6話 情報が速すぎる
ユリアーネの向かいにアマーリエは腰を下ろす。リーザが紅茶を置いた。それには目もくれず、アマーリエは話を続ける。
「いきなりリーヴェス様がご自身の宮に愛人を迎えられたのだもの。しかも平民ですって?びっくりしてしまって、本当かどうか確かめに来てしまったわ」
「そうでしたか……」
ジロリ、と穴が空くほど見つめてくるアマーリエに、居心地悪そうにユリアーネは冷や汗をかく。
(居心地が悪いわ……。愛人がどんな者か確かめたいだけ……という認識で大丈夫よね?)
愛人も中々表立って言えることでは無いが、賞金首というもっと言えない事情を抱えているユリアーネにとっては、気が気ではない。
内心焦りながらも、静かに紅茶のカップを持ち、背筋をしっかりと伸ばしたまま、カップを傾ける。
そんなユリアーネの姿に、アマーリエはまた怪しい者を見るような表情になった。
(それにしても、ただの平民をこんなに観察する事ってあるかしら……?)
そんなに一挙手一投足を見つめなくてもいいような気がする。
まるで、細部まで見なければいけないものがあるかのような――、例えば、指名手配のお尋ね書を思い出すかのような。
「あの……、何か私の顔に付いてますでしょうか……?」
視線に耐えきれなくなったユリアーネが、おそるおそる尋ねる。
「申し訳ないわね。平民なんて滅多に見る事がないから、物珍しく感じてしまったわ」
「そうだったんですね!」
ただの観察で良かった事に安心し、ユリアーネは嫌味に思わず満面の笑みで返してしまった。アマーリエは奇妙な物でも見るかのように引く。
「まあ、わたくし自身は愛人の存在は認めかねますが!」
かなり強い口調で言い切った後、深い深い溜め息を吐く。まるでとても不本意とでもいうように。
「リーヴェス殿下のご決定には従わざるを得ませんもの。ただ、わたくし達はまだ結婚前ですし、お前は立場を弁えなさい」
ユリアーネは大きく目を見開いた。
(これは……、コンスタンツェ様に注意した過去の私と被る)
まあ、ユリアーネはこんな強い口調でも、こんな物言いでもなく、遠回しに諌める形ではあったが。
過去、アマーリエの立場にいたユリアーネが、今度は逆のコンスタンツェの立場になっている。ユリアーネはこっそりと気付かれないように、小さく皮肉げな笑みを浮かべた。
その次に悲しげに眉を下げ、瞳をうるませる。両手は胸の前で斜め75度に組む。
「アマーリエ様……、そんな……私はアマーリエ様と仲良くしたいのに……。きっと、リーヴェス様も」
その瞬間、アマーリエは勢いよく立ち上がった。目に激情が宿る。
ユリアーネが最後まで言うよりも早く、被せるようにしてアマーリエは眉をつりあげて口を開いた。
「お前みたいな平民と仲良く?!厚かましいにも程があるわ!!いい?!お前がこうやって今この場に居られるのも、今だけと思いなさい!!」
吐き捨てるようにしてアマーリエは立ち上がる。
「思い上がらないで頂戴」
そう言うなり、アマーリエは荒々しく、だが、所作だけは完璧に去っていった。ユリアーネは嵐のように来て去っていったアマーリエに目をぱちくりとさせた後に内心ガッツポーズをする。
(瞳をうるませ、両手75度組み、結構効果あるのね……!)
まあ、コンスタンツェがやっていた事を真似しただけなのだが。
(……という事は、これからコンスタンツェ様の参考にすれば良いのね……!でも、コンスタンツェ様の行動って基本的にちょっと痛かった、ような……)
ユリアーネはこれから頭お花畑を演じなければならないのだ。自分がしている所を想像して、身震いをした。両腕を擦る。
イルゼは困惑したまま、アマーリエが手を付けなかった茶器を片付け、残ったパウラは肩をいからせた。
「いきなり来てあの物言いは、幾ら何でも失礼ですよ!」
「……まあ、愛人と聞いて、居ても立っても居られない気持ちは、他人事ではないから分かるのだけれど」
経験のあるユリアーネは冷静に答えて、すっかり冷めた紅茶に口をつける。パウラはキョトンとした顔で首を傾げた。
「あれ?ユリア様以外にリーヴェス殿下の愛人っていらっしゃいましたっけ?」
「ゴホッ」
紅茶が変な所に入ったユリアーネは咳き込みながら、慌てて首を横に振った。
「違うわ!いいい一応当事者だからだわ!」
「ああ、なるほど!」
パウラは納得がいったように、ポンと手のひらに拳を打つ。ユリアーネは口元を布巾で拭いながら、安堵から肩に入った力を抜いた。
(危なかった……。気を抜いてはいけないわね……)
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ペンを手に持ち、手元の書類に目を落としていたリーヴェスは、ふと顔を上げた。部屋の前が少し騒がしい。
許可した後に入ってきた騎士が、困惑したような表情で来訪者の存在を告げた。
「アマーリエ侯爵令嬢がリーヴェス殿下にお目通り願いたいと……」
リーヴェスはやや目を大きく見開く。だが、即座に頷いた。
「突然の訪問、失礼致しますわ。至急、確かめたいことがございます」
「これはこれは婚約者殿。いきなりのご訪問とは、また熱烈だね」
突然の客にリーヴェスは、ニッコリと爽やかな微笑みを浮かべる。それをスルーして、アマーリエは本題に切り込んだ。
「愛人とはどういう事ですの?」
ツカツカとヒールの音を響かせて、アマーリエは執務机の前までやってくる。
「そんな素振り、今まで無かったはずですわ!」
リーヴェスは手元の書類で口元を隠しながら、呑気に答える。
「話が伝わるのが早かったね。騎士団の手伝いをしていた時に見つけてね。俺のお気に入りなんだ。……まあ、あまり虐めないであげてね」
アマーリエは両腕を組んだ。
「もう既に会ってきたのですけれど、」
「本当に早いね……」
やや呆れたようにアマーリエを見上げたリーヴェスとは対照的に、アマーリエは目を細めた。声のトーンも自然と静かなものに変わる。
「本当に平民ですの?あの方」
リーヴェスは笑みを崩さなかった。それどころか、顔色すら変えなかった。
「平民だよ?それがどうかしたのかい?」
尋ねたはずが逆に聞き返され、アマーリエはたじろいだ。
「いえ……」
一瞬、思案するように目を伏せたが、気を取り直してリーヴェスを見据えた。
「わたくしは婚約者として、愛人の存在は認めかねます。ですが、リーヴェス様がお決めになった事を覆す事は出来ませんわ」
胸を張って、堂々と言い放ったアマーリエは「それでは失礼致しますわ」とドレスを摘んで優雅にお辞儀をする。リーヴェスはアマーリエを引き留める事なく、見送った。
アマーリエの姿が見えなくなってから、リーヴェスは笑みを消した。
(やはり、違和感を感じた、か……)
「早速、愛人として頑張ってくれているじゃないか」
そして、手元の書類に視線を落とした。
ユリアーネ・エクヴィルツ公爵令嬢の調査書と題された書類に。
一方、リーヴェスの執務室から出たアマーリエは、考え込むように斜め下を見る。扉の前に佇む騎士達の存在は、目に入らないといったように小さく呟いた。
「やはり、あの挨拶といい、紅茶を飲む時の所作といい、完璧すぎるわ。昨日来たばかりの平民が身に付くようなものでもない……。一体何を……?」
しばしの間その場にいたが、やがて彼女の中で答えが出たのか意思の強い光を宿した目で、一歩踏み出した。