1.朱雀藩
日が差し込む部屋で書物の上でよだれを垂らして眠る男が1人いた。その部屋の障子を開け、男が眠っている様子を見て呆れた眼鏡をかけた男は、肩をたたいて起こした。
「起きてください、敦彦殿。白虎藩の一番隊隊長が来ていますよ。それと徹夜明けできついかもしれないですけど、報告書早く仕上げないと、隊長がお怒りになられますよ。」
起こされた男は大きなあくびをして本を閉じ、机の上に散らばった皺の寄った報告書を一つにまとめた。
「報告書はこの通り。ちゃんと仕上げましたよー。大体、緊急でも無い内容だし、徹夜明けだから、一旦寝て提出しても良いでしょうに。茶門司さんも徹夜明けでお疲れでしょう?」
茶門司と呼ばれた眼鏡の男は敦彦から報告書を受け取り、内容を速読した。
「内容に不備はありませんね。ちなみに私は疲れてはいますが、今日は午後からお勤めがありましてね。それに比べたら、ましでしょう?」
「・・・まじ?」
茶門司から言われた場所にくると、白い羽織を纏い、長い白髪を青の組み紐で一つに結んだ武士が座っており、お茶を飲んでいた。
「悪いな、待たせて。白虎藩のたいちょーさん。」
白虎藩とは、以前政の中心とされていた京からみて西の九州の国の治安を守っている治安維持組織みたいなものである。白虎藩の他に、朱雀藩、青龍藩、玄武藩の4つの組織が存在している。それらは平安の時から存在し、国から正式に認められ、治安を保つためにつくられた組織である。
ちなみに敦彦は朱雀藩に所属している。朱雀藩は大和の国や京を中心に周辺の地域の治安を守っている。
「揶揄うな。私はただ敦彦の友人として来ただけだ。それより、報告書は提出したか?」
そう言いながら、手際よく席に向かい合って座った敦彦の前に空の茶器に、お茶を注いだ。
「もちろん!でもさ、俺って、一応“二番隊”所属で副隊長なのにさ。俺がいつも従事する仕事は内容的に大体一番隊の内容だし。なんかなー」
幸村敦彦。齢17にして、朱雀藩の二番隊の副隊長を務めている。
各藩には、一番隊から三番隊まで存在しており、それぞれの隊では異なる業務を担っている。最も隊員数が多い一番隊は主に幕府打倒から殺人や盗みといった、“人”が起こす事件を担当している。そして、敦彦が所属する二番隊は、霊や呪い、妖などの人為的にあり得ないような事件を解決するために存在している。しかし、現在では平安の頃に比べて遙かに妖や呪いといった類の案件は少ない。だから、二番隊は藩の中では、隊員数が多くても人手が足りていない一番隊の仕事を兼ねていた。
「それだけ、平和ってことなら良いじゃないか。」
「・・・“平和”ね。昔は二番隊の方が忙しかったって聞くと、今は人間同士が憎み合って起きる事件が増えたってのもねー。白夜の方は忙しい?」
北条白夜。敦彦と同じ17歳という若さで、白虎藩の一番隊の隊長を務めている。敦彦とは同郷であり、家が近いこともあってよく遊んでいた。
「まぁ、それなりにね。ここに比べたらまだ忙しくはないとは思うけど。それなりに休暇は取れるよ。」
「じゃあ、今日は休暇ってこと?」
敦彦は、白夜が白虎藩の家紋を顕す「桔梗」が金の糸で刺繍されている白い羽織りを身につけていたため、仕事で大和に来たと思っていた。本来、そういう羽織りは隊長のみに着用が許されており、正式な場の時に着ることが多いのだ。
「うん。羽織りを着てたのは、朱雀藩の赤兎馬隊長に挨拶しようかなって思ってたからだよ。」
赤兎馬剣司。朱雀藩の一番隊長であり、まだ20代でありながらも朱雀藩の各隊を纏め上げるリーダー的存在だ。赤兎馬には妹が一人おり、同じ朱雀藩にいるが、妹は敦彦と同じ二番隊に所属している。
「結局、会えなかったけどね。」
「今日、赤兎馬隊長は京に行ってるもんな・・・。伝言とかあるなら、俺が伝えとこうか?」
白夜はそれを聞くと、横に置いていた風呂敷きをほどき、焼酎一升瓶を机の上に置いた。銘柄をみると、薩摩でしか買えないといわれる有名な焼酎「かぐや」だった。
「なら、これを渡してくれないか。赤兎馬隊長がご結婚されると人伝に聞いたものだから、お祝いをと思って」
赤兎馬は京で昔からある名家の一人娘と何度か見合いをしており、つい最近婚約したのだった。
「これって、有名であまり手に入らないものじゃん!隊長、麦焼酎には目がないから、めっちゃ喜ぶよ。」
「薩摩の方で少しいざこざがあって、その際に仲良くなった酒屋の主人に頼んで買わせてもらったんだ。」
「かぐや」は有名な麦焼酎であり、一つの農家が副業として始めたため、大量生産はされていない。簡単には手に入らず、一見さんお断りだった。値はかなり高いものだが、酒飲み好きなら喉から手が出る程欲しく、死ぬまでに一度は飲んでみたいと思うものだった。
「さすが!白夜の交渉術、学びたいくらい…。でも、薩摩の方は大丈夫だった?」
基本、白虎藩は筑前や筑後を中心に活動している。薩摩の方では“薩摩藩”が大体の事件や揉め事を解決していた。
薩摩藩は幕府公認ではないが、勢力は白虎藩と比較してほぼ遅れはとらない。また、薩摩藩は“幕府お抱え”の白虎藩とあまり仲が良くないため、薩摩の方は薩摩藩に大体任せていた。だから、白虎藩の隊長自らが薩摩などの遠方に任務として赴くことは少ないのだ。
「大丈夫だったよ。幕府からの命令でね、薩摩の方で、不穏な動きをするものがいるとかで。」
江戸幕府は以前の時代と比べ権力争いは少なく、比較的安定して治めているが、やはりどの時代にも権力を欲する者や、改革を起こそうとする者はいる。
白虎藩が拠点を置く九州では、アジアやヨーロッパなどの外国から様々な思想や文化が入ってくるため、何度か幕府に楯突く事件が発生していた。その度に白虎藩は幕府の命を受け、争いの収拾に向かっていた。
「今回は杞憂だったみたい。」
今回は、薩摩に数隻の船が停泊しており、中身が分からない木箱が船からおろされているという情報があった。もしその中身が“武器”なら一大事だ。だから、木箱の中身を確認するために隊長自らが赴いたのだ。
「それで、箱の中身は何だったの?大事になってないってことは、武器じゃなかったってことだよね?」
「逆に何だったと思う?」
白夜はにやりと笑みを浮かべ、お茶と一緒に出されてた豆菓子をつまんで口に入れた。
(武器じゃないんだろ…?じゃあ、骨董品とかか。でも、薩摩藩がそういう芸術品を何個も欲するか?)
「薩摩が欲しくて、幕府の邪魔にならないものだろ?骨董品を沢山仕入れて、お金に替えるとか?」
「残念!正解はこれだよ。」
ふふと笑って言った白夜は、正解の品が入ってると思われる小さめの麻袋を荷物から取り出した。
(野菜か...?)
白夜から渡された麻袋の中身を覗くと、紫色の野菜のようなものがあった。
「“唐芋”っていうみたい。名前だけ聞くと、じゃがいもみたいだけど、唐芋は甘味がある芋だったよ。何でも痩せた土地でも育てやすくて飢饉に備えることができるし、薩摩がちょうど良い栽培温度だったからってことで、持ち込んだらしい。」
(へぇー、“飢饉に備えることができる”芋か…)
幕府による政治が安定している今、次なる問題として重要視されていたのは、人の力ではどうしようもない天候によって起こされる災害などだった。その中で、特に中心になるのは“飢饉”だ。一度飢饉がおこれば、飢え死にしていく者の数は数え切れず、幕府の救済が足りずに、村一つ全滅したこともあった。皆、頭の中では自然のせいだとわかっていても、当時の将軍や天皇のせいだとして一揆や叛逆を企て、行く宛もない怒りをぶつけていた。もしそれを解決できるものとなれば、幕府は大金を叩いても欲しいものだろう。
「俺も食べてみたいなー、その芋。」
「だからそういうと思って、持ってきたんだ。それは敦彦に持ってきた土産だよ。」
白夜は、先程敦彦に渡した麻袋を指差した。
「まじ!!早速、食堂のおばちゃんに言って料理してもらうわ。」
「現地では蒸す料理法が主流みたいで、甘くて美味しかったよ。」
敦彦は白夜からきいた調理法を紙に書き留めた後、それぞれの近況を話し合い、昼刻を過ぎたので遅めの昼食を提案した。
「是非。おすすめのお店に連れて行ってくれ。」
「りょーかい!」
敦彦は貰った芋と、調理法がかかれた紙を食堂の人に渡したあと、白夜と共に町へ出かけた。