1話 全ての不運の始まりは
「選んで?このまま娼婦になるか。それとも俺の愛人になるか」
星屑を集めたような金髪。紅玉のような瞳。大層目を惹く容姿をした男の、とんでもない提案にユリアーネは思わず言葉を失った。
(待って?!その2択しかないの?!)
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全ての不運は、
皇太子に婚約破棄されたことから始まった。
半年前――、隣国、クロスフェルス帝国。
そこでユリアーネは、エクヴィルツ公爵令嬢と名乗っていた。
公爵家と言えば、国で一番位の高い大貴族。ユリアーネ自身、妾の子供ではあったが、正妻に娘がいなかった為、皇太子の婚約者という立場に収まる事が出来たのである。
名ばかりの婚約者、ではあったが。
夜会の片隅、ダンスホールで踊る男女を眺めながら、ユリアーネは壁際にポツンと立っていた。
わざわざユリアーネに声を掛けようとしてくる者はいない。遠巻きに眺められており、ユリアーネの周囲には人はいなかった。
誰からも顧みられないユリアーネとは対照的に、中央には仲睦まじげにダンスを踊るカップルは、皆から注目されている。
皇太子アンゼルムと――その恋人のコンスタンツェ侯爵令嬢。
お互いを見つめ合うその姿は、どこからどう見ても相思相愛の恋人同士。最初からユリアーネではなく、コンスタンツェが婚約者であるかのような世界。
近くにいた令嬢達が扇子で口元を隠しながら、声を潜めた。
「本当にお似合いよね。皇太子様とコンスタンツェ様」
「お聞きになりまして?この間、コンスタンツェ様が街に行った時、孤児に直接恵みをお与えになったそうよ」
「本当に慈悲深いお方なのね……。わたくしだったら気付かないわ」
あ、これはいつもの流れ、とユリアーネは察知した。
ユリアーネは気まずそうに、3人ほどの令嬢から目を逸らす。まるで何も聞こえていません、とでも言うように。
「それに比べて、ユリアーネ様はまたコンスタンツェ様に嫌がらせなさったそうよ」
「嫌だわ。公爵家のお方でしょう?はしたないわ」
「皇太子様もまたお怒りのようよ。ユリアーネ様もいい加減嫉妬はお辞めになれば宜しいのに……」
口元を扇子で覆い、目だけでユリアーネを見る。ビシビシと視線を感じながら、ユリアーネは必死で気付かないフリをした。
(嫌がらせはしていないけれど……、いつの間にかした事になっているのよね……)
今回も身に覚えがない……、とユリアーネは溜息を付きそうになる。
それもこれも、コンスタンツェがアンゼルム皇太子との逢瀬を広めていたので、醜聞になるわよ、と一番最初に忠告したせいだった。アンゼルム皇太子に泣き付かれたのだ。
それから意地の悪い婚約者だというイメージが付いたのか、アンゼルム皇太子からは目の敵にされている。
ユリアーネは扇子の下でこっそりと、深い溜め息をついた。
(私なんてコンスタンツェ様から何度も毒殺されそうになっているのに、どこが慈悲深いのかしら……)
自然と半眼になる。
恋人の婚約者。コンスタンツェから見ると、邪魔で邪魔で仕方がないだろう。
(それどころか、アンゼルム皇太子殿下に阻まれて、中々証拠も掴めないし……)
一番タチが悪いのは、アンゼルム皇太子がコンスタンツェの肩を思いっきり持っている事。
最初の方こそ、アンゼルム皇太子とコンスタンツェの仲は非難された。当たり前だ。ユリアーネという婚約者がいながら、堂々と浮気をしているのだから。
だが、無理を通せば道理が引っ込むとでも言うかのように――、アンゼルム皇太子は堂々とコンスタンツェを溺愛した。
始めは非難していた面々も、次期皇帝に睨まれたくないとばかりに、次第にコンスタンツェに味方するようになったのである。
父親であるエクヴィルツ公爵も、後継者である異母兄も、ユリアーネの真の味方ではない。元々平民の血が入っているユリアーネを軽蔑していた2人は、政治的価値がなくなったと判断した瞬間、ユリアーネを切り捨てた。
皇太子の婚約者になる為だけに、公爵家に引き取られたユリアーネには、貴族の味方はいなかった。
命を狙われても、血の繋がった家族は守ってくれないのである。
ユリアーネの気苦労等知らない令嬢達は更に話し続けた。
「わたくしだったら、あんなに仲睦まじいお2人の仲なんて引き裂けないわ……。婚約者の地位に堂々と居座るなんて出来ないわよ」
「ええ。お2人のお姿がお目に入らないのかしら?」
もう一つこっそり深い溜息をついて、何か飲み物でも取りに行こう、とその場を離れようとした時にユリアーネは敏感に察知した。
この空間の流れの変化を。
「ユリアーネ・エクヴィルツ公爵令嬢。僕は前々から君に忠告していたはずだ」
後ろから不躾に掛けられた声に、ユリアーネは血の気が引いた。嫌な予感がして。
恐る恐る振り返ると、アンゼルムが親の仇でも見るような目でユリアーネを睨む。その腕には不安そうな顔のコンスタンツェがくっ付いていた。
「なんの……事でしょうか……?」
忠告されていても、忠告の内容が全て身に覚えのない事だったりするのだが。
アンゼルムはハッ、とユリアーネの疑問に鼻で笑う。
「白々しい。また、コンスタンツェに嫌がらせをしていたのだろう。今度は風雨の強い日に外に締め出したのだろう。証拠は揃っている」
いつの間にかホールで流れていた音楽は止んでいた。話し声も聞こえない。この場にいた全員が固唾を飲んで、中心人物である3人の一挙一動に注目していた。
「何度も申し上げておりますが、私は何も……」
「アンゼルム様、違うの……。私が身の程を知らずにもアンゼルムを愛してしまったのが全ての原因だから……」
2人の会話の中、ユリアーネの言葉を遮るように割って入ったのは、それまで黙っていた当人だった。
ユリアーネは確かに、と心の底から思ったが、口には出さなかった。
コンスタンツェは目にいっぱいの涙を溜め、胸の前で両手を組み、目を伏せる。
「こんな浅はかなわたくしをユリアーネ様が許して下さるなら、同じ方を愛する者同士、わたくしはユリアーネ様と仲良くしたいの……」
親同士が決めた事だから、別に愛してない、なんて堂々と言えるはずもない。
心の中でユリアーネは頭を抱えた。アンゼルムは腰に手を当てる。
「……ここまでコンスタンツェがお前の事を考えているのに、まだお前はコンスタンツェが嘘を言っていると?」
「そんな事は申してはおりません。ただ……、」
ユリアーネは呆れの気持ちを隠すように目を伏せる。
「コンスタンツェ様と私はどうやら少しの行き違いがあるのではないか、と」
(私は皇太子妃の座は要らないと、直接言えたら良いのに……!皇太子殿下相手に不敬になってしまうから、言えないのがもどかしい……)
ユリアーネの心情など知らないアンゼルムは、スッと腰に当てていた手を挙げる。どこからともなく、近衛兵が人々の間を縫って現れた。突然の登場に、周囲の貴族もちらほらと驚きの声が上がる。
ユリアーネも予想外の展開に目を見開く。
(これは――)
「聞け!!」
コンスタンツェの腰を抱き寄せたアンゼルムが、腹の底から声を張り上げる。
それは、ユリアーネだけを指してはいなかった。その場にいる全員に向けての言葉だった。
「コンスタンツェ・ヘルツフォルト嬢のお腹の中に私の子供がいる!彼女を害する者は――、王族を害すると同義だと思え!!」
(嵌められた!!)
次代の皇帝の子供。男子ならば、跡継ぎになってもおかしくはない。
婚約者ではない令嬢との子供。とんだ醜聞。
だが、皇太子とその令嬢はずっと関係性をオープンにしてきた。逆に皇太子は婚約者を冷遇している。
大事に愛され、身篭った愛人。そして、冷遇され、王族を害したと言われた婚約者。
どちらの味方をすればいいのかは、明白である。
顔色を無くしたユリアーネを、アンゼルムは真っ直ぐに見据えて、告げた。
「ユリアーネ・エクヴィルツ公爵令嬢。お前は謹慎だ。追って皇帝陛下が沙汰を下されるだろう」
(コンスタンツェ様に刃向かった人間に対する見せしめ……って事ね……っ!)
近衛兵に周囲を囲まれたユリアーネは、手の中の扇子を握り締める事しか出来なかった。