8話 縛り付けていられる
「まあ、コルネリウスには充分気を付けてね。あのまま襲われていた可能性だってあるんだし」
「分かりました」
ユリアーネは頷いた。第二王子が第一王子の愛人を襲うとは醜聞もいいところだが……、不法侵入している時点で、コルネリウスに対しての信用は無いに等しかった。
「飲むかい?」
「頂きます」
リーヴェスからワイングラスを受け取り、ユリアーネは一口含む。リーヴェスもリラックスした雰囲気で、ワイングラスを呷る。
あまり行儀を気にしていないのか、少し雑ではあるのだが。
「美味しい……。リーヴェス様はお酒強いんですか?」
「うーん、酒豪って程ではないけれど、強い方ではあるかな?ユリアはどうなんだい?」
「私は普通ですね。元々パーティーでも勧められたら、飲むくらいで……」
そして、ハッと気付いて一瞬固まった。
「パ、パーティーって言っても、お、お貴族様みたいな感じじゃなくて、あの!」
額に冷や汗を滲ませながら慌てるユリアーネに、リーヴェスはおかしそうにクスリと微笑んだ。
「分かってるよ」
「で、ですよね……」
(危ない……うっかりとんでもない事を言ってしまいそうだったわ……。酔わないように気を付けなきゃ)
人目は少ないが、ユリアーネを注意深く見る人間は多い。ボロが出ないようにしなければ。
ワインをまた口に含み、微妙になってしまった空気を変えるようにユリアーネは口を開く。リーヴェスはもう既に2杯目を空けていた。
「そういえば、コルネリウス様は女性に困ってはいないそうですね。リーヴェス様もそうなのでは?」
ワインボトルを傾けながら、リーヴェスは答える。
「うーん、まあ、そう言われたらそうだね。俺が王太子っていう地位だからというのもあるだろうけれど」
ほんの少しだけ、紅色の瞳が翳った。
ユリアーネは不思議そうに目を瞬かせた。
(あれ……?)
「では、私の他にも協力してくれる女性は居たのでは?」
ユリアーネの言葉に3杯目を呷ったリーヴェスは、瞳を細める。湿った唇をペロリと舐めて、グラスを置く。ユリアーネの顎を掴んで上に向かせた。
「え……?!」
そして、噛み付くように唇を重ねる。とても強いお酒の匂いがした。しばらく唇を合わせていたが、ゆっくりと離れる。
少しだけ息を乱したユリアーネの耳元で、リーヴェスは掠れた声で囁いた。
「お金で買った方が、俺を裏切る事無く、君を縛り付けていられるだろう?」
ユリアーネは目を大きく見開く。
(そうだ。この人は婚約者に裏切られた――)
だから裏切らない人間が、欲しかっただけ、なのだろうか?
(だとしたら、この人は婚約者に裏切られて、傷付いているのかしら?)
ユリアーネの瞳が揺れる。そんな彼女の心情など知る由もないリーヴェスが、にこやかな笑みを浮かべた。
「いいかい?君を大金で買ったのは俺だ。他にも尻尾を振ってくれるなよ?」
「振ってません!犬扱いしないでください!」
あんまりな物言いに、ユリアーネの感傷的な気持ちは飛んで行った。
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文官の制服を着崩したコルネリウスは、1人フラフラと歩いていた。王子らしくなく、供もつけずに歩く彼は、知った顔を見つけて、声を上げた。
「よっ!久しぶりだな愚弟よ」
コルネリウスの方へ真っ直ぐ向かってくる黒髪の美丈夫。武官の制服を着こなし、2人の従者を従えている。コルネリウスよりも幾分か身長の高い彼は、紅い瞳を瞬かせた。
「コルネリウス兄上、お久しぶりです」
固い挨拶を交わそうとする弟に、コルネリウスは世間話をするような気軽さで聞く。
「知ってっか?兄上が愛人を迎えたらしい……それも平民の!」
ヴァイスの紅色の瞳が驚きで大きく見開かれる。
「コルネリウス兄上ではなく……、リーヴェス兄上がですか?!」
「待ってオレの印象どうなってんの?……まあ、時々遊んでっけどさあ」
コルネリウスは頭の後ろで両手を組む。ヴァイスは無表情のまま、考え込むように顎に手を当てた。
「リーヴェス兄上が……、ということは、子供でも出来たのでしょうか?」
ヴァイスは深刻な面持ちで首を傾げるが、コルネリウスは軽く笑ってヒラヒラと手を振る。
「子供ぉ?オレもそこまでは分かんねーよ」
そこではた、とコルネリウスは思い出したように続ける。
「そういえば愛人に会ってきたんだけどさ、特にお腹は膨らんでなかったなあ」
「会われたんですか?」
「まあね。リーヴェス兄上の好みって貧相な体付きの女って事が知れたくらいだな?オレはやっぱ胸……だけど」
真剣な顔付きで話すコルネリウスに、ヴァイスは若干呆れた視線を寄越す。
「……そうですか」
「じゃ、オレはこの後用があるから」
「はい。失礼致します」
ヴァイスはずっと無表情のまま、一礼する。いつもの通りと言わんばかりに、コルネリウスは大して気にも留めなかった。
しばらく1人で廊下を進んでいたコルネリウスだったが、近くに人の気配を感じて、ふと真剣な顔面持ちに変わる。軽薄さはなりを潜め、その場の空気が重くなる。
「侵入の手引きはご苦労だった。引き続き動向を宜しく頼む――パウラ」
廊下の柱の影に隠れたまま。姿を見せず、快活だった侍女は、感情の籠らない声で小さく返した。
「御意」