「ブレイズ町を出る」
俺はその日、食料品店でめぼしいものを漁っていた。もちろんこの町を出るからだ。この町ではまともに依頼を受けることが難しい、厄介ごとの方が向こうから手を振ってやってくるのだ。
本業がロクに出来ないため町を出てもう少し物静かな場所で活動をしようと決めた。そのためにはまず食料だ。兵站は戦争において重要らしいが、俺にとってはその場の空腹をしのげればいいだけのものだ。
肉も魚も野菜も――海から遠いので魚は塩漬けだったが――手に入った。少しの問題としてはこの町では水がやや高いといったことだろうか。雨水を飲むか悩んだが、懐が暖かかったので金の力で多めの水を購入してストレージに入れておいた。
ギルドに出立を伝えに向かった。ギルドでは何の変わりも無く日常が回っており、受付に『町を発ちます』と言ったところ『そうですか』とだけのドライな対応で、よくよく考えてみるとギルドにそれほど貢献していないので――金のほとんどはギルドを経由せずに稼いだ――その対応も当然かなと言う気がする。
さて、連絡は終わったことだし後は他所で売ってしまえるものを購入しておくことにしよう。この辺では辛いものが特産品のようだしその辺を買っておけば売り払うときに値が付くかもしれない。
しかし、この町には商人が割と来るのであまり高値が付かない可能性も高い、程々に買い込んでおこう。幸いこちらは『ストップ』で時間を止めればいくらでも保存可能なので死蔵することに問題は無い。
「おばちゃん、このトウガラシを一袋ください」
「あいよ! 銀貨二枚だよ!」
「はいこれ」
「たしかに受け取ったよ」
「ついでに胡椒ももらえますか?」
「構わないけど……少し高いよ?」
「これで買えるだけください」
そう言って金貨を一枚差し出す。そこそこのものが買えるくらいにいい金額をする調味料だが買い置きしておけば品不足の町や村で売れるかもしれない。さすがに非常食にはしない、非常時でもスパイスだけを食事にするような生活はしたくない。調味料はどれだけ優れていても調味料だ。
「金貨かい……? 売るつもりなんだろうけど長持ちはしないよ?」
「構いません、なんとかしますから」
いくら乾燥がされているとしても、調味料の香りが飛んだりする劣化は起こりえる。その事については俺の時間停止がいい感じにしてくれるので安心だ。
「じゃあこれだけだね」
そう言って小さめの袋一つを受け取る。やはり胡椒だ、産地であってもいい値段をする。
中身を確認して取り引きは終了。俺はおとなしく町を出て行くことにした。経験上長く滞在すると情がうつってしまう気がする。勇者のやつは厚遇されたからと低報酬で割に合わない依頼を受けていたので俺が苦労したものだ。
町の出入り口では警備員達が気怠げに名目上の警備をしていた。この辺に強い魔物はいないのでこうも平和だったのだろう、あと面倒な仕事は俺が引き受けたということもあるかもしれない。
「おや? 旅人さん、お発ちですか?」
「ええ、ここですることも大体終わったのでね」
「よき旅路を」
「あなたがたもお元気で」
少しのやりとりの後、俺は草原に出て行った。次の村はもう決めてあるのでのんびり歩いていくだけだ。
生ぬるい風が頬を撫でて吹きすぎていく。俺は誰に言われるでもなく自由に旅が出来ることの喜びを感じる。
ああ、自由とはいいものだ……勇者に付き合うのがいかにストレスだったかよく分かる。自分の面倒を見るのは自分だけでいい、他者の人生にまで責任を負いたくはないんだ。
遠くの方で騒々しい声が聞こえるが無視していいだろうか? 正直関わりたくはないのだが……まあ助けるよな。
『ストップ』
遠くの方で魔物の動きが止まった。その隙によく見えないが魔物を攻撃して倒せるだろうと思っていたらこちらに向けて走ってきた。どうしよう、凄く逃げたい。
それでも後でご丁寧に助けた冒険者だか旅人だかが死んでも悔しいので一応座って待っていた。遠くに見えるのはどうやら少女のようだ。
「ぜぇ……ぜぇ……ずい゛ばぜん……助けてください! 怖い魔物に襲われて……」
金髪をふわふわさせながら駆け寄ってきた少女は俺に助けを求める。自分の周囲の状況くらい把握してほしいものだ。
「落ち着け、魔物はいないだろ?」
「へ!?」
驚きの声を上げてから周囲を見渡すと遠くに一匹の魔物がぴくりともせず固まっていた。
「あれ? あの狼、足が速いんじゃ……」
「止めた、俺が止めたんだよ」
「へ!? あなたは一体」
「クロノ、俺はクロノ、ただの旅人だよ」
「は、はあ……クロノさんですか……私はグレイスです、ええっと……助けていただきありがとうございます!」
深々とお辞儀をする少女、もといグレイス。よかったな。
「もうここまで来たらあれも追いかけてこないだろうし、しばらく足止めしておくよ、じゃあね」
俺は颯爽と逃げようとする。この子に戦闘のいかんをたたき込むほど暇人ではなくもないが出来れば自分で強くなって欲しい。
「あの……この近くのブレイズ町まで行こうと思ってるんですけど……出来れば協力して……」
「やめておくよ、俺はそこから出てきたばかりだしいきなり帰ってきたら向こうも戸惑うだろうしね」
一日も経たずに出戻りとかみっともないだろう。忘れ物でもなければそんなにいきなり帰ってきてたまるか。
「でも……私が一人旅をしてもいいんですか?」
「いや、もう町はすぐそこだし……」
「いいんですか?」
圧が強い子だ。このグレイスちゃんは魔物にもそのくらいの勢いで立ち向かえばいいのに無駄なところに力を入れている。
「じゃあこれをあげる、これで町まではしのげるよ」
俺はストレージからブレスレットを取り出す。持ち主の手の大きさにピタリと合って力が数倍になるかなり強いアイテムだ。この辺の魔物に負けることは無いだろう。
「これをつけておけば負けることはないから、安心して町に行くといいよ」
「本当に大丈夫なんですか? 危なくないんですか?」
「大丈夫だよ、地面を殴ってみろよ」
「こうですか?」
ズドンと大きな音と共に拳が大地にめり込んでいた。グレイスちゃん元々結構強いんじゃないだろうか? 強化魔法を使ってもここまではなかなかいかないぞ。
「わぁ……! 凄いです! 負ける気がしませんね!」
「そうだろ、じゃあそれを持って町まで行くといい、この辺に出てくる敵なら一発殴れば倒せるよ」
「ありがとうございます! このご恩は絶対に忘れません!」
そんなことを言っているが、ブレスレット無しでも狼一匹程度に負けることはないだろうなと思った。つまりは自身の問題であってあれに魔法効果の無いただのブレスレットでもよかったんじゃないかと思う。返してくれと言うのもみみっちいのでそのまま送り出した。
旅人には見えない上品な服を着ていたがどういった理由だろうか? いや、人のことに深入りするのはやめておこう。触らなければショックも受けることはない。
俺は真っ青に広がる草原に向けて、グレイスは遠目に見える火山に向けて、お互い別方向に向けて旅立った。
その日の空はいつになく蒼く晴れ渡り、あの子の旅路が悪いものではないだろうなと思えたのだった。
後日、ブレイズ町のギルドには武器を持ってすらいないのに魔物を狩って報酬をもらう豪腕の女冒険者が誕生していたりするのだった。




