これから始まる二人の物語
腰を上げ、学院長室を出ようとするヒマワリの言葉に、軌跡は重たい足を何とか踏ん張らせながら立ち上がり、彼女の後ろについてゆく。
「真船君は、連合の事を勉強しているかな」
「はい。クシュラ討伐を主な仕事としている軍部です」
「その通りだが、正式な呼び方では無いな。
正式には『地球国家間対クシュラ連合軍部』の略称で、クシュラの脅威を国と国の連携を強める事で対処しようとする各国による対策部隊の事だ。
日本では独立した【連合省】と言う省が、連合部隊を管理しているので、防衛省が管轄とする自衛隊とはまた違った部隊だな。
クシュラは二十年前に突如、人間の脅威として現れた。
今は生態や行動範囲こそ解析が進んでいるものの、繁殖能力が高すぎるせいで、根本的な根絶には至れていない。
それ故、連合省は常に人材を欲している」
校庭へ出る。放課後だと言うのに部活動に勤しむ学生は皆無だ。
せっかくの学校生活だと言うのにと考えたが、自分も帰宅部である事を思い出し、考えを振り払った。
「どうして、いきなりそんな事を?」
「対クシュラ専攻学科――聞いた事くらいはあるだろう?」
「連合省指定の高校で、実際にAD兵器を用いた『対クシュラ戦術を学ぶ為の専攻学科』、ですよね」
「そうだ。私はこの学院に居た頃、出来たばかりの対クシュラ専攻に籍を置いていた。当時はそこそこ生徒は居たものだが……今や、寂しい物だ」
校庭の奥の奥――そこに、倉庫にしては大きすぎる建物がある。その建物に向けて歩を進めていると、ヒマワリの言葉は続いていく。
「クシュラの脅威はかつて、人々との距離が近い災害だった。私もこの学校で得た技術を元に、連合軍に身を置いていた」
先ほどの会話で語られていた内容を思い出し、軌跡は「はあ」と相槌を打った。
「本当に、連合軍の人だったのですね」
「ああ。今はしがない、学院長だがな」
彼女の持つICカードが、建物の入り口にある警備装置にかざされ、ロックを解除した。
鍵の開いたドアを開け、近くにある照明のスイッチを入れた。
そこには、一つのAD兵器が格納されていた。球体のような胴体、飾りのように付けられた頭部、そして図太い両腕部と両脚部が印象強い事が、兵器に疎い軌跡にも見て取れる。
「GIX-P4【蕾】――まだAD兵器が自立しか出来なかった時代の産物だ。今や我が学園にこの一体だけが残されている骨董品だが、整備は私が行い、今でも動かすことが出来る」
「でも、もう受講する生徒は居ないのでしょう?」
「おや。寂しい物だとは言ったが、居ないとは言っていないぞ。ほら、そこに」
ヒマワリが指した先に。一つの人影。明かりに照らされ、表情と、恰好が見て取れる。
少女だ。ショートボブの金髪をなびかせた綺麗な女の子が、蕾の肩部に腰かけていた。
「あ――」
「伊勢真里菜。我が校に二人しかいない、対クシュラ専攻に所属する生徒の一人だ」
少女――伊勢真里菜が、軌跡の視線に気付くと、ニッコリと笑う。
彼女の笑みを見据え、軌跡はどこか懐かしい気持ちに溢れていた。
軌跡は、今まで女性と言う物をあまり良い目で見たことは無かった。それはかつて親愛を抱いた女性に裏切られた経験から来る、言ってしまえばトラウマのせいである。
――だが、今この時。
伊勢真里菜を見た時に感じた、胸の高鳴り。
それが何か、彼には理解できなかった。
**
とある海上に、一つの戦艦が航行していた。
日本屈指の技術を搭載した新型イージス艦【ひとひら】は、慣性航行に身を委ね、海の生活を満喫していた。
艦内にある部隊長室で、中村スミレは書類を片手にコーヒーを飲んでいる。
彼女は齢二十六になる女性だが、外見は幼げで左目を眼帯で隠し、下せば肩まで伸びる髪の毛を後ろで結い上げていた。一言で言えば、子供っぽい外観。だが落ち着きぶりは大人そのものだ。
「スミレー? 入るよ?」
コンコンッ、と。ノックがされ、返事を返す前にドアが開けられる。スミレは少しだけ口を歪め「ノックの意味が無いだろう」と咎めた。
「ごめんごめん、鳴海ミズホ三佐、入室しますよーっと♪」
ドアを閉め、女性――鳴海ミズホは、笑みを浮かべながら、スミレが座る椅子の肘掛けに腰を下ろす。
腰まで伸びた長く薄い紫色の髪色をツインテールでまとめ、右目にスミレと同じ眼帯を付けていた。スミレとは違い、外見の大人らしさと裏腹に、言動は子供らしさに溢れている。
「あの子たち、接触したみたい。これからどうなるかなぁ?」
「分からんさ。どうなろうが、アタシたちが守るだけ――あの子たちの、幸せの為にな」
スミレが、読んでいた書類を机に置き、ミズホの唇と自身の唇を、重ね合わせる。
――書類には、二つの名があった。
一つは真船軌跡。横須賀高等学校の一年五組でクラス委員を務める、一人の少年。
一つは伊勢真里菜。聖アルト女学院にて対クシュラ専攻を受講する、一人の少女。
二人の物語が今、始まろうとしているのだと、スミレは言った。