16.謎の女(1)
小間物屋を出た後、茜と志麻はさらに道を進めた。すると、段々と小間物屋や呉服屋などの華やかな店は減っていき、八百屋や米屋、魚屋といった食材を売る店が多く見られる道にでた。その通りは、夕飯の材料を買いに来たのだろか、まあまあ人通りも多く、ときどき調子良い売り声が店から聞こえてきた。
「あれ、この辺って、例の事件の魚屋さんがあるわよね?」
茜は確認するように、志麻に小声で尋ねた。
「あぁ、そうだ。」
志麻は足を止めることなく、そう答えた。
志麻がどこに向かっているか分からない茜は、ただ志麻の横に並んで歩いた。
「また、その魚屋に話を聞きに行くの?」
「いや、魚屋の聴取はもう済んでる。」
「じゃあ、どうして、ここへ?」
茜は志麻の目的に皆目見当もつかないためにそう尋ねると、志麻は茜の方を振り向いた。
「なあ、もし、その魚屋が見たっていう、謎の女がわかるかもしれねぇって言ったら?」
志麻はにやりと笑って、そう言った。
事件が発生したと思われる当日、被害者である高田はなが雨宿りをしていたという魚屋。そして、その後、高田はなは友人と思われる女に連れられ、店を出て行ったことが、魚屋の店主の証言で明らかになっていた。ただ、魚屋の店主は女の顔を見ておらず、女に関する情報は、髪の色と、そのときに女が着ていた着物の柄ぐらいしかない。
だから、茜は、先程の志麻の発言を聞いて、一瞬耳を疑った。
「えっ...、どういうこと?その女について分かってるのは、長い黒髪で紺色の着物を着てたことぐらいなのよ。たったそんだけの情報で、どうやって見つけれると言うの?」
「これは、俺のただの勘というか、予想だが、その女はここの市をよく利用している買い物客じゃないかってな。」
「買い物客...?そうだとしたら、たしかに食材を買う店とかだといつもと同じところを利用する人が多いから、また、ここを訪れているかもしれないわね。でも、なんで、その女が“買い物客”だと思うの?」
「ひどい雨の日に、一人で、ここの、八百屋や魚屋やらが立ち並ぶ通りにいた。ちょうどこのくらいの時間に。まっ、そういうことだ。」
志麻がそう言うと、2人の間に一瞬、無言の空気が流れる。そして、その空気をすぐ破ったのは、茜だった。
「いやいや、そんだけで、“あぁー、なるほど〜”ってなるわけないでしょ!!ちょっと、こじつけすぎよ!たまたま、ここの通りを通っただけかもしれないじゃない。それに、その女がここに何回も訪れていたとして、私たちは女の髪に関することしか分からないのよ?どうやって探すのよ。」
茜は一気に、志麻に強く、そう反論した。その茜の声の大きさに対し、志麻は自身の人差し指を口元に持っていき、しぃーと静かにするように、茜にすぐ注意を促した。志麻から注意を受けた茜は、思わず、口を両手で覆い、周囲をきょろりと見回した。幸いにも、周囲にあまり人はおらず、茜たちの会話を気にしているような者も見られなかった。
「そのことについてだが、茜の言う、しっかりした根拠は、まだない。ただの俺の勘だ。」
志麻はそう言って笑っているが、その目は真剣そうに、茜には見えた。
普段、志麻は理論的に考える性格で、"勘"という言葉はめったに使わない。茜はそれを知っているためか、珍しく、"自分の勘だ"という志麻に、何か考えがあるのだろうと思った。
(たぶん、志麻さんは、その女が誰か、大方の見当がついてるんだわ。......でも、私には、まだそれが誰か分からない。悔しいわね)
茜が心の中で、志麻との経験値の差を悔しがっていると、志麻がぼそりとつぶやいた。
「いた...。」
その一言を聞き取った茜は、志麻の視線の先に、すぐに目をやった。
(あの人は!)
志麻の視線の先にいた人物は、一昨日会った、大倉夫妻のもとで働いている使用人の薫子だった。
薫子は、落ち着いた紺色の着物を着ており、屋敷では一つに結んでいた髪を上にあげて、笄でまとめていた。髪を解くと、十分な長さになるだろう。
(長い黒髪...、謎の女の外見には、一応、当てはまっているわね)
「まさか、こんなにもすぐに会えるとはな。茜、朱雀まで送り届けられなくてすまないが、ここで別れよう...と思ったが、その顔、帰る気なんてさらさらねえな。」
志麻は、茜の顔を見て、そんな風に言い直した。どうやら、志麻としては、久しぶりの休暇である茜に気を使ってか、事件の調査に巻き込みたくなかったらしい。
「当たり前でしょ?逆にここで帰ったら、朱雀の一隊員としての誇りは無いようなものよ。それに、二人の方が尾行しやすいじゃないかしら?」
にっこりと微笑んで言う茜に、志麻は“はぁー”とため息をつき、説得するのを諦めた。
「ったく、俺が茶門司さんに怒られるじゃないか。“久しぶりの非番なのに働かせて”って。」
「大丈夫よ。その辺は、上手く、どうにかしとくから。そんなことより、どうして、あの人が怪しいって思ったの?」
茜は、志麻が薫子を怪しいと思った根拠が分からなかった。ただ、薫子は、3年前の京で元使用人が遺体となって発見された事件について、何か知っているようだった。
(薫子さんが何か言いかけたとき、夫人が来て、話を遮られちゃったのよね...)
そのこともあってか、志麻は薫子を怪しく思い、謎の女と結びつけたのだろうか。
「まあ、そこまでしっかりした根拠じゃねえけど、最初にちょっと怪しいって思ったのは、茶会のときに“御手医者はいない”って夫人が答えたときだな。」
尾行していることを気づかれないように、薫子と一定の距離を保って歩きながら、志麻は茜にそう言った。
「茜は、あの薫子っていう使用人と距離が離れてたから、気づかなかったかもしれねえが、俺たちが御手医者に関する質問をしたとき、あの女、自分の指先が見えないように袖で隠そうとしていたんだ。」
「指先...?」
「指先というよりは、爪先の話だが、女の爪先は、茶色がかった緑色っぽい色だった。茜、それが、どういう意味か分かるか?」
「爪先がそんな色になっているってことは、常日頃、草花の手入れとか、土いじりとかの作業をしてたってことかしら?たしか、夫人の話によると、薫子さんはハーブの栽培をしてるって言ってたから、多分、それが爪の色の原因だと思うわ。でも、それだと、なんで薫子さんは医者の話をしたとき、その緑かかった爪先を隠そうとしたのかが分からなくなってしまうけど...。」
「ハーブか、うーん、惜しいな。夫人から、ハーブ栽培の話があったんだから、わざわざ、俺たちに爪先を隠す必要ないだろ。それも、医者の話の時に。」
「じゃあ、薫子さんは、ハーブじゃない何かが原因で緑っぽい色になった爪先が、"御手医者はいない"っていう夫人の発言を疑わしいものにしてしまうかもしれないと思って、隠したってとこかしら。でも、一体、それは何なのよ。」
「ハーブとは似てるが、色が濃く残りやすいもの。一つあるだろ、医者が煎じて傷薬とかにするもの。」
茜は、志麻の助言により、ぱっと頭に思い当たるものが一つ浮かび上がった。
「薬草ね!!」




