第1話 生まれた時からフラグは立っていた
『……っ……れーねぇなんてきらい……』
溢れてくる涙を抑えられなくて、アタシは歯を食いしばって彼女を睨んだ。
『……お姉ちゃんの何が嫌いなの?……わたしはるかのことだいすきだよ?』
『…………っ、るかはきらいだもん』
アタシの頭を撫でてくる手。同い年なのにいつも甘やかしてくる彼女の手がだいすきなのにアタシの口は正反対の言葉を言わなくちゃいけない。
『るか、わたしはるかのお姉ちゃんだよ?……るかが急にそんなこと言うはずないわ。……ほんとうにお姉ちゃんのこと、嫌いになったの?』
アタシの顔を覗き込む彼女と目が合った。……その瞬間、彼女に泣きついてしまいたくなるのを必死で押さえて、肩を押し返す。
『っ……、きらい、だもん。……みんなに、優しい、……っ、れーねぇなんかだいっきらいっ!るかはひとりでだいじょうぶだもん!れーねぇはどっか行って!』
『っ!……るかっ……!』
最後に映った彼女のすごく寂しそうな顔、泣きそうな顔が今でも脳裏にこびりついてる。
「……またこの夢……」
っ……はぁ、とため息をついて重いまぶたを上げればまだ外は暗かった。カーテンを閉めたままの部屋は真っ暗で、……それでなくても物音もしないこの家にいると少し怖くなって窓際のカーテンを開いた。開ければ月明かりで部屋が少し明るくなる。アタシは枕元に置いたぬいぐるみに手を伸ばし、そのまま胸元でぎゅっと抱きしめた。
「……れーねぇ……か」
胸の奥の小さな痛みが、あの時の感情を思い出させる。
最近毎日のように見る夢は、近くに住んでる同い年の幼なじみの彼女とアタシが口を利かなくなった日の喧嘩のこと。
今思えばなんであんなことで喧嘩したんだろ、って思えるけど、あの時のアタシはそう言って離れることが一番の選択だと思ってた。
……まぁ、そのせいでアタシは色んな人から睨まれるようになったし、あっちにも辛い想いさせたし良い選択だったとは言えないけど。アタシは今の好き勝手出来る学校生活を楽しんでいる。
アタシと彼女はたまたま家が近かっただけ、そう思うことにして離れたのに……。
幼なじみでありアタシの自称お姉ちゃんだった彼女とは高校生になった今でも、微妙な距離は継続中。推薦だって出ててもっと頭の良い学校行けたのに、アタシと同じ学校に通ってるし、うちの担任と仲良くしてはアタシの情報を聞き出しているらしいし。彼女の話を耳にする度、背中がゾクッとするのは気のせいだと信じたい。まぁ……相変わらず怜はモテモテだし、彼氏でも出来れば変わるよね……っていうか怜が彼氏とデートとか笑っちゃうけど。
「…………ふぁ……おやすみウサギ」
また眠気が襲ってきて目を閉じる。
今度見た夢は、アタシの推しとデートしてる夢だった。
+++
寝起きはまぁまぁ。バナナと牛乳だけ飲んで家を出た。相変わらず親はこの一週間まともに帰ってきてない。……たまに帰ってきたかと思えば、お金と親の近況しか書いてないメモ書きだけ。そんな生活も何年も続けばいい加減慣れてしまう。
ふともうそろそろクリスマスも近いな……なんて思いながら、家を出る。今日は寝ぐせがあるせいでイマイチテンション上がんないけど、がっこー着いたら直そ、なんて指で髪をいじりながら登校してたら学校の校門の先に夢にまで見た彼女が立っていた。そしてアタシを見るなり表情を変える。
……いつもはにこにこして友達と話してるのに、アタシといる時の彼女は色んな意味で圧が強い。
「……瑠華、また課題出さなかったって聞いたけど」
「………………」
あの夢のせいか『れーねぇ』と思わず口にしそうになって手で口を押さえた。それを不思議そうな顔して見てくる彼女から目を逸らし、誤魔化すようにため息をつく。
アタシは伊崎瑠華。
やたらアタシのお節介焼いてくるのは腐れ縁の幼なじみ、笠松怜。
この甘鐘高校に通う高校一年生。今は二学期の後半、全学年学園祭の準備に忙しい時期だった。やたら委員会やら実行委員やりたがる怜は忙しい忙しいと言いながらもアタシに毎日のように小言を言いに来るのを欠かさない。
……ほんとに忙しいのか疑いたくもなる。
怜はアタシを見るなり、毎日のように全身チェックをしてくる。いい加減髪色のトーン落とせ、パーカー脱いで、スカート短い、メイクが濃い、またマニキュアしてる、といちいちチェックしては小言を聞かせてくるのが日常。アタシは好きでやってるし、先生や怜に言われたからってやめるつもりなんてない。……そのせいで周りから何言われようとそれはアタシの責任なんだし。
「……なんで他のクラスのあんたがそんなこと知ってんの?いい加減ストーカーの自覚持った方がいいと思うけど」
おはようの挨拶も無く、朝っぱらからお小言聞かされるとは思わなかった。いつもはにこにこしながらみんなに女神様~なんて言われてるこいつはアタシの前では魔王のそれ。
あからさまに態度違うし、ほんと何なの?って思う。
「あら。私、瑠華のストーカーなのは否定しないわ。……それより真中先生から聞いたけど、」
「……否定しろ」
それが何?とばかりに話を続ける彼女のお小言を聞き流す。
笠松怜
うちの親があんな所に家を買ったもんだから、ご近所さんになって同い年の子どもが生まれて、それもお人好しな怜の親は仕事で忙しいうちの親からいつもアタシを預かっていた。一人っ子の怜は妹が欲しかったらしく、同い年なのにアタシを妹として連れ回っていた、という思い出したくもない黒歴史がある。
「…………なに?私の顔ジッと見て」
会話の内容なんて100%聞いてないけど、アサイチ怜の綺麗な顔見てメイクの参考にしたりはしてる。……って言っても、怜とは顔の系統が違うから参考にならないけど。
「…………顔だけは良いなって思って」
……羨ましい。この顔してたら何したって許されるんでしょ?誰にでもいい子ちゃんに見られて、男にもモテるしさ。
いつも髪を高い位置に一つにまとめている怜。黒髪つやつやの髪が太陽の光が反射して天使の輪を作っていた。まつ毛だって長いし、化粧してないのに目は大きくて唇だって乾燥してない。たまに顔を近くで覗き込まれると不覚にもドキッとしてしまう。
「…………そう?私は瑠華の方が可愛いと思うな。……もう少しメイク薄くした方がもっと可愛いと思うけど」
顎クイされて自信に満ち溢れた顔を見せられたアタシは喉に言葉が詰まったまま怜を見上げる。
「ぐっ…………ばかっ!触んなっ」
そして氷みたいに冷たい手がアタシの頬をつまんだ。……って、めっちゃ冷たいじゃん。追うようにその手を見ていたら怜がアタシを見て微笑む。
「……なに?……瑠華ってほんとに可愛いね?お姉ちゃん心配になっちゃうな」
「…………うっざ」
……きっと怜のことだからアタシを捕まえる為に寒い所で待ってたんだろう。まだ冬には早いけど朝、結構寒いのに……。正直アタシにはどうでも良いことだし、勝手にやってるの怜なんだから気にする事でもないって思うんだけど……。
「…………もう用無いでしょ?早くどっか行ってよ。アタシ寝ぐせ直さなくちゃならないんだし。……あ、これ怜のせいで飲んでる時間無くなったから処分しといて」
途中の自販機で買ったおしるこを怜に押し付ける。カイロ代わりに買ったそれはまだあったかい。怜はやっぱり寒かったのか、それを両手で握っていた。
「っ、……瑠華?……なんでおしるこ……?」
「……小言好きな怜に合ってるじゃん、それ」
おばあちゃんみたいで、と付け加えて、先に下駄箱で靴を履き替えて逃げていく。チラッと後ろを振り返れば悔しそうな怜の顔が目に入って、心の中でガッツポーズした。
+++
放課後、担任の真中ちゃんに呼び出されて職員室でまたお小言を聞かされた後、気分転換がてら遠回りして教室へ向かう。渡されたプリントはかれこれ10枚近く、ため息をつきながらその中身を見ていると、窓から怜の姿が見えた。
外階段から校舎裏へ。いつも真面目な顔してるけど、今は少し緊張しているように見える。……様子がおかしい。何気なくその姿を目で追っているとその先に先輩らしき女の子が数人立っていて、怜を睨んでいるように見えた。
「…………なるほど?」
アタシは近くにあった階段から下へ降りると、怜たちがいた場所へと向かう。そして一階の廊下から外階段へと扉を開くと、冷たい北風が吹き込んできて思わず身震いした。
「……さっむ」
上履きのまま続いてる校舎へ向かうんじゃなく、外へと出る。姿が見えた方へと向かうと、しばらくして声が聞こえてきた。
『……随分いい気になってるじゃない。でも勘違いしないで?彼は誰にでも優しいの』
「………………」
『返事ぐらいしなさいよ!』
……やっぱり、と思いながら、アタシはそのまま進んだ。
「……あっれーおっかしいなー。ここにリップ置いてきちゃった気がしたんだけど…………って、あれ?……もしかして邪魔しちゃいました?」
『っ!?……あんた確か一年の……』
「瑠華ぁ……」
「……また悪い噂立ってます?アタシ。そいつとおなじく、よく変な噂立てられるんですよねー。……てか校舎裏で囲んで……あれ?もしかして先輩たちも変な噂聞いてこいつのことイジメてます?」
じーっと彼女たちの顔を見る。見るからにいじめっ子です、って顔してるわけじゃないけど、程々にキツそうな顔立ち。こういう普通の顔してネチネチしてるタイプが一番めんどくさいんだよね……。
怜をチラッと見ると、明らかに困った顔してアタシを見てくる。アタシは視線を戻すと呆れたように呟いた。
「……あらら?これせんせーに報告した方がいいやつかなぁ……」
『なっ!?……っ、い、いじめてなんかないわよっ!』
「……まぁ、そうですよねー。今時校舎裏呼び出していじめとか、ぷふっ。……ま、先輩たち賢そうだしそんなバカなことしないか」
『ぐっ……そ、……そうよ!当たり前じゃない!』
『っ……行こっ?』
「……あれ?先輩たちこいつに話があったんじゃ……っておーい!」
そそくさと去ってくお姉さん方。その姿が無くなった後、振り返りたくなかったけど振り返る。チラッと目に入った怜がジッとアタシのこと見てて、なるべくそれを目に入れないように視線を逸らしながら何事も無かったように横を通り過ぎ――ようとした。
「……ありがとう」
「別に礼言われるようなことしてないし。……じゃ、」
グッと制服の上に羽織ってたパーカー掴まれる。そのまま立ち去ろうとするけど、グイグイ引っ張られてパーカー伸びるのが嫌だったアタシは仕方なく足を止めた。
「しつこいな!……たまたま通りがかっただけだし。アタシ帰るんだから邪魔す、」
言いかけてた途中で手にしてたプリントを怜に取り上げられる。取り返そうと怜を見ると、にやっと笑う彼女がいて、思わず心臓が跳ねた。
「……真中先生に課題出されたのね。……大丈夫?これ結構あるけど」
「いいから返せって。怜には関係ない」
「……ううん。私、瑠華のお姉ちゃんだもん。関係ある。……これ手伝わせて?」
「手伝わなくていい。……っていうか、そんなことばっか言ってると、今度戸籍持ち歩いてあんたは姉じゃないって見せつけるからな」
アタシがそう言うと、怜は何かを思いついたようにハッとして目を輝かせる。何かこの目はヤバい。……思わず背中がゾクッとして後ずさると、怜はアタシの手を両手で握ってきた。
「そっか。籍を入れてしまえばいいのね?そうすれば名実ともに瑠華のお姉ちゃんだわ。……私、伊崎怜になる」
「………………オヤスミナサイ」
「……?おやすみ?」
「寝言は寝てから言えっての!」
アタシは近付いてきた怜の顔を手のひらで押し返すと、そのままダッシュして校舎に戻る。後ろから怜の声が聞こえたけど振り返らなかった。
「……籍入れるとか、怜の妄想もだんだん激しくなってくるな。……さっさと恋人作ればいいのに」
そしたらさっきみたいに絡まれることだって少なく……はならないか。恋人が居たら居たで怜は絡まれてそうだし。アタシはスマホを取り出し待ち受け画面を見つめる。
「……やっぱ推ししか勝たん」
大好きな彼はこうして画面上でしか会えないけど、アタシはしばらくその画面を見つめた後、頬擦りした。
そんないつもの日常が突然終わりを告げる。
数日後、アタシはベッドの上で冷たくなっていた。