5.簪と客(1)
次の日、机に突っ伏したまま寝ていた敦彦は、朝稽古を行う声や、皆で騒がしく食堂へ向かう声で目を覚ました。
(やべぇ...。また机で寝てしまった)
大きなあくびをして、布団できちんと寝なかったせいで少し凝ってしまった肩をほぐした。その後、朝食をとるために食堂へ向かい、昨日決めた捜査を各部下に割り当てた。敦彦は、午前中のうちに被害者が働いていた「高田屋」を訪ねることになっていた。被害者が担当していたお客さんの名簿を借りるためだ。敦彦は支度をするために一度部屋に戻った。支度を大体終えた後、ふと何かを考えこみ、箪笥の一番上の引き出しを開け、細長い上等そうな赤い箱を取り出した。箱の片隅には、”高田屋"と小さい金色の判が押されていた。その箱を大事に風呂敷に包んでいた時、部屋の外から声がした。
「敦彦、まだいる?」
茜だ。茜は被害者であるはなの友人たちを訪ねることになっているため、今日は敦彦とは別行動のはずだ。
(どうしたんだろ?)
「あぁ。もうそろそろ出るけど、どうした?」
戸を開けると、支度を終えた茜と2人の部下がいた。
「それなら、間に合って良かったわ。昼頃に志麻さんがここに来るって連絡があったの。だから、それまでにはなるべく戻ってきて。」
「分かった。そっちも、もう出るの?」
「えぇ。ご両親から聞いた、仲の良かった友人を5、6人訪ねるつもりよ。」
被害者のはなは、京から奈良へやってきて1年ほどしか経っていないため、交友関係を絞ることは簡単だった。
(その友達の中に、事件当日に会ったっていう子がいれば、足取りがだいぶん分かるんだがな...)
その後、要件を伝え終わった茜は部下たちと共に町へ出かけ、敦彦も高田屋へ向かった。
高田屋の戸は閉まったままで、しばらく店を休むという旨がかかれた張り紙が貼ってあった。その店の横には平屋が一軒並んでおり、そこが高田屋一家の住まいだった。
「ごめんください。」
敦彦は、戸を軽くたたいて、中から人が出てくるのを待った。数分もせずうちに、奥から被害者の母親である女が出てきて、部屋へ案内してくれた。
「お待ちしておりました。わざわざ、こちらまで足を運んでいただきありがとうございます。幸村さんでよろしかったですよね?」
「はい。」
「あのー、これ良かったら、どうぞ。それと、あの時はひどく取り乱したりしてすみません。」
そう言って、女は冷たい緑茶と饅頭を机の上に置いた。
「いえ、大丈夫ですよ。大切な方を亡くされた気持ちはよく分かりますから...。あれから、ご体調の方はどうですか?」
女の様子をみると、昨日よりはだいぶん落ち着いている様子だった。
「あれから、まあまあ、落ちつきました。...ただ、気持ちの整理をするのにもう少し時間がかかりそうなので、主人と相談してお店を少しの間休むことにしたんです。」
「えぇ。私もあのお店に入ると、今にも娘が元気よく接客している姿が目に浮かんでくるのが、今は辛くて...。」
夫婦といくつか話を交わした後、男は本題の“お客様名簿”を大事そうに抱えて持ってくると、敦彦に渡した。
「これが、何回か高田屋の品を買ってくださったお客様の名簿です。名簿と言いましても、こちらへ来てから作ったので、記録している名前はわずかですが。」
「そうなんですね。こちら、少しの間だけお借りしてもいいですか?」
「こちらの名簿はお貸ししますが、頼みごとがあるのです。話してもよろしいですか?」
男は、真剣な表情になり、真正面から敦彦をしっかり見つめた。真剣な雰囲気を感じ取った敦彦も、同様に真正面から、しっかり男を見た。
「はい。我々ができることであれば、協力いたします。」
「...私たちは商人です。商売は、お客様との信頼関係で成り立っていると私は常日頃から考えています。この名簿に載っている方たちは、うちの品を気に入って買ってくださっている大切なお客様なんです。疑うことはあまりしたくない。でも、娘のため、次の被害者が出ないためにこれをあなたたちにお貸しします。そして、頼み事は一つです。」
男は一呼吸置くと、再び話し始めた。
「捜査とはいえ、この方たちを安易に疑うことはやめてほしいのです。捜査をお願いしておきながら、馬鹿なことを言ってるとは承知の上ですが、どうかよろしくお願いいたします。」
男はそう言うと、女と共に頭を下げた。敦彦はその頼みを引き受け、お客様の情報を大切に扱うことと、一刻も早く犯人を逮捕するために全力を尽くすことを約束した。男からお客様名簿を受け取って、本来の目的を果たした敦彦は、お見せしたいものがあると言って、一緒に持ってきていた風呂敷から赤い箱を取り出した。
「おや、それはうちで買われたものですか。そして、その箱の材質は京にいたころに使用していたものだ。」
「これは、1年ほど前に京で購入したものです。」
そう言いながら、敦彦は細長い赤い箱を開けた。中には、桜の飾りがついた簪が入っていた。
「ねぇ!あなた、これって!」
簪を見た女は、手で口を押えて驚いていた。
「...あぁ。これは、」
男も簪を見て驚き、女と顔を見合わせた。
「はなが、初めて自分でデザインを考えて、作り上げたものです。」
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「お兄さん、先ほどから真剣に簪を眺めていらっしゃいますが、どなたかに贈り物ですか?」
ぼんやり何かを考えていたため、お店の女に急に話しかけられた敦彦は少しびくっとしたが、照れくさそうに笑いながら返事を返した。
「えぇ....、まぁ、そうですかね。」
1年前、敦彦は、少しの間研修のために京に来ていた。研修は、その土地特有の捜査方法を学んだり、そこに派遣されている朱雀藩の支部の者と交流を深める機会として設けられている。その研修期間が残り数日で終わりを迎えようとする頃、敦彦は同じ研修に参加していた茶門司と共に息抜きがてら、京の町へ一度出かけることにしたのだった。茶門司よりも早く待ち合わせ場所についた敦彦は、近くの小間物屋が目に留まり、吸い寄せられるように中へ入っていった。
店の中には数人のお客さんがいて、皆楽しそうに品を選んでいた。特に櫛や簪の種類は豊富で、人気がありそうだ。
(かんざし...。この色合いとか、■■の髪に似合いそうだな)
そのようにぼんやり考えているときに、お店の女に話しかけられたのだ。
「もし何か分からないことがありましたら、いつでも声をかけてくださいね。あっ、申し遅れましたが、わたくし、この店で働いているはなと申します。」
はなは、愛嬌良くほほえみながら、自己紹介をした。そして軽く商品の説明をしてくれた。流行りのものから次に流行りそうなデザイン。そして自分が望むデザインのものがないときは、要望を店に伝えてくれれば、それを作成してくれるそうだ。
「うちの店は一つ一つ手作りで作っております。そして、デザインも少しずつ違うから、その人だけの簪をお贈りすることができるんですよ!」
そう言われて簪を見ると、確かに全く同じデザインのものはない。いろいろ見ていると、桜の飾りの簪が目に入った。ただの桜の簪ではない。桜の蕾や開花している時の桜。そして散りかけている桜の様子が簪一つで表現されていた。
(あの頃はよく桜の木の下で遊んでたよな...)
幼い頃の思い出がどこか懐かしく感じる品だった。その簪を手に取ってみると、素材もよく、細部まで丁寧に仕上げられていた。他のデザインも見てみたが、やはりあの桜の簪が気になる。
(これにしよう...)
たとえ、相手にすぐ渡せなくても。
「はなさん、これをいただけますか?」
その簪を買う旨を伝えた時、はなは少し驚いた様子だった。
「はっ、はい!」
そして、簪のお金を支払い終えて礼を言い、店をでようとしたとき、はなに呼び止められた。
「あの!どうしてこの簪を選んでくださったのですか?」
「選んだ理由ですか...。何と言いますか、桜は、俺とこの簪を贈る人にとって思い出深い花なんです。だから、この桜の簪を選びました。」
「でも、この簪は、桜がまだつぼみの時や、散っている時も飾りで表現されているのですが、それでも良いのですか?多くのお客様は、桜がきれいに咲いているときの簪をご購入していくので。」
はなは、目を伏せて少し躊躇いがちに言った。たしかに、桜が散る様子は儚く、どこか寂しさを感じさせるものであり、"別れ”や"負け"を連想させるものであった。そのため、デザインに取り入れられているものは珍しかった。
(でも...)
「俺はこれが良いんです。桜が咲いていない時も、満開になって散っていくときも、その人と過ごした時間はどれもかけがえのないものだったから。それに、桜が一年中咲いているよりは、春にだけ開花して散るほうが俺は良いと思います。」
「どうしてですか?」
はなは理由が分からず、首を傾げた。
「だって、またその桜が春になって満開に咲くのを大切な人と待つっていう楽しみが増えるじゃありませんか。」
その敦彦の言葉を聞いて、はなは顔を上げて、嬉しそうに笑った。
「そうですよね!」
はなは心の中で思っていた疑問が解消したのか、とても晴れやかな顔になっていた。
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男は赤い箱を手に持ち、中に入った簪をしばらくの間、じっと見ていた。
「あなたが、はなの最初のお客さんだったんですね。あの子が、この簪が売れた時のことを嬉しそうに何度も話してくれたから、私たちも覚えてますの。」
女は嬉しそうに言いながら、簪をずっと見ている自分の夫を優しく見つめた。
「あの簪のデザイン、桜の蕾や、桜が散ったときの姿も取り入れられていたから、主人がなかなか売れないんじゃないかって心配して。」
「そうだったんですね。」
敦彦は、その簪がはながデザインしたものとは知っていたが、初めてデザインして作ったものだとは知らなかった。
「でも、あなたが買ってくれた。それにあなたの考えを聞いて、視野が広がって、もっといろんなデザインを描きたいって喜んでたわ。」
女がそう話しているうちに、男は簪を見終わったのであろうか、赤い箱を再び机の上に丁寧に置いた。
「この簪を見させていただき、本当に感謝いたします。しかし、どうしてここへ持ってこられたのですか?」
「これは、あなた方の大切な娘さんがは初めてデザインして作られたものなので、ご両親の手元にある方がいいかと思いましたので、お持ちいたしました。」
「幸村さんのお心遣いはうれしいのですが、これは受け取れません。」
男は優し気な顔で、簪の入った箱を敦彦の方へ差し出した。
「私たち、職人は、作ったものをお客さまが大切に使ってくれるのが何よりも嬉しいと感じます。だから、はなも、この簪が私たちの手元にあるより、使ってもらう方が嬉しいと、きっと思ってますよ。まあ、あなた自身が使うわけではないでしょうけどね。」
そう言うと、男はふと笑みをこぼした。
「...実はお恥ずかしいながら、なかなか都合がつかず、渡せなくて。でも、最近、やっとその簪を渡せそうなんです。」
少し照れくさそうにしながら話す敦彦を見て、女は一つ助言をした。
「一番大事なのは、一生懸命に気持ちを伝えることですよ。回りくどく言わずに、直球にね。」
簪の件も話し終えた敦彦は、簪が入った赤い箱を再び風呂敷に包みなおした後、高田屋一家の住まいを後にした。そのころには、志麻が朱雀藩に来る時間帯になっていたため、帰路を急いだ。
(志麻さん、もう来ちゃってるかなー)