9.お茶会 開幕
「“大倉香代子”って、被害者の中村が勤めていた家の夫人だろ?」
「はい!」
敦彦はそう言って、その事件資料を再び取り出して、志麻たちに見せた。それと、先ほど自室に走って取ってきたお客様名簿も志麻に渡した。
「でも、この事件って、京で起こったのよね?こっちに店を移してから作った名簿に名前があるってことは、大倉夫妻も大和にいるってこと?」
茜の質問に、敦彦は頷いた。
「たしかに、お客様名簿にのってる住所は、大和だな。引っ越したってことか?」
「いや、こっちにあるのは、"別荘”みたいだよ。」
志麻の疑問にそう答えたのは、"やあ”と言って部屋に入ってきた赤兎馬剣司だった。
「赤兎馬隊長!どうしてここに?」
何も聞かされていなかった敦彦は、少し驚きながら尋ねた。
「実は、敦彦たちに伝えてくれって、一に頼まれてさ。一は忙しくて、捜査会議に来られそうじゃないから、代わりに僕が来たってわけ。それと、志麻さん、改めてよろしくお願いします。」
赤兎馬は人懐っこい笑顔で、志麻に手を差し出した。
「こちらこそ、この度の捜査のご協力、感謝いたします。」
そう言うと、志麻は彼の手を取り、握手を交わした。
「ところで、別荘ってどういうこと?」
「そのまんまの意味だよ、茜。大倉夫妻の本宅は京だけど、それとは別に別宅を3つ持ってるんだ。」
「そして、その3つのうちの一軒が、こっちにあるってわけだな。こりゃあ、思ってたよりもはるかに金持ちだなあ...。」
その通りというように、赤兎馬は頷いた。
「志麻さんの言う通り、大倉氏は美術商でかなり成功しているようだよ。近年、外国から輸入した美術品とかを買い求める人が増えたからね。そして、そのお客の中には、幕府のお偉いさんや、奉行所の高官もいたみたい。」
「じゃあ、京の事件捜査が中断されたのは、大倉夫妻が知り合いの高官の誰かに捜査をやめるように頼んだ可能性があるってことですよね。」
「それについては、一が調査してたみたいだけど、当時、捜査打ち切りの命をだした高官は自宅の火災に巻き込まれてすでに亡くなっていた。そのとき、何もかも燃えてしまったから、証拠も見つけれてないそうだ。」
赤兎馬は、残念そうに言った。
ただ、証拠がなくとも、今回と過去の京での事件に共通の名前が浮かび上がった。偶然だったとしても、調べる価値は十分にあるだろう。
「それで、その大倉夫妻は、まだこっちの別荘にいるのか?」
「いますよ。調査報告によれば、約二週間前から。」
(二週間前なら、事件が起こった日もこっちにいたってことになるな)
やっと、少し疑わしい人物がでてきた。しかも、その人物は、まだ大和に滞在している。その夫妻が、京にある本宅に帰る前までに、なんとか話を聞いておきたい。
「事件当日に被害者と会ってた黒髪の女を探すのも大事ですが、ひとまず、その大倉夫妻の家を訪ねてみませんか?」
「そうだな。京に戻られちゃあ、そっちの奉行所とも連携が必要になってめんどくさいしな。茜もそれで良いか?」
志麻に聞かれた茜は、こくりと頷いた。
「それじゃあ、おおよそまとまったみたいだから、僕はこれで退散するね。あと、これ、大倉氏の1日の大体の行動を調査したもの。一が言うには、昼八つのころが一番話を聞きやすい時間帯だって。」
(あれだけの短時間だけで、こんなに多くの情報を...。さすが、茶門司さん)
敦彦は、それについて書かれた数枚の資料を、赤兎馬から受け取り、調査の礼を伝えた。
「本当に、何から何までありがとうございます!」
「礼なら、一に言っといて。僕は、ただ伝言を預かって、伝えただけだから。」
赤兎馬はそう言って部屋から出ようとしたとき、急に何か思い出したのか、"あっ"とつぶやき、敦彦たちの方を振り返った。
「もう一つ、伝言があったんだった。"大倉夫妻を訪ねる際はくれぐれも粗相がないように"ってね。京での事件で、なぜ捜査が打ち切りになったかは、明確には分からないけど、大倉氏が関与している可能性が十分に考えられる。だから、仮に不当な捜査をして、大倉氏に上の方に抗議されたら、こちらは捜査を辞めざるを得なくなる。」
「逆に言えば、こっちが正当な方法で捜査してたのに、大倉夫妻が捜査を取りやめるように言ったら、かなり怪しくなるってことね。」
「そういうこと。だから、慎重にね。」
敦彦たちは、茶門司が言っていた通り、昼八つ時に大倉夫妻の別宅を訪れることにした。別宅は、町から少し外れた、山の中にあった。別宅までの道は整備されていたので、森林の中を迷うことなく、楽に登ることができた。
「それにしても、こんな山の中に暮らしてて不便じゃないのかしら。」
「確かになー。俺たちはまだ若いし、普段から鍛えているから何ともないが、一般人、ましてや子や年寄りだとまあまあきついぞ。」
そう言うと、志麻は額から落ちる汗を少しぬぐった。
夏の日差しが木々の隙間から差し込み、道を明るく照らしていた。そのため、その道を通る敦彦たちにも、陽の光が直接当たるのだ。羽織りや袴が夏仕様になっているとはいえ、敦彦や茜もかなり暑く感じていた。
「そういえば、大倉夫妻は、お年を召されおいででしたよね。この道、きつくないんでしょうかね...。」
調査報告書を見るに、大倉夫妻の妻は60代後半で、夫の方は70を過ぎていた。そんな2人が、この道をこんなに暑い季節に登り切れるとは、あまり思えない。
そんなことを話しながら、道を歩いていると、大きな家が見えてきた。
「すごい...。ここだけ、まるで、外国に来たみたいだ。」
普段あまり見ることのない、西洋風に建築された屋敷を見て、敦彦は思わず感嘆の声を漏らした。
茜や志麻も、この屋敷を見た後、敦彦と同様に目を見開き、驚いていた。
そのとき、一人の男が屋敷から出てきた。男は、閉まっていた門を内側から開けた。
「失礼ですが、どちら様でしょうか。」
眼鏡をかけた、白髪交じりの髪の男は、柔和な笑みを浮かべ、敦彦たちに尋ねた。
「私は、朱雀藩の幸村と申します。こちらは、同じく朱雀藩の赤兎馬です。」
敦彦はそう言って、茜の紹介もした。そのあと、志麻も続けて、男に自分の名を名乗った。
「奉行所の者の、志麻と申します。」
「確かに、その羽織りと制服、朱雀藩と町奉行所の者とお見受けいたします。私は、使用人の早見と申します。本日は、どういった御用でしょうか。」
「実は、3年前に、京の方で大倉様の屋敷の使用人として働いていた男が転落死した事件について、お話をお聞きしたいのですが、今、お話を直接お聞きすることは可能でしょうか。」
「あぁ...。あの事件ですね。ずいぶん、昔の事件をお調べになるのですね。奥様に確認してまいりますので、今しばらくこちらでお待ちください。」
早見はそう言うと、再び屋敷に戻っていった。暫しの間、門の前で待っていると、早見が屋敷から出てきた。
「お待たせいたしました。奥様は、"是非に"とのことでしたので、応接室までご案内させていただきます。」
それを聞いた敦彦たちは早見にお礼を伝え、早見の後に続いて、屋敷へ入っていった。
屋敷の中は、外見と同様に、洋風なデザインだった。
(たしか、こうゆう家では、履物を脱がないのが普通だったけ)
敦彦は、以前、西洋の書物を読んで得た知識を思い出し、土足で入っていいか分からず、戸惑っていた茜にそっと耳打ちをして、教えた。履物を脱がなくてよいと教えてもらった茜は、敦彦の方を向いて、"わかった"というように頷いた。志麻の方は、もともと異国の文化について知っていたのか、気にせずに早見の後ろをついて行った。
応接室までと続く廊下の所々には、自らが異国から仕入れたであろう骨董品や、絵画が飾られていた。廊下に飾ってある美術品をちらほら見ながらついて行くと、扉が一つ、前方に見えてきた。
「こちらが、応接室です。部屋の中に、奥様が待っていらっしゃいます。」
早見はそう言って、その扉を開けた。そして、部屋の中に入るよう、敦彦たちを促した。
敦彦たちが部屋に入ると、背もたれが高い長椅子みたいなものに腰をかけた老婦人が目に入った。その婦人のそばには、着物の上に白い前掛けのようなものを身に着けた女が一人立っていた。
「お待ちしておりました。大倉昭夫の妻の香代子と申します。さあ、そちらのソファーにお座りになって。」