11.お茶会(2)
その後、敦彦たちは自分たちが知りたいことに関する話を織り交ぜながら、他愛のない会話を続けた。夫人と話していく中で、この別荘には、使用人の早見と薫子のみを連れて訪れていたことが分かった。あまりにも連れてきた使用人が少ないのではないかと思い、そのことを尋ねると、夫人が理由を話してくれた。
夫人によると、普段から大倉夫妻のもとで働いている使用人の多くは、病で寝込む夫に何かあったときのために京の本宅にいてもらっているそうだ。
(そうなると、もし今回の事件に何か関わっているとしたら、この3人が怪しいのか...。でも、ただ、大倉夫人が、被害者の高田はなが勤めていた店の顧客ってだけじゃあ、事件の関与を疑うには不十分すぎる)
3年前に起きた類似事件の被害者が奉公してたところの主人が、今回起きた事件の被害者の顧客だっただけなんて、"偶然"といわれてしまえばそれまでだ。ただ、3年前の事件は、連続犯が疑われる他の類似事件と比べると、遺体の傷の有無や当時の捜査状況などにおいて色々と怪しい点が見受けられる。そのことから、3年前の事件は計画的なものではなく、突発的に起こってしまったから、遺体に傷や何かしらの証拠が残ってしまった。それをもみ消すために高官に捜査打ち切りの命を出させたのではないかと敦彦は考えていた。要するに、3年前に起きた犯行は他と比べると、杜撰すぎるのだ。
3年前の事件について、当時屋敷で被害者と共に働いていた使用人からも話を聞きたかったが、この別荘にいる使用人は2人ときた。数多くの使用人の中からこの2人を選んで連れてきたということは、夫人への忠誠心はきっと高いのだろう。
(おそらく、この2人に個別で、3年前の事件について聞いても、主人にとって都合の悪いことは話さないだろうな)
敦彦たちは、一杯のおかわりをもらったハーブティーを飲み終わりそうなころ、時間もちょうど良かったので、捜査協力とティータイムのお礼を言い、夫人の屋敷を後にすることにした。
「薫子さん、お客様たちを出口までお見送りしてください。」
敦彦たちが席から立ち上がったとき、早見は薫子にそう言った。
どうやら、早見はティーカップやお皿の片付けをするみたいだ。薫子は早見の言葉にうなずき、敦彦たちのそばに来た。
「屋敷の出口までお見送りさせていただきます。さあ、こちらへ。」
そう言うと、薫子は部屋の入り口の方へ行き、扉を開けた。
(うん...?何だろ、この匂い...)
薫子が近づいた時、敦彦は、ほんのりとどこかで嗅いだことのある匂いがしたような気がした。
(どこかホッとするような匂い、どこで嗅いだんだっけ??)
敦彦は記憶を辿ろうとしたが、何の匂いだったか、すぐには思い出せず、とりあえず一旦それを思い出すのは放棄して志麻たちと共に薫子に付いていった。
部屋に向かうときにも通った様々な美術品が飾られている廊下を通っていたとき、茜は薫子に話しかけた。
「ここの廊下、すごいですよね。こんなに色々な美術品が見れるなんて。ここを通るだけで楽しくなちゃいますね。」
「...ここに飾られている美術品の多くは、元々、商品でしたが、美術商の旦那さまが気に入らっしゃって、手放すことができなかったものです。」
「へぇー、そうなんですね。」
敦彦がそう答えた。
「何か気になる美術品でもありましたか?」
「そうですね...、1番、目に留まったものはこの絵ですかね。」
敦彦はそう言って、壁に飾られた一つの絵を指差した。それには、砂浜と綺麗な色合いの海が描かれていた。いわゆる風景画というものだ。
「これは、旦那さまがまだお元気な頃に、旅行に行かれて、奥さまが描いたものです。」
「へぇー、あのご夫人も画家さんだったんだなー。」
志麻はそうつぶやくと、敦彦が指差した海の風景画を見つめた。
「そういえば、薫子さんは、3年前もご夫人のもとで使用人として働いていらっしゃったのですか?」
「はい、そうですが、それが何か?」
敦彦の質問に、薫子はそう答えた。
(3年前も働いていたとなれば、当時の事件や被害者について何か知っているかもしれない...。主人に口止めされて、何も話さない可能性もあるが、聞くに越したことはないだろ)
敦彦はそう思い、再び薫子に尋ねた。
「3年前に起きた事件の被害者の中村栄介について、何か知っていることがありましたら、教えていただけないでしょうか?」
その言葉を聞いた薫子は一瞬動揺していたが、すぐに平静を装った様にみえた。
そして、薫子は首を横に振った。その反応に、何か知っているなと感じた志麻は、薫子にもう一度敦彦と同じ質問をした。
「どんな、些細なことでもいいんですよ。中村さんがどんな人だったとか、事件が起きる前にいつもと違うことは無かったのかとか。もし、犯人がまだ野放しになっているのなら、ただの転落死とされた彼は、きっと報われない。」
志麻の言葉を聞いた薫子は、目を少し伏せた。
「......、中村さんは、」
「薫子、そんな所で何しているの?」
口を開きかけた薫子を遮ったのは、部屋から出てきた夫人だった。
「志麻さんたち、この後も、まだお仕事があるのだから、早く出口までお見送りしないと。」
部屋から出てきた夫人は、敦彦たちの方へ来ると薫子にそう言った。
「もっ、申し訳ございません、奥様。幸村様、赤兎馬様、志麻様も、大変失礼をおかけ致しました。今すぐに出口までご案内を。」
「いえっ、こちらこそすみません、薫子さんのお仕事の邪魔をしてしまって。実は、この廊下を通ったとき、この絵が気になってしまって、色々と話を聞かせてもらっていたんですよ。」
敦彦は頭を下げる薫子にそう優しく声をかけると、夫人にあの海の絵を指差してそう話した。
「まあ、この絵は...」
「ご夫人が描かれたと聞いて、驚きましたよ。」
志麻の言葉に、夫人は嬉しそうに笑った。
「ふふっ、元々は、わたくし、こうみえて画家でしたのよ。美術商の主人と出会ったのも、たまたま売られていたわたくしの作品を気に入って、"ぜひ他の絵も買わせてくれ"って、家まで訪ねてきたのが最初なの。」
夫人は懐かしそうにその絵を見つめながら話すと、片方の手のひらを絵の中心にもっていった。
「久しぶりにするから、上手にできるか分からないけど、ちょっと、見ててね。」
敦彦たちは何をするんだろうと不思議に思いながら、絵をじっと見つめた。
すると、夫人が手をかざした海の絵が徐々に動き始めたのだ。敦彦は、思わずその光景に目を見張った。
(これは...。もしかして、夫人も、術者だったのか)
夕日に照らされて、きらきらと揺れ動く海面。波がゆっくり砂浜に打ち寄せる音や、カモメの鳴き声までも絵から聞こえる。
「これは、すごいですね。絵が動いている...。それに、波の音や鳥の鳴き声、海のにおいでさえ感じられる。」
そう話す志麻も、やはり少し驚いているようだった。
「わたくしの術は、自分が描いたものに命を吹き込むことができますの。まるで本物のように。たしか、朱雀藩の二番隊のお二方もわたくしと同じ術者でしょう?このような術を見るのは初めてかしら?」
「数年働いておりますが、恥ずかしながら、このような術は、初めてです。先ほどまでは絵だったのに、こんなふうに動いたり、音まで聞こえると、実際にその場にいるような気持ちになりますね。」
茜が、絵を見つめながら、そう答えた。敦彦も、茜と同様にこのような術を見るのは初めてだった。
「ふふっ、そんなふうに言ってもらえて嬉しいわ。でも、やはり年を取ると駄目だわ...。」
夫人は少し悲しそうにそうつぶやいた。
絵を見ると、海面の動きや波の音など、最初の方に比べたら小さくなっている。
「昔は、わたくしが描いた絵は、わざわざ手をかざしたりしなくても、ずっと永遠の命を得たように動いていたの。でも、だんだんと、年を重ねていくうちに絵は動かなくなって...。今となっては、直接、術を使っても、少しの時間しか絵に命を吹き込めなくなってしまったの。」
夫人がそう話し終えている間に、海の絵の動きは止まった。
普通の絵画に戻ったのだ。
確かに、術者は年齢が上がるほど、術が使いづらくなったり、全く使えなくなる例も存在する。しかし、術が使えなくなっても、死ぬわけではない。ただ、術が使えない普通の一般人に戻るだけだ。非術者の多くは、逆に普通に戻れて良いのではないかと言う。
でも、多くの術者にとって、それは違う。
術を失うということは、生まれてから今に至るまでの長い間、人生を共に歩んできた相棒を失うということに、ほぼ等しいのだ。
(年齢とか、仕方のないことだとはいえ、今まで共に生きていた術を失うのはきっとつらいだろうな...)
敦彦自身、術を本格的に使い始めたのは数年前からだが、それでも"術を失う"ということはとてもつらい。長年、画家として術と共に生きてきた夫人なら、なおさらだ。
「...最後に、こんな話をしてしまって、ごめんなさいね。それに、お忙しいのに引き留めてしまって。屋敷の出口まで、薫子と一緒にお見送りするわ。」
そう話す夫人はどこか無理に笑っているようにみえた。
敦彦たちは、屋敷の出口まで案内されると、再び捜査協力のお礼を伝えた。そして、屋敷を出ようとしたとき、敦彦は、何を思ったのか、夫人の方へ振り返った。
「その、ご夫人。もし、術のことや何か困ったことがありましたら、いつでも相談してください。一人で抱えるよりは、人に話して楽になることもありますから。」
敦彦の、その言葉を聞いた夫人は、先程とは違う無理のない笑顔で、嬉しそうにうなずいた。