「フェンリルとすれ違った」
夜明け前に宿を発った。必要な物は収納魔法でしまっている。
王都を出て平原を歩いていく。まだ森林地帯に入っていないので遠距離から寄ってくる魔物への対処も楽だ。
遠くで唸る声が聞こえた。
『ストップ』
時間停止魔法を使用して足止めしておく。俺の魔力が届いているあいだはあの駄犬も動けない。遠目に見てもやや大きいような気がするが、まさかこんな所にフェンリルやケルベロスが出たわけでもないだろう。放っておいてさっさと森の方へ急ぐとしようか……
魔物を放置して平原を歩いていく、時々出てくる魔物には遠距離からのストップをくれてやる。ここら辺の敵は俺のスキルに耐性など持っていないので旅は順調だ。
そんな平和な平原に一台の馬車が壊れていた。放置して進もうかと思ったところで馬車の乗客の少女と目が合った。
べつに少女趣味は無いがこれを無視して行ったら寝覚めが悪い。
「どうしたんですか?」
俺がそう問いかけると馬車を何とか修理しようとしていた男が説明してくれた。
「フェンリルにやられたんだ…幸い交渉が出来るほどの賢狼でな、積み荷の食料だけで許してもらったんだが、出会い頭は抗戦体勢だったもんで馬車を壊されちまった」
「あのー……」
「なんだ? アンタもあの狼がいないうちに町に逃げた方がいいぞ」
「いえ、よければですけど、馬車、直しましょうか?」
勇者たちといた時はアイテムを使い捨てていたが、このくらいなら馬車を時間遡行させることで復元可能だ。
「出来るのか!?」
大層驚いているが、俺だって元勇者パーティーメンバーだ、そのくらいは出来て当然だと思う。
「とられたものまではどうにもなりませんがね、王都までくらいなら平気でしょう」
『リバース』
破壊された馬車が逆再生を始め、あっという間に元の立派な馬車が完成する、うん、スキルの腕が落ちたなんて事は全く無いな、完璧な仕上がりだ。もっとも、積み荷の方はすっからかんだが……
「こんな所ですかね、細かいことは町の馬車整備士に見てもらってください」
「ありがとうございます! お礼になりそうなものは……」
「いいですよ、お気になさらず」
「いいえ! 我が『ユミール家』としてそうはいきません!」
馬車をよく見ると王家の紋章が飾ってある、あ~……貴族だったか……
「申し訳ない積み荷の大半を持って行かれてしまって……フェンリルが『いらん』と言ったこの魔石くらいしか無いんだが……」
「じゃあそれをください、それで貸し借り無しって事で」
「いいのか?」
「ええ、魔法を使うなら役に立つものですから」
魔力を保存したり引き出したり、有って困るものでも無い。
言わなかったが「フェンリルを見逃してやった」という負い目もあるのでこのくらいが丁度いいのだろう。
「そういえば、お名前を伺っておりませんでしたな、私はハインリッヒ・フォン・ユミールだ」
「俺はクロノ、家名はありません」
「そうか、クロノか。よく覚えておくよ、よき旅路を」
「ありがとうございます、それでは」
こうして俺たちは別れた。俺にはフェンリルを処分してしまわなかったことの後悔がしばし心に焼き付いたのだった。