。


 そのことは想定済みなので、悲しいとか残念とかいう感情は思い浮かばなかった。


「若名だけど、覚えてる?」


 頭一つ分、背の高い相手をこんな感情で見上げたのは久しぶりだった。甘酸っぱい気持ちがよみがえってくるようだった。


 空人は柔らかく甘い笑みを浮かべた。あの頃はただかっこいい、と思っていた笑顔が可愛く思える。


「覚えてるよ。すぐに分かった」


「でも今、”誰?”って顔したよね?」


「痛い所つくなよ……。思い出せなかったの、一瞬だけだからさ」


 そう言って笑い合う。高校時代では考えられない。当時の千波は緊張して愛想笑いすら浮かべられなかった。


 空人は指の背で鼻を擦ると、目を細めた。


「いつも楽しそうだったから」


「何が?」


「アニメとかマンガの話をしてる時。だから覚えてた」


 少しでも彼の記憶容量を埋められたのが死ぬほど嬉しい。両手をありったけの力をこめて握り、泣きそうなほど目をぎゅっととじて堪能したい。


 あぁ、やっぱりずっと好きだった。今でも彼の一語一句に大げさなほど一喜一憂できるほど。


 彼の言葉が鼓膜で何度もこだまする。


「すぐ分かんなかったのは髪が短くなったからだよ。前はもう少し長かったし、しばってただろ?」


 高校を卒業してから千波は、髪の長さをロングからセミロングに変えた。髪を下ろすようにもなった。


「なんか雰囲気変わったよね。彼氏でもできた?」


「ううん……」


 どういう関係でどんな感情を抱いているのか、はっきりと言えない男ならいるが。その男の顔と同時に苦笑いが浮かぶ。


 すると、千波のスマホが軽快な音を鳴らした。カヤかズッキだろうか。突然はぐれた千波のことを探して連絡してきたのかもしれない。というか最初からこちらもそうすればよかった。


 千波は控えめに笑みを浮かべた。あの頃よりはたくさん笑えたし、うまく話せたと思う。自分でもよく頑張った。


「久しぶりに会えてよかった。じゃあね」


「うん。また」


 身を翻しつつ手を振る。これ以上一緒にいたら未練がましくなる。ここから彼とどうこうなりたい気持ちはなかった。


 彼と再会したら泣くだろうかと思っていたが、涙の気配はない。


 空人に久しぶりに会い、不思議と心が軽くなった気がした。彼と繋がりたいと伸びていた縁の糸がフッと、自分の方へ折り返したような。想いが叶う相手ではないから、縁も疲れきっていたのだろうか。


(空人君、あたしの名前呼ばなかったね。ホントははっきりとは思い出せなかったんだ……。あたしなんてそんなモンだよね……)


 長年、呪縛のように心に留まり続けていた空人の存在は、これで清算されたようだ。


 胸のつっかえがとれて笑みが浮かぶ。これでもう、思い残すことはない。


 そろそろカヤとズッキに連絡を取ろうと、千波はスマホを取り出した。


「……チナ?」


「香椎さん? どうして?」


 岳だ。いつものスーツではなく私服だ。おしゃれにマフラーを巻いてるのが似合ってて腹が立ってくる。それをかっこいいなんて思った自分にも。


 彼はいつもの調子で笑いながら近づいてくる。


「この大学に俺の高校時代の恩師がいてさ。せっかくだしあいさつしようかと思って来たんだよ。それに大学の文化祭に一度行ってみたかったし。チナは? なんでここにいるの?」


「会いたい人がいて────」


「誰? 男?」


 うっと押し黙った千波の様子に目を光らせる。おもしろそうに目を細めてあごに手をやった。


「ははーん……。ドンピシャか。で。どういうヤツ? 俺よりイケメン? あ! この前話してたヤツか!!」


「なにげ自画自賛かよ」


 彼のいつもの様子に半目で見上げる。


 空人より身長が低い岳。昨日ぶりの見上げる角度はいつも通り。


 会社だったらまたコイツか……と思っていたかもしれない。だが、今日は妙に安心感を覚えた。


「……内緒です」


「いいじゃん教えてくれよー。なんかいい顔してんじゃん」


 千波はフッと笑うと視線で逃げた。体をくるりと反対方向に向け、先に歩き出す。


 ”なぁチナー”と後をついてくる彼をかわいいと思ってしまうほど、今日の千波は上機嫌だった。


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