20.手当て(2)
その頃、橋の近くで待機していた茜たちのもとに、駆け寄る者たちがいた。彼らは特徴的な紺色の詰襟の制服を着ており、一目で町奉行所の者だとわかる。茜が志麻と別れた際に、伝書の符で事前に町奉行所の方へ要請を出していたのだ。
「遅くなり申し訳ございません。我々、町奉行所の田中と、こっちは鈴木と申します。えっと、朱雀藩の赤兎馬さんですよね?」
「はい。朱雀藩二番隊所属の赤兎馬です。この度は緊急の要請に応えていただきありがとうございます。」
茜と一緒にいた子供は急に駆け寄ってきた男たちを警戒して茜の着物の袖を強く握りしめたが、男たちが町奉行所の者だと知ると、橋を渡った先にある家を指差して、母親を助けるように強く訴えた。そして、茜は、現状を知らない町奉行所の者に、”母親を助けるために一人が家に入ったが、まだ出てきていないこと”を話した。それを聞いた男たちはうなずき、家の方へ足早へ向かい、茜たちもその後に続いた。
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子供を守るために、今まで受けてきた被害を奉行所に訴えると強い決意を露わにした女に、男は焦った。そして、男は女を脅すような、侮辱するような言葉を吐き散らかした。
「お前は最後まで本当に救いようのないやつだな…。」
志麻は、ぼそりとそうつぶやくと、男の首筋に鋭い手刀を打った。男は声を出すこともなく、ただ静かに前に倒れた。
そのとき、外からごそごそと音が聞こえ、志麻が開け放しにしていた戸から、見知った顔がひょいと現れた。
そして、その後ろから、一人の子供が地面に座り込んでいる女のもとへ駆けだした。
「母さん!」
子供は涙を流しながら、そう叫ぶように言って、母親へしがみつくように抱き着いた。女も涙をぽろぽろと流しながら、子供を優しく抱きしめ返した。
「喜助、許しておくれ…。母さん、この男となかなか別れられなくて。…勇気が出なくて、ほんとに、ごめんね。」
喜助と呼ばれた子供は、母親の腕の中で、首を横にぶんぶんと振る。
「違う、母さんは悪くない。俺こそ、ごめん、母さんを守るって言ったのに。」
そう言ってひどく泣く子供を、女は、より一層強く抱きしめた。
茜はその親子の様子を見て、心の中でほっと一息ついた。
後ろでは、志麻が町奉行所の者たちにこの家で起こったことをざっくりと説明していた。
「っていうことで、この男を捕縛して、牢へ入れておいてくれ。被害者からの聞き取りは、今日は難しいと思うから、明日か明後日ぐらいになると思う。書類については、とりあえず今日の分だけ、お前たちに任していいか?」
志麻は男たちにそう話しながら、地面に刺さっていた刀を引き抜き、鞘に納めた。
「「はい!!」」
男たちは声をそろえて返事をすると、地面で気絶している男の捕縛に取り掛かった。男は気絶しているため、抵抗することもなく、縄での捕縛はあっさりと終わった。
「いやー、俺、最初、戸を開けた時、志麻さんの刀が地面に刺さっているし、男は何も声を上げてなかったから、てっきり志麻さんが男を殺したんじゃないかって焦りましたよ。」
田中と名乗った男が、志麻に親しげに話しかけた。
「阿呆、一庶民相手にそんな事、出来る訳ないだろ。それに、罰を与えるのは、上の役人がする仕事だ。」
志麻はそう答えると、男の頭を軽く小突いた。
「いてっ、まあ、そうっすよね。でも、志麻さん、せっかくの非番の日なのに、対応していただいてありがとうございました!!」
田中はそう言って、頭を下げた。もう1人の男も続けてお礼を言い、志麻に頭を下げた。
「いや、それは俺が勝手に首を突っ込んだだけだから、礼なんていらねーよ。それより、こっちの方こそ、ありがとな。緊急要請への対応、上手く出来てるじゃねぇか。」
その志麻の褒め言葉に、男たちは嬉しそうに“はい!”と返事をした。
その後、町奉行所の者たちは、現場や今回の捕縛に至るまでの経緯をおおよそ把握したため、男の意識が回復する前に奉行所まで瞬時に移動する符を使って戻ることになった。
「じゃあ、後はよろしく頼むな。」
「任してください!!」
男は元気よく答えると、自分の胸をどんと叩いた。
「今回の件、本当に助かりました。また、朱雀藩と協力する際は、よろしくお願いします。」
茜は、男たちが奉行所へ帰還する前に再びお礼を伝えた。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
鈴木がそう言った後、もう1人の男、田中はうずうずした様子で“あっ、あの、”と口を開いた。
「野暮な質問だと思いますが、お二人は、その、どういったご関係で!」
鈴木も気になっていたのか、田中を窘めることなく、志麻の方を興味津々に伺っていた。
「はぁー、お前らな...。ただの仕事仲間だ。」
「そうね。まあ、仕事関係なく、ご飯とか一緒に行くこともあるから、”友人っぽいもの”でもあるかしら。」
志麻と茜がそう答えると、期待していた答えではなかったのか、男たちは少し残念そうだった。
「いやー、やっと、あの仕事や医術にしか興味がない志麻さんに良い人が出来たのかと思いまして...。」
(仕事と医術しか興味がないって...)
茜は、その言葉を聞いて、ふふっと笑った。
「なんか、志麻さんらしいわね。」
「おい、そこまで笑う事ないだろ。あと、お前らも、無駄話せず、早く、奉行所戻れ。まだ、お勤め中の時間だろ?」
志麻にそう指摘された二人は大きな声で返事をした。そして、田中が気絶している男を抱え、鈴木が符を破くと、田中たちと気絶している男の姿が消えた。
「さてと、こっちのほうは、一旦、一段落ついたとして、後は...。」
志麻が親子たちのほうへ視線を移した。茜も同様にそちらのほうを見やると、薫子が子供の腕に包帯を巻いていた。
「むしろ、私たちの本命はあっちかしら。」
(この場に私たちがいるにもかかわらず、自ら手当てをしているってことは、もう隠す気はないってことかしら)
茜たちは、薫子が親子の手当てをしてる間、男によって荒らされた店の中を綺麗に掃除することにした。そして、志麻が割れたお椀の破片を集めていると、手当てを終わった子供が志麻に後ろからどんと抱きついた。
「おじさん!母さんを助けてくれて、本当にありがとう。」
「おう。坊主もよく母さんを守りきったな。でも、今はちょっと離れてろ、破片がこの辺に散らばってて危ないから。」
志麻はいきなり背後から抱きつかれて少し驚いたが、子供の頭を優しくなでて、そう言った。
茜たちが掃除を終える頃には、薫子も母親の手当てもちょうど終わりかけていた。薫子の手当てが終わった後、母親は茜たちに礼を言った。
「夫のことを対応していただいた上に、店の掃除まで、ありがとうございました。本当に、なんとお礼を申し上げたらいいのやら。このことは感謝してもしきれません。」
母親は涙ぐみながら、そう言った。
「それに、薫子さんも、本当にありがとう。あなたが手当てをしてくれたおかげで、痛みがだいぶん和らいだのよ。」
母親はそう言って、薫子の手を両手で優しく包み込んだ。
「あなたの、この手は、"薬師さまの御手"のようね。」
母親の言葉に薫子の瞳は揺れたが、薫子はすぐ視線を伏せた。
「…私は、あなたが思うような”良い人”では、ありません。」
そう言って、薫子は、母親の手に包み込まれていた両手をさっと抜き取り、茜たちのほうを向いた。
「私に用があったのでしょう?」
「あぁ。すまねーな、跡をつけるような真似して。」
薫子の質問に、志麻が堂々とそう答えた。
「私もお話したいことがありますが、奥様に陽が落ちるまで屋敷に戻るように言いつけられているため、今日はあまりお時間が取れそうにありません。明日でもよろしいですか?」
「えぇ。もちろん、良いわ。場所は、」
「場所は、奉行所や藩以外でよろしくお願いいたします。」
場所を告げようとした茜の言葉を遮って、薫子はそう言った。
(朱雀藩で話を聞こうと思ったのだけど、何か理由でもあるのかしら?)
茜が場所をどうするか考えていると、こちらのやり取りを不安げに見ていた母親が声をだした。
「あの、よろしかったら、この店をお使いください。明日は、私は奉行所に行かないといけないので、店を開けないつもりでしたから。」
「...よろしいのですか?」
母親の思いがけない提案に、茜は再度聞き返した。
「えぇ。あなたたちには、とってもお世話になりましたから。どうぞ、お使いください。」
茜と志麻は少し話し合った後、母親のご厚意に甘えることにし、感謝の意を述べた。




