7.簪と客(3)
被害者に付きまとっていた男の家を訪ねて、敦彦たちが朱雀藩に帰ってくる頃にはもう既に日は落ちていた。
(赤兎馬隊長、もう帰ってきてるかなー)
茜とわかれた後、敦彦は、ひとまず赤兎馬の勤務室へ向かった。調査の礼を言うのと、明日皆で見る予定の事件資料を受け取るためだ。赤兎馬の勤務室には灯が灯っていたので、敦彦は一声かけて部屋に入った。
部屋に入ると、赤兎馬と見知った白髪の後ろ姿が目に入った。
「白夜!?なんでここに?」
赤兎馬と一緒のいたのは、昨日、町でわかれた白夜だった。白夜も振りかえって、少し驚いたよう顔で、敦彦を見た。
「敦彦、おつとめご苦労様。お土産を探してたら、偶然、帰宅している赤兎馬隊長に会って、そのまま話しながらここに。」
「婚約祝いの焼酎『かぐや』、しかと受け取りました!」
そう言って、赤兎馬は嬉しそうに、焼酎の瓶を敦彦に見せた。
「ははっ、それは良かったですね。」
(赤兎馬隊長、めちゃくちゃ嬉しそう)
酒好きな赤兎馬と二番隊隊長につきあって、敦彦も何度か酒を飲んだが、めっぽう酒に弱い体質だった。だから、酒好きの気持ちが少々理解しかねるが、お酒を手に持って喜ぶ赤兎馬の姿を見るとこちらもなんだか嬉しくなる。
(でも、まあ、飲みの雰囲気は好きなんだよなー)
「そういえば、敦彦、赤兎馬隊長に何か用があったんじゃないか?」
白夜に指摘され、敦彦は、赤兎馬に今回の調査の礼を伝えた。
「大丈夫!敦彦には、いつも一番隊の仕事を手伝ってもらってるし。このぐらい、させてよ。」
赤兎馬はそう言って、敦彦の肩を軽くポンとたたいた。そして、京から持ち帰っていた捜査資料を敦彦に渡した。
「とりあえず、類似事件の捜査資料は全部借りてきた。もし、仮にこれらの事件の犯人が同一人物なら、かなり厄介だよ。それに、人を殺す行為に一切のためらいがない。気をつけて捜査するように。」
赤兎馬は真剣な表情で、敦彦を見据えて言った。
赤兎馬が気にかけてそう言う理由は、討ち入りや捜査で命を落とす者は、やはり一定数いるからだ。その中には、しっかり作戦を練って対策していれば助かった命もある。一番多いのは、一瞬の油断が命取りになったケースだ。実際に、赤兎馬兄弟の父親も、茜が3つにもならない頃に討ち入りで亡くなっていた。
「はい!必ず、誰も死なせません。」
敦彦の真剣な返事を聞いた赤兎馬は、満足そうにふふと笑い、表情をくずした。
「でも、まあ、敦彦の場合、その点においては特に心配はしてないよ。敦彦がもう少しやらないといけないのは、自分の命も大切にするってことかなー。」
敦彦はその言葉に一瞬表情を曇らせたが、すぐに是と、元気よく返事をした。ただ、その時、上手く笑顔で言えたかは、敦彦自身、分からなかった。
その後、敦彦と白夜は赤兎馬の部屋を後にした。外は、かなり真っ暗だ。
「白夜が泊まってるところって、“花江”だっけ?そこまでおくるよ。もう、だいぶん暗くなって心配だし。」
「それは大丈夫だよ。私、一応隊長してるし。それに、敦彦、明日も捜査があるんだから、しっかり休んで。」
白夜は敦彦の申し入れを断ったが、敦彦が“心配で眠れない”と大袈裟に言うので、結局、宿まで送ってもらうことにした。
夏の夜空には、沢山の星々がきれいに輝いていた。夜空には雲がかかっていなかったので、星々の優しい光が道をほんのり照らしてくれていた。白夜は、提灯を取りに戻った敦彦と合流して、宿へ向かった。
「提灯のおかげでもあるが、まあまあ明るいな。」
「今日は、雲一つかかってないから、一段ときれいな夜空だしなー。」
そう言って、敦彦は星を指差しながら、星々の名前を白夜に教えていった。
「星に詳しいんだな。西洋の書物でも読んだのか?」
「いや、昔、お世話になった道場に、天文学が好きなやつがいて、そいつに色々と教えてもらったんだ。」
敦彦はそう言うと、懐かしそうに夜空を見上げた。
「耳にタコができるぐらい、毎日話してくれるもんだから、星についてはだいぶん詳しくなったんだ。」
ただ天文学について詳しくなるだけでなく、西洋で使われる文字についても、その人から教わったんだと、敦彦はその時のことを思い出しながら、ぽつぽつと話し始めた。その人から西洋の文字を教わったおかげもあり、敦彦は西洋の書物を、日本語に翻訳されていなくても、だいたい読むことができるようになったと。白夜は敦彦の幼馴染であったが、7、8歳ぐらいの頃に九州の方へ引っ越ししたため、敦彦が道場に入門していたことは知らなかった。
「西洋の書物まで読めるとはすごいな。色々教えてくれたその人とは、友達だったのか?」
白夜は、敦彦に尋ねた。
「...親友で、今も勝てない一生の好敵手かな。」
敦彦は少し泣きそうになったが、白夜に悟られないように顔を夜空に向けたまま、答えた。
そして、そのように色々と話しているうちに、白夜が泊まっている宿「花江」が見えてきた。白夜が、敦彦に”もうここまでで大丈夫”と伝えると、敦彦は、片手に持っていた風呂敷を手渡した。
「これ、昨日言ってた白夜に渡したかったもの。中は、金平糖とかせんべいとか、あと、読んで面白かった書物がいくつか入ってる。」
「毎回、お土産ありがとう、敦彦。私、敦彦が毎回くれる金平糖、好きなんだよなー。」
白夜は嬉しそうに、お礼を言い、敦彦から荷物を受け取った。
「あとっ、これ、もしよかったら、ゆりに。」
敦彦は少し緊張した顔つきで言うと、懐から、赤い上品な箱を取り出した。
”ゆり”という名前を聞いて、白夜は一瞬動揺したが、すぐに平静を装った。
「こんなに上等そうなもの、本当にいいのか?」
白夜の質問に、敦彦は頷いた。
白夜は少しの間迷っているようだったが、敦彦の真剣な表情を見て、その箱を受け取ることにした。
「じゃあ、受け取っておくよ。ゆりも、きっと喜んでると思う。」
敦彦はその言葉を聞いて、嬉しそうに笑った。
「今度、数日の休暇が取れたら、白虎藩の方へ、遊びに来てくれ。私も休んで、案内するよ。ここじゃあ、二番隊に依頼がきたら、休みでもすぐにそっちに行っちゃうだろ?」
確かに、自身が所属する二番隊に依頼がきたら、久しぶりの休暇でも、敦彦はすぐにそっちに行ってしまうことが多かった。
「だから、たまには朱雀藩から離れた地で、仕事のことは忘れて、休暇を取るのはどうかな?」
「ははっ、それは良いね!もしそっちに行けたら、その時はよろしくね、白夜。」
「あぁ。任せてくれ。」
白夜はそう言うと、どんと任せろというように自身の胸を拳でたたいた。
敦彦は、白夜の、その様子を優しげな目で見つめた。
(九州か...。行ったこともないし、次の長期休暇が楽しみだな)
敦彦たちが話していると、花江の入口の方がだんだん騒がしくなってきた。宿の方を見ると、どうやら、外へ飲みに行っていた宿の客たちが帰ってきたらしい。白夜は、ずっと立ち話もなんだし、明日も仕事がある敦彦に十分な休息を取ってほしいので、そろそろ、話を切り上げようと考えていた。
そのとき、敦彦は、穏やかな声で静かに“白夜”と呼びかけた。白夜は何だろうと思い、敦彦の方を向いた。
「あとさ、また桜、一緒に見に行かない?」
白夜はその言葉を聞いて、目を少し伏せ、どこか寂し気な笑顔でこう答えた。
「桜か。懐かしいな...。昔、3人で桜の木の下でよく遊んでたっけ。」
昔の記憶が、ぼんやりとよみがえる。本当に、あの頃は楽しかった。出来ることなら、もう一度3人で、あの頃みたいに桜をながめたい。
でも、それは、もう叶えることができない夢となってしまった。そうなってしまったときから、ずっと、2人で桜をながめることは無かった。
「...昔みたいに3人ではないけど、良かったら、どうかな?その頃の思い出も語らいながら。」
敦彦の提案に、白夜は笑みを浮かべて、頷いた。
「私も、一緒に、桜を見に行きたい。...たしかにあの頃とは少し違うけど、きっとあれもそばで一緒に桜を見てると思う。」
敦彦もその言葉を聞いて、ふわりと笑った。