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第一幕 その4
庄助「わたしら年寄りでもあの飲まず食わずの時代から今のように豊かにしてくれたのが黄泉二号であることは、ようわかっとります。わたしらの魂もあの世へ行けるということが保証されているので、毎日安心して暮らしとります。ありがたいことです。でも、あの世がコンピュータちゅうのが、なんか少しひっかかるのですがの。ちょっと味気ないちゅうかなんちゅうか。いや、いまが情報科学の時代だちゅうのはよくわかっとりますが。わたしらの世代ですと、まだまだ幽霊ちゅうか、ひとだまちゅうか、そういうものが恋しいんですよ」
近藤「それは国家もよく理解しています。世論に押されて、この羽黒山来世聖社を建立したじゃありませんか。国の当初の予定では、ここはコンクリートばりにして鉄条網とコンクリートの塀で、一般人を立入禁止にする予定だったんですからね。それをこのような伊勢神宮のような荘厳な神社にしたのは国民の世論です。コンクリートじゃ厳粛じゃないとか、厳かじゃないとか、神聖さがないとか、様々な国民の声が沸き上がりましたものね。ほとほと人間は偶像崇拝が好きなんですね。
来世はもはや宗教による幻想、イルージョンやでっちあげではありません。日本の来世は、コンピュータサイエンスによる合理的かつリアルなものなのです。それにもかかわらず、国民の声に押されて、国家は日本の因習、伝統文化に立つ神社らしきものを建立することになりました。さすがに国家はここを神の社、神社と命名することはできませんでした。なぜならば、神はどこにもいないからです。「黄泉二号」様も神ではありません。なんの意思もありません。あの世という空間に過ぎないのです。いえ、過ぎないという言葉は不遜であるかもしれません。「黄泉二号」様は宇宙空間と同じだと言った方が適切なのかもしれません。現世を成り立たせているのはこの宇宙です。宇宙なくして我々は存在しません。「黄泉二号」様は第二の宇宙なのです。
コンピュータという機械である「黄泉二号」様を神として偶像崇拝してもらっても困るのです。そこで神ならぬ聖なる社という意味で、聖社と命名したのです」
トラ「その後が面白いわよね。やれ奈良の大仏よりも大きい大仏が欲しいじゃ、観音様も、それなら聖母マリアの像も、七福神も、狛犬も、お稲荷さんもと、この聖社の周辺には無秩序にいろんなものが建立されたわよね。商売繁盛の神様とか言ってあの不細工な仙台太郎とかいう人の写真までが、縦横五十メートルの看板になって立っているわよね。まだこの羽黒山から見えないからいいわよ。でも、下に降りたら美観なんてないんだから。俗っぽいのよね。羽黒山の周辺には世界で一番俗っぽい猥雑な光景が広がっているわ。二股大根をアルコール漬けしたり、男根のこけしやらを展示した秘宝館もできたわよね。秘宝館は連日長蛇の列だというじゃない。一方で科学、科学、その一方で不合理よ。街はいつもパレードね。
まだあるわ。来世ならば東北地方はいたこということで、青森の恐山のいたこが大挙してここに移り住んで来たのよ。こんなにいたこっていたっけ、ってみんな驚いていたけれど、ほとんどが俄かいたこなのよね。毎年死者とはお盆にコンピュータの端末を通して会えるのにね。でも、ホログラムじゃリアルすぎるのよ。死んでもかわりばえしないじゃないの。東京の親せきが年に一度、田舎に帰省するのとなんにも変わらないじゃないの。いいや、一年ぶりに会う親せきは孫の成長が楽しみだわ。でも、死んでからは何の成長もないんだから。もうすぐばあちゃんの年を追い越しちゃうわよ。みかけもどっちが年上かわからないくらいなんだから。せめて死んでからも、少しは生きている頃と変わってよ。生きているものの立場っちゅうのがなくなってくるのよ。
情念よ、情念の世界がホログラムにはないのよ。いくら情報科学の時代でも、いたこにはかなわないのよ。だから、国は国設いたこセンターを造ったんだから。ムードが出るようにドライアイスで煙を出し、スーとするようにクーラーをガンガンにきかせ、火の玉や墓場まで用意したんだから。しかし、これが少しマニアックすぎるんだな。いくらセットだとわかっていても、不気味で、不気味で。幽霊屋敷じゃないんだから。お役人がやることはいつも紋切り型なんだから。
あの生魚の臭いはやめてもらえます。わたしゃ、あの臭いが苦手で。得意な人がいるとは思えませんがね。苦情がたくさん寄せられている? そうでしょう。どうして、やめられないのですか。えっ、お役所仕事だから。現場主義よ、現場で対処してよ。上に持っていったら、法律がどうちゃらこうちゃら、手続きがああだ、書類が、印鑑が、埒が明かないのよ。
ともかくあの臭いがいやだから、いたこさんにここまで出張してもらったんですよ。この鬱蒼とした聖社の森。このくらいが自然でいいんですよ。心が癒されるわ」
土方「いたことのあの乱痴気騒ぎで心が癒される?」
庄助「本当に日本人ってすごいよね。あの世まで創った科学技術を持ちながら、かたやいたこですよ。口寄せですよ。うらめしやの世界ですよ。情念の世界ですよ。
まだまだあるわ。聖社で奉納相撲までやっちゃうし、江戸時代のお伊勢参りじゃあるまいに、いつもいつも日本中から羽黒山詣でが行われているんですから。一年間の参拝客が四千万人だそうじゃないですか。国民の二人に一人が毎年参拝している計算になるんですよ。もう、ディズニーランドなんか目じゃないわ。参拝客のおかげで庄内市は門前町として賑わい、今じゃ人口百万の政令指定都市ですよ。
湯野浜じゃ、珊瑚が発達し、ハワイのようだっていうじゃありませんか。大蔵村の肘折温泉は、昔は鄙びた湯治場でしたが、今じゃアメリカのラスベガスをも凌ぐ世界のギャンブルセンター、歓楽街ですよ。谷あいで、土地が少ないですって。考えるスケールが小さいですね。バブルよ、バブル。そんなの百階建ての超高層ビル一棟ですぐに解決しましたよ。
神町の山形飛行場も昔は農薬を散布するドローンしか利用していませんでしたが、いまやアジアのハブ空港ですよ。外国人もたくさん山形に来るようになって、肘折や蔵王で遊んで行くようになりました。そう言えば、先週の日米間交渉でアメリカ人にも羽黒山来世聖社の参拝を許可してくれ、という強い要望がアメリカから出されたそうじゃないですか。日本側は突っぱねたそうですがね。黄泉二号ができて、日本も昔と違ってアメリカに強気になりました。
羽黒山来世聖社だけは外国人立入禁止です。日本人でなければ参拝はかなわないのです。
この社の中で写真やビデオの撮影は禁止です。ここは軍事機密基地のようなものなのですからね。でも、フォーカスやフライデーに毎週のごとく、いっぱい写真が載っていますね。インターネットにまで流されています。自撮り棒でピースしてますよ。ありゃ、いったい何なのですか。これが公然の秘密というものなんですかね」
トラ「なんだかんだ言っても、来世ができたおかげで、安心して気軽に死ねるようになったことは間違いないね。今じゃ、安楽死法という法律によって、難しい手続きなしに塩化カリウムを注射してもらえるものね。苦しんでいる病人やその親族には福音だし、医者だって倫理観や法律に規制されることなく、ちょちょいのちょいと注射できるものね。これもすべて黄泉二号のおかげさ。
わが子が苛められていたら、昔は自殺するんじゃないかと、どの親もハラハラドキドキして、夜も心配で寝られなかったものだけど、今じゃ苛められている子があっけらかんと「黄泉二号に行く」って言うものね。それで一時は結構な数の子供が自殺したので、最近は子供の自殺は自粛するように、と政府から通達が出たわね。
そう言えば、黄泉二号ができた当時は、現在の日本の繁栄を想像するものは誰もいなかったわよね。貧しい人たちは黄泉二号にすがって、日本国中で自殺者が一挙に倍増したわね。集団自決した人も多かったけれど、あの世が確約されていたので暗さは微塵もなかったわ。まあ、年寄りの中には本人が望まないにも関わらず、口減らしのために身内によって殺された人も少なからずいたそうだけど。あの世ができると殺人の罪悪感も薄らぐものね。黄泉二号誕生による年寄りの自殺や殺人によって高齢者が一挙に減って、高齢者問題も解決することになったわね。わからないものね。経済が社会問題を解決するのではなく、希望が解決するのね。
しかし、万事がうまくいったわけじゃないわよね。保険会社は全滅したわよね。保険なんて死への不安感によって成立していただけだものね。残されたものの経済的不安? 経済的不安というものも死への不安さ。死ぬ恐怖がなければ経済的不安はないね。突き詰めたところ、不安とは未知なものとしての死がこの世にあるためだったのよ。わけのわからない不条理な死があったためなんだね。それがなくなったら我々に恐れるものがあろうか、備えるものがあろうか。生命保険に誰が入ろうか。ましてや、日本の現世も来世が出来たことによってこんなに金持ちになったのだから。でも、この来世による繁栄は、歴史上、黄泉二号が初めてではないんだね。実際、世界中のほとんどすべての文化遺跡が宗教によるものじゃないか。人間の歴史は、現世よりも来世によって造られてきたんだ。
来世が保証されると、人殺しという悪の意識が薄らいだ。同時に、悪の後ろめたい魅力もなくなって、善悪の境界がとれてしまった。現世は善をなし、悪しき事に染まらないことではなく、いかに楽しく享楽的に生きるかが問われるようになった。ソドムとゴモラみたいなもんだ。
不快ならば死ねばいい。苦悩は現世の隠し味だ。必要になったら振りかければいい。いたこさん、あなたは調味料です。薄味になれた我々の日常にちょっぴり刺激的な味付けをしてくれます。楽しみましたよ」
いたこ「毎度有難うございます」
近藤「そうです。みなさんは現世も来世も謳歌してください。
絶望の中にあった25年前、ミミズのように泥を頬張っていた12歳の私に死への恐怖心を取り除いてくれ、生きる希望を与えてくれた「黄泉二号」様を、私は子供心に神のように神々しく思いました。私は幼心に大人になったら「黄泉二号」様のおそばでお仕えしようと固く決心したのです。私が奨学金で山形高校を卒業した年に、幸運にも国家公務員特別職の新選組の設立が国会で承認され、募集が始まりました。東大を卒業した人やオリンピックの選手などのエリートがたくさん応募していました。定員10名のところを五千人以上の人が応募していました。私は弱気の虫が現れました。ですが、それは一瞬です。どうしても「黄泉二号」様をお守りしたかったのです。そのおもいだけは、誰にも負けない自信がありました。私は日本の救済者である「黄泉二号」様をひと時も忘れたことがありません。
一次試験は、知能テストや性格検査、それに体力テストもありました。幸運にもわたしは一次試験をパスしました。受験者の一パーセントの五十人くらいが残ったと聞いています。
二次試験は集団面接でした。五名単位のグループにそれぞれ五人の面接官がつきました。それは普通の面接ではありませんでした。一つのグループが72時間かけて面接されたのです。3日間寝ることを許されず、不眠不休のぶっ通しでした。途中で寝たものは別室に連れていかれ、戻ってくることはありませんでした。その人はその時点で不合格となったそうです。面接の方法も独特でした。普段は丁寧な話し方なのですが突然面接官全員が怒り出したり、べらんめい調にしゃべりだしたり、また何時間も黙ったりしました。みんなはそうした事態に慌て、パニックになったりしましたが、私だけはやけに冷静だったのを覚えています。
三次試験つまりこれが最終試験だったのですが、この時には二十人しか残っていませんでした。私もその一人でした。もうあと半分に残ればいいのです。随分気が楽になりました。残ったみんなも余裕の表情でした。この二十名は一か月間飯豊連峰の山荘で缶詰にされましたが、特別に何をしたわけでもありません。私たち応募者は本を読んだりテニスをしたり、話をしたりしました。不思議なことに、面接官は一人もおらず、山荘にいたのは我々20名だけだったのです。あとでわかったことですが、20名のうち19名すなわち私以外はみんな応募者ではなく試験官だったのです。かれら、かのじょたちは私を四六時中監視し、私という人間の細部を調べ上げていたのです。三次試験は私のためだけに実施されていたのです。私は運よく試験に合格しました。私の能力や体力でどうして選ばれたのかわかりません。しかし、私は「黄泉二号」様を愛する気持ちは誰にも負けない自信がありました。ですが、「黄泉二号」様の狂信者はたくさんいました。思いだけで合格するほど、甘くはなかったことも確かです。
合格後、私は防衛大学校の特待生として四年間そこで過ごしました。あらゆる分野の専門家がわたしの家庭教師につきました。私は鉄の意志と努力ですべてを乗り越えることができました。それもひとえに「黄泉二号」様をお慕いする心があったからです。
私は新選組一回生、近藤勇であります。新選組一万人を束ねる局長近藤勇であります。我々新選組は「黄泉二号」様を破壊しようとするものから、日本の現世と来世をお守りしております」
(つづく)