瀬川美奈子ちゃん、頑張りますっ!
瀬川美奈子は、聖アルト女学院の一年八組――対クシュラ専攻に所属する一人である。
下せば背中まで伸びる灰色の髪をツインテールでまとめ、幼い顔立ちとは対照的に乳房と臀部が年不相応に育った少女。
彼女は今、対クシュラ専攻が所有する格納庫で起動を待つ一体のAD、アーマード・ユニットのコックピットで参考書を開いている。
彼女が読んでいる所は『電磁誘導装置が成す姿勢制御運動』に関する項目だ。彼女はうんうん、と頷きながら専門用語が多い参考書を読み進め、最後の最後で結論を出した。
「うんっ――分かんないっ!」
美奈子は聖アルト女学院の中でも、ワーストクラスの成績を誇る少女だった。
「ていうかリレクティブ・ヴォワチュール濃度って、何コレ何語?」
溜息と共に、深く深くシートへと腰かけた彼女が乗る機体は、GIX-P5【神姫】と呼ばれるADだ。
GIX-P4【蕾】とGIX-P6【織姫】の間に開発された機体で、六等身でグンズリとした体格の蕾から一変し、八頭身でスラリと美しい外観と、大型ジェットエンジンの搭載を無しに浮遊・姿勢制御を可能とする【電磁誘導装置】が搭載され、当時は次世代型AD兵器として世間を騒がしたが、開発後この機体システムと蕾の堅牢さを元に、更なる発展を遂げた織姫が開発された為、すぐに話題を掻っ攫われた不遇の機体である。
「ん、あれ……やば、時間っ!」
現在、朝の八時五十七分。始業は朝の九時からなので、後三分しか時間が無い。しかし格納庫から教室まではグラウンドを一つ挟んでいる事もあり、歩くと十分は時間がかかってしまう。かといって廊下を走ると教師に怒られてしまうので、一先ずグラウンドを全速力で走り抜けた後、廊下は気持ち早足で歩いた。
結果、九時二分に到着。教室からは学院長である中村ヒマワリの声も聞こえたので「アア、オワッタ……」と呟きつつ、ドアを恐る恐る、開く。
――女神が、そこには居た。
肩ほどまで伸びる綺麗な黒髪、端麗な顔立ち、さらにそれを引き立てるかのように、冷たくも、しかし美しく鋭い目付き。メリハリこそ無いが、女性にしては高い身長が、まるでモデルのように美しく見えた。少女は肩にかけたカバンに触れながら美奈子を見据えた後、プイと視線を逸らしてしまった。
彼女が今いる場所は教卓の前。見据える先は教室全体だ。現在教室には少女以外、美奈子と、美奈子へヒラヒラと手を振るクラスメイトの伊勢真里菜、学院長兼対クシュラ専攻の教育担当を務める中村ヒマワリしかいない。少女が見据えるのは――おそらく伊勢真里菜なのだろう。
「遅刻か瀬川。良い度胸だな」
「あっ! ごご、ごめんなさいっ! コックピットの中で自習してたら、時間を忘れて」
「では問題だ。RVエンジン搭載型の日本製AD兵器を全て挙げよ」
「えっとー……蕾とー」
「織姫だけだ馬鹿者」
美奈子の眼前に立ち、彼女の頭を叩くヒマワリ。そんな模様を見ながら真里菜が笑う。
「あははっ、美奈子ちゃんってばおっちょこちょいなんだーっ」
伊勢真里菜は美奈子の友人である。対クシュラ専攻で同じクラスに所属し、寮も同じ。仲良くなることも自然の事だろう。
「……学院長。そこの女は」
と、そこで名も知らぬ少女が口を開いた。美奈子はビクッと体を震わせながら、しかし眼と口を開いて名乗る。
「あ、あのっ! 私、瀬川美奈子です、よろしくお願いしますっ」
「名前は覚えた。よろしくしなくていい」
フンッと鼻を鳴らしつつ、少女が再びそっぽ向く。美奈子は少々傷付きながらも――彼女が何者なのか、そこでようやく気になった。
「えっと、先生。この子は……?」
「今日からこのクラスで皆と勉学に励む事となった、真船軌跡ちゃんだ」
「奇跡さん、ですか。す、素敵な名前ですね! ご縁とかありそうっ」
「……お前、名前の漢字を間違えて無いか」
「え、奇跡を起こす、とかのキセキじゃないんですか?」
「軌道を描くの『軌』と、お前が言ってる奇跡の『跡』だ」
「……えっとー」
「よく分かった。お前がただのバカだってな」
少女――真船軌跡は律儀にも、電子黒板にペンを走らせ、自らの名前である【軌跡】という字を書いた。
「へー。これで軌跡って読むんですね」
「軌跡ちゃん。このバカは気にするな」
「元よりそのつもりです」
軌跡が肩からカバンを下し、一つの席に腰かけた。真里菜の隣、美奈子の隣、いわゆる二人の中間に位置する机にだ。
「お前も座れ、瀬川」
「あ、はいっ!」
急いで自分の机に向かった美奈子は、フゥと息を付きながら、朝のホームルームを聞く為に、姿勢を正した。
「では、本日より軌跡ちゃんを交えて授業を行っていく為、午前中は座学の授業とする」
「えー、センセー。アタシ座学いやー」
むすーと頬を膨らませながらバタバタ足を振る真里菜。彼女は何時も明るい太陽のような女の子だが、勉強は嫌いのようだった。
「そう言うな真里菜。瀬川みたいになるぞ」
「別にいいもーん。ね、美奈子ちゃんっ」
「ま、真里菜ちゃん……! 嬉しい、私の理解者がいて、本当に嬉しい……っ!」
「本当に天性のバカかコイツ」
軌跡による鋭い罵声が美奈子の胸を貫いた。
よく考えてみれば真里菜は一度も「美奈子はバカじゃない」と言っていない。「美奈子みたいになっても良い」と言っただけだ。
「そっ、そう言う軌跡さんはどうなんですか!? さっきから人の事バカにしてますけどっ」
「瀬川。彼女は横須賀高校で学年一位の成績を収めていた子だ。あまり吠えると却ってダメージを負うぞ」
「すみません調子に乗りましたっ!」
学年一位の成績などと聞けば、それだけで頭がいいのだろうと予想がつく自分自身の浅はかさに懸念も持たず、美奈子は深々と頭を下げた。
「まあ確かに、彼女は今まで対クシュラ専攻を受講した事が無い。その点で言えばお前の方がキャリアは上だぞ」
「あ、そっか。じゃあ軌跡さん、分かんない事があれば、私が教えてあげます!」
「必要ない」
「でも対クシュラ専攻は普通の勉強より専門的な用語がいっぱい出てくるから、一緒に勉強した方が」
「必要ない――俺に、関わるな」
キッパリと。彼女は美奈子へ「関わるな」と言ってのけた。
だが関わるなと言われても、彼女は今日から同じ釜の飯を食う仲間となるのだ。ならばそれを放っておく事など出来ないではないか。
そう考えながら、美奈子は決心をする。
(ようし――なら私だって、ただのバカじゃないって所、見せてあげるんだからっ!)
HRが終われば、すぐに座学の授業が始まる。その時に分からない所をいろいろ教えてやろうじゃないかと、彼女は「余計なお節介」を、胸に宿していた。




