18.謎の女(3)
「お前って、意外と演技派だったんだな。」
魚屋を出た後、志麻は茜にそう言った。
「そうかしら?」
「あぁ。おかげで、店の人に気づかれることなく、上手く話を切り上げることができた。」
「ふふっ、あれは茶門司さんのおかげかしら。茶門司さんがね、言ってたの、"人の痴話喧嘩ほど、巻き込まれてめんどくさいものは無い"って。」
そう言うと、茜はその時のことが脳裏によぎって、ふっと笑みをこぼした。
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あれは、年の瀬に行われた宴会でのことだった。
その宴会は、朱雀藩全体で催された大きなもので、本部や支部関係なく、多くの隊士が朱雀藩本部に集まった。酒を酌み交わす者や運ばれた料理に舌鼓を打つ者、同郷の友と肩を組んで踊って歌う者もいて、たいそう賑やかな場となった。そのがやがやとした空間で、ある卓に、酒瓶を"ダンッ"と置く者がいた。
酒瓶を置いた男、茶門司は、"ふぅー"と一息吐き、何杯目になるか分からない酒を注いだお猪口を手に持ってぐいっと飲み干した。。
「は、はじめ...、そんなに飲んで大丈夫か?」
茶門司と同じ卓にいた、一番隊隊長の赤兎馬は心配そうに聞いた。
「そうよ、茶門司さん。下戸でも一、二杯なら飲める敦彦が一口飲んだだけでこの有様なのよ。かなり、度数が強いお酒だと思うわ。」
茜も心配そうに言って、卓のそばの畳で顔を赤くして寝ている敦彦を横目でちらりと見た。敦彦は、この酒を一口飲んだ後、倒れこむように寝てしまったのだ。
「いえ、逆にこのぐらい強いほうがちょうど良いです。...じゃないと、やってられませんから。」
茶門司はそう言って、下に向けていた顔を勢いよく上げた。
「良いですか?これは私の持論ですが、他人の痴話喧嘩ほど巻き込まれてめんどくさいものは無いと、つくづく思うのですよ。親しい間柄の者でさえ、めんどくさいと思うのですから、ましてや、あまりよく知らない者の痴話喧嘩なんて、もってのほか。第一、本当に相手に恋慕の情がなくて別れたいと考えているなら、たいていの場合はごたごたと悩まずにさっさと別れているはずです。」
茶門司はそこまで一気に話すと、再び酒を煽った。
「つまり私が言いたいことは、一つです。」
茶門司に卓を挟んで真正面から見据えられた赤兎馬は、ごくりと唾をのんだ。
「赤兎馬隊長、いえ、剣司、さっさと京へ行って、仲直りしてきなさい!!」
「はっ、はい!」
赤兎馬は、まれに見ない茶門司の気迫に押されたのか、びしっと背を正してそう答えた。
「まったく、あなた方の場合は、お互いを思いやりすぎているが上に、ちょっとした揉め事になったみたいですけど、剣司から相談されたとき、喧嘩の話ではなく、惚気話を聞かされているのではないかと思ったほどですよ。婚約者の方は、ご実家の、京にある呉服屋を継ぐのを諦めてあなたのいる大和へ来ると言って、剣司、あなたは彼女が実家を継げるように、隊長を辞めて一隊員として京へ移ると。」
「...彼女には、実家の呉服屋を継ぐという夢を諦めてほしくない。」
「そうですか。しかし、それは彼女も同じ気持ちだと思いますよ。あなたに、朱雀藩一番隊隊長として築き上げてきたものを手放してほしくなかった。だから、簡単にそれを手放そうとするあなたに怒ったのでしょう。お互い、それほど大切に想いあっているのですから、よく話し合うべきです。」
茶門司の言葉に、赤兎馬は目の奥を揺らした。
そして、迷いが断ち切れたのか、表情はどこか晴々としていた。
「そう、だよな。ありがとう、一、相談にのってく、」
赤兎馬の言葉はそこで途切れた。なぜなら、茶門司が急に後ろへ、ばたりと倒れたからだ。
「はじめ、おい、大丈夫か!」
赤兎馬や茜は茶門司のそばへ寄ると、静かな寝息が茶門司から聞こえてきた。どうやら、眠っているようだ。やはり、酒が強すぎたのだろう。
「おやおや、一がここまで酔いつぶれるとは珍しい。」
そう言った三番隊隊長の伊藤がくすっと笑いながら、茶門司の顔を赤兎馬の背後から覗き込んでいた。
「伊藤さん!」
赤兎馬が声のする方を振り返ると、三番隊隊長の伊藤の他に、二番隊隊長の焔もいた。
「そうだな。それと、剣司、話は途中からしか聞いてないが、俺も一と同意見だ。早く、婚約者さんのとこに行って、仲直りしてこい。じゃないと、結婚しても、根に持たれてぐちぐち言われるぞ。」
焔はそう言って、赤兎馬の頭をわしわしと撫でた。
「そうよ、ぐだぐだ悩むなんて、兄さんらしくないじゃない?それに、“男なら、当たって砕けろ”って言うでしょう。」
「茜...、でも、砕けたくはないかな。焔さんもありがとうございます。決心がつきました。僕はやっぱり彼女と一緒になりたい。だから、明日か明後日にも京に行ってよく話し合います。」
「おう!こっちのことは、俺たちに任せておけ。」
「じゃあ、明日、赤兎馬くんはお休みですね。次いでに、赤兎馬くんは2、3日ほど休暇が溜まってるので、それ、京で婚約者さんと消化してきてくださいよ。」
伊藤は赤兎馬にそう言うと、畳で寝ている茶門司を”よいしょっ“と言って、背負った。
「じゃあ、私は一を部屋まで運びますね。あなたは、彼のほうをよろしく頼みますよ。」
伊藤は、茶門司と同じように畳に転がっている敦彦の方を見ながら、言った。
「あぁ。部屋まで運んどく。」
伊藤に頼まれた焔はそう言って、頷いた。
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(あの茶門司さんが、お酒を飲まないとやってられないくらいだもの。でも、まさか、こんな場面で役に立つとは思わなかったわ)
茜は、心の中で茶門司に感謝の意を伝えた。
「おい、茜、あれ。」
そう言われた茜は、志麻の視線の先を見ると、薫子がちょうど角を曲がるところだった。
「急ぎましょう。」
「あぁ。」
茜たちは、急ぐように少し駆け足で、彼女の後を追った。
一方、その頃…...。
“くしゅん!”
三番隊の隊長室で書類を整理していた茶門司は、小さなくしゃみをした。
「一、もしかして風邪気味ですか?」
くしゃみを聞いた伊藤は机で黙々と判を押していた手を止め、少し心配そうに尋ねた。
「いや、急に鼻がむずむずして。体調に特に変わりはないです。」
「そうですか。...では、誰かが一の噂話をしているかもしれませんね?」
伊藤は揶揄うように、にこにこと笑いながら、茶門司に言った。
「迷信ですよ、そんなもの。それよりも、お喋りは良いですが、手元も動かしてくださいね。」
茶門司はそう注意すると、書類の整理に再び取り掛かった。
「は、はじめ...、最近、私に冷たくないですか!!」




