その女は中村ヒマワリ――曰く【鬼】、【鬼畜】、【悪魔】
更なる絶望へと、軌跡は叩き込まれた。
聖アルト女学院は女子校だ。教師にも男性は原則おらず、周りには女性・女性・女性――男性の絶対数は少なくなったものの、それでも男性がいない事は有り得ない。
だがこの空間は本当に特別だった。
まず校門を通ろうとした所で、女性警備員に止められた。来賓者用のICカードを見せて事なきを得たが、だが校舎の中に入った瞬間、女教師に引き留められ、いろいろと尋ねられる。アポイントメントは教師を経由して通っている筈だと説明し、ここもクリア。
次に職員室前を通り過ぎようとした所で三人の女教師に捕まり、そっちの説明にも時間を要した。そこで、その内の一人に学院長室まで案内してほしい旨を伝えて、連れて行って貰う事にしたが――
女生徒に捕まり「ここは男子禁制」だの「男なんて汚らわしい」だのと言われ、遂に我慢の限界に達した。
「なら帰る。残念ですけど、学院長には、貴方の所の生徒から帰れと言われたから帰ったとお伝えください」
そう、若干怒り気味に教師へ話すと、女生徒がビクリと震え、教師に視線を向けた。教師がこくりと頷くと、女生徒が「申しわけありませんでした!」と頭を下げて、一目散に走り去っていく。
「……何です、今の」
「【鬼】と面会するべき人間に、失礼を働いた――どうなるか、分かんないわよね」
つまり、学院長に会う為に来賓した人物に失礼な物言いをし、なおかつ怒らせてしまった事が知られれば、自分がどうなるか分からず、慌てて謝罪をして逃げたという事だ。
「というか、やっぱりそんな人に会いたくないんですけど」
「普通に接すれば、普通の人よ。ここね」
学院長室の前に辿り付き、教師がまずドアをノックすると「入れ」と声が聞こえる。女性の、綺麗な声だった。教師は扉を開けて、軌跡を部屋へと招き入れる。
「失礼します。横須賀高校の、真船軌跡さんをお連れしました」
「そうか。――よく来たね、真船君。私が学院長の、中村ヒマワリだ。宜しく」
軌跡は、学院長の年齢を三十八と聞いていたが、目の前の女性は、二十代と言われても違和感のない美女だった。
肩まで伸ばした黒髪と、綺麗な顔立ち、その鋭い目つきが印象強い。それでも微笑む姿は、今まで軌跡が出会ってきた女性の中で、一番の美貌を誇っている。
――ただ、彼女の美貌すら、彼にとっては嫌悪の対象だ。
「真船君?」
「……失礼しました。はじめまして、私は横須賀高等学校、一年五組のクラス委員を務めています、真船軌跡と申します」
「畏まらなくていいさ。――君は、席を外してくれ」
ここまで案内をしてくれた女教師にそう命じ、女教師もそれに従う。扉が閉まった所で、彼女――中村ヒマワリが立ち上がった。
「さあ、そこのソファにかけてくれ。コーヒーと紅茶があるが、どちらがいい?」
「では、コーヒーを」
「任せたまえ。ワンプッシュで淹れてくれるコーヒーメーカーを使っているがね」
笑ったヒマワリは自分の分と軌跡の分を淹れ、彼の座る来賓者用ソファの対面に座った。
「さて――我が聖アルト女学院への、転入についてだな。転入の日程かね」
「いえ、違います。そもそも私は男です。聖アルト女学院への入学など、前提としておかしい事は明白でしょう」
「……なんと言う事だ。君は男の子だったのか。てっきり女の子だと思っていたのだが。あー、なるほど。それでズボンなのだな」
問題解決、帰ろう。軌跡は頷いて立ち上がった。
「まぁまぁ、待て待て。落ち着いて話をしようじゃないか」
「学院長は私が女だと勘違いをされていたから、私を聖アルト女学院に入学するよう強要したのでしょう?」
「強要とは失礼な。ただ横須賀高校へ交渉しただけだ」
「交渉の内容をお聞きしても宜しくて?」
「まぁ通常の引き抜き額より二ケタは多いだろう金銭を提示したまでだよ。既に支払い済みだし、もう話は通ってしまっているぞ」
「いえですから、支払いが済んでいようが、話が通っていようが、男である私が、女子校である聖アルト女学院へ転入する事の方がおかしいでしょう」
「じゃあ女装してくれ。金はムダに出来ん」
「どうしてこの世の大人は皆女装をさせたがる!?」
「だって男である君が我が校に入学するとなれば、男性である事を隠す他あるまい」
とりあえず落ち着きたまえ、と。彼女は軌跡へコーヒーを飲むように促した。
彼もハァと息を吐きつつ、理はこちらにあるとし、一先ずは腰を落ち着け、彼女の促し通りにコーヒーカップに口を付けた。
「理由をお聞かせ願いたいのですが、なぜそこまでして、真船軌跡という男を、聖アルト女学院へ?」
「理由……理由は、必要かな?」
「少なくとも私にとっては男としての尊厳が掛かっています」
「いやぁ、今はまだ言いたくないのだが。そうだ、修学金のお話でお茶を濁しても」
「良くありません」
「強情な子だなぁ」
ヒマワリは溜息を一つ溢しながら、うーむと何かを考える様に、顎へ手を置いた。
「では、強請りますか? 貴女の持つコネとやらで」
「ああ、あの政府官僚に強いコネを持つだとかか。私も話は聞いているが、あんな噂は無視してくれたまえ。私はむしろ奴らに嫌われている」
「あれは根も葉もない噂だと?」
「ああ。全く失礼な事だ。コネでは無く強請るネタを持っているだけだと言うのに」
それは根も葉もある事実に相違ないだろうと軌跡は思う。
「いや、違うんだ。この地位に立つまでに少々イザコザがあってな。以前は連合軍のADパイロットとして働いていたから、学院長になろうとしても教師の実績なんか無くて、そのネタを有効活用したに過ぎんのだ。この学院は、連合省にも強いパイプを持つからね」
「では、このお話は無かった事に」
軌跡が満足げに結論を出したが、しかしヒマワリはこの結論にさえ渋い顔を浮かべる。
「となれば横須賀高校に交渉金の返金を願い出さねばならないが」
「構いません」
「いや。多分もう、その金は設備投資やらなにやらで幾分か消えていると思われる。元よりそれを狙って交渉したので、返金は難しいだろうな」
引き抜こうとした人物の性別を間違える割には用意周到だと思いつつ、首を横に振る。
「私には関係の無い事です」
「となると、多分君は横須賀高校から退学させられるやもしれんが」
「なら教育委員会へ訴えます」
「可哀想だが、そうなれば私も教育委員会を強請らねばならぬのだ。そう言う約束でな」
「どういう約束です!?」
「『お金が欲しいです。真船軌跡を聖アルト女学院へ転入させます。
お金が欲しいです。転入を拒否するようならば横須賀高校から退学させます。
お金が欲しいです。その際は教育委員会への口添えをお願いします。
お金が欲しいです。お金が欲しいです』……簡単な言葉に置き換えると、概ねこんな所かな」
「最低だ! 大人の世界って最低だっ!!」
これだから私立は! と頭を抱える軌跡。
彼にとって今の現状はやはり、中卒の最終学歴で働きに出るか、女装をして聖アルト女学院へ通うか、究極の二択に絞られている事が分かってしまったのだ。
「ま、私も鬼では無い。我が校には所属人数二人のクラスがあるので、そこへ君を配属させるよう手配する。そうすれば女装しているとバレる危険性は極力減らせるだろう」
「……どういうクラスですか、それ」
聖アルト女学院は競争率も高く、例年多くの生徒が全国から受験にやってくると聞く。持て余すクラスがあるとは思えなかった。
「まぁ、百聞は一見に如かず、だな。ついて来てくれ」