01 新入生、
春だった。満開に咲き誇り、道行く人に桃色の雪を降らせる桜にも、若葉がちらほらと見え始めた。
今日は、小野田 美弥が私立桜ノ宮高等学校へ入学する日だった。
だが、彼女は道路に学生の姿が見えない時間帯に通学路を歩いていた。どちらかといえば、人気が少ない、早い時間だ。
01 新入生、
なぜ彼女が、これほど早い時間から学校へ向かっているのかと問われれば、その必要があったからだと答えておこう。彼女は見事(?)に入学式で新入生代表として、入学式の連絡やリハーサルのために、早めの通学が求められていたのだ。
自分の自宅から十五分も経たないうちに、立派な門の前まで来ていた。
美弥はひとつため息をつくと、不安定になりそうな心を落ち着かせようと深呼吸した。
前にここに来た時は、野沢 麻理という友達と一緒だったが、麻理はここを受けなかった。
門の黒い鉄格子に触れると、冷たくて緊張で汗ばむ掌には心地よかった。
冷たい感覚があのとき、触れられた細くて繊細で冷たい指を思い出させた。
(ッ!!??)
美弥はすぐに顔が真っ赤になって、鉄格子から離れた。鼓動がもっとはやく刻み始めていた。
(・・・何思い出してるんだ私。あれは――単なるアイサツだったんだよ。きっと)
それがファーストキスであろうと、美弥は相手が本気だったとは考えなかった。
鼓動のはやまりが納まりきらないうちに、美弥は門を押していた。
コンクリートをひきずる鉄の音を人のいない辺りに響かせながら、美弥は校内へとおそるおそる足を運んでいった。
春休みに来た時に、大体の場所は把握していたし、携帯に校内の案内地図が送られていたので迷う事もなかった。集合場所は昇降口だった。門から真直ぐ進むと着く、豊かな庭園を挟んだ分かれ道を右に行くと、校舎が見えてくる。ちなみに左は生徒寮や職員寮、ゲストなどを迎える小さな館がある。
美弥は間違えることもなく、校舎へたどり着いた。昇降口の前には、おそらく美弥を待っていてくれたであろう二人の女子生徒が喋りあっていた。
美弥は少し焦って小走りにそこへ行く途中で、気づいた二人の生徒はこちらを見るとにっこり笑った。
それがあまりにも目を捉えて放さないので、美弥の足はもつれ体が地面に落ちていた。
だが、美弥はそれがどういったことでもない、というように立ち上がるとなんとか二人の前にやってきた。
「あの…大丈夫? 制服に砂ついてるよ」
二人のうち、背の低い少女が微笑を浮かべながら言うと、美弥は慌てて砂を払い落とした。その様子がおかしかったのか、背の高い方の少女は手を優雅に口元に添えて肩をゆらした。
それを美弥が見やると、顔をきりっとさせていった。
「わたくしは桜ノ宮高の三年代表の、二条院 まどかといいます。新入生の小野田 美弥さんでよろしくて?」
「あっ、はい! そうです」
美弥は震えそうになる声を無理矢理出すと、背の低い少女も名乗った。
「私は二年生代表の河井 炎美といいます。炎に、美しいでほのみと読みます」
人のよさそうな笑みをたたえた炎美は、初対面の美弥に強い印象を与えていた。
「ところで、美弥さん。我が高の理事長代理こと、二年の藤堂 秀一郎のことはご存知?」
「ぶっ部長?! それは直球すぎですよ!」
「炎美さん、部活動外で役職呼びは禁物でなくて?」
「すみません…まどか先輩」
まどかと炎美が話している間、美弥は驚きで一杯だった。
(アノ人は、理事長の代理だったんだ……)
だから、二人が喋っていても美弥の返答を期待しているとは気づかなかった。
「……」
なにやら一人で考え込んでいる時間が長すぎて、苛立ちを覚えながらまどかは質問を繰り返した。
「ですから! 藤堂 秀一郎というお方と直接会ったことがありまして?!」
上品な雰囲気を体から漂わせているにも関わらず、怒った口調で下級生に突っかかるまどかは人気のない学校でよく目立っていた。
それによって物思いに沈んでいた美弥は、耳から入ってきた情報を整理するのに時間が掛かった。
「えっ!? だっえ、あの…えっ? あっありますけど、それがっどうかされたんですか」
炎美は変に二人の会話(?)に口を挟まず、初対面の美弥の人格分析を始めた。
だが、分析をするまでもなく彼女がまどかの反対の対象になりやすいと判った。
(部長をイライラさせていいことなんてない。この子が、もし聞いたとおりなら……)
それを想像しただけで悪寒が奔る。
まどかは風貌、言葉遣い、仕草から見てほとんどの一般人が“お嬢様”と称することは間違いない御令嬢だ。そのぶん、無駄に長い戯言は慣れっこであり、めったに怒るという事態は起きない。
だが、まどかが普段我慢している分怒ったときの爆発は大きく、悪い状況がさらに悪化するのがやすやすと想像できる。
(だれか…部長を諌められる人はいない?)
炎美が周りを見渡すと、丁度背後にイタズラっぽい笑みを浮かべた男子生徒が、忍び足で歩み寄っていた最中だった。彼は炎美の視線に気づくも、唇の前に人差し指を立てたまま、歩みを止めない。
炎美が彼のネクタイに目をやると、三つの硝子細工がついたピンが、ネクタイに挟まれていた。そのピンは彼が三年生であることを示してた。彼の制服は入学式当日だというのに、ネクタイはゆるんでいたし制服の前ボタンが止められていなかった。
男子生徒は、もうすぐブチ切れそうなまどかに飛びついた。
「まどか~、何イラついてんの?」
ハッとまどかが振り向くと、ブロンドに限りなく近い茶髪の男子生徒がいた。
「ッ!? まっ守さん? はっ離れてくださいまし」
「いつもなら俺にチョ~強烈な言葉を、投げてくるまどかがどうかしたのかな~?」
美弥は彼が少し誰かに似ているような、気がして首をかしげていた。まどかに聞かれた質問はどこか頭の隅へ追いやられた。
まどかが答えずにいると、代わりに炎美が答えた。
「まどか先輩が、美弥さんにあの噂のことを直球的に聞いたんですよ。守先輩」
「ふーん。…まあ、俺もわかるかな。秀一がしたくなるのも」
「そんなにそそりますの? このような小心者が」
「そこがイイんだと、思うけどねー。守りたくなるのが」
それほど専門的なことは話に出ていないのだが、美弥はきょとんとしていた。自分が話題にされているのは分かるが、『したくなる』とか『そそる』というのがまったく分かっていなかった。
美弥が思い切って声をだすと、
「あっ…あのぉ」
返答は違うように解釈されていて。
「まあ、そうですよね。本人の前でそういうことを言う物ではありませんものね」
と、今の話が理解されている、と勘違いされていて、美弥はなおも混乱するのであった。
「守先輩、彼女と直接的な面識は?」
「秀一から話を聞いただけだ。そうなると自己紹介をしなくちゃならんのか。俺は藤堂 守。あいつの兄貴だ」
“兄貴だ”と守の口から出て、美弥はやっとはじめの疑問が解消された。
(あの人に似てたんだ……。どうりで)
「えっとあぅ。あのっ、私は小野田 美弥といいます」
「じゃあ美弥ちゃんだなっ!」
守がニカッと笑うと、人を惹きつける魅力があった。美弥はやっぱり二人が似ていることを確信した。
登場人物紹介
・二条院 まどか にじょういん まどか
私立桜ノ宮高等学校の三年。
プライドが高く、切れると怖い。教養が高い口調が特徴的。
・河井 炎美 かわい ほのみ
同じく二年。
常に冷静沈着で人格分析が得意。だが、まどかに振りまわされやすい。
・藤堂 守 とうどう まもる
同じく三年。
藤堂秀一郎の兄で、弟の事を秀一と呼ぶ。遊び人っぽいイメージが強い。