真船軌跡、人生最大のピンチです。地獄に落ちろ糞教師。
「真船。聖アルト女学院へ転入するか、高校中退の学歴で働きに出るか、どっちがいい?」
「そんな究極の二択を生徒に対して突きつけないで頂きたい」
真船軌跡は十六歳の高校生である。肩まで伸びる黒髪、少し鋭くはあるがスッと伸びる目と、ツンと立った鼻が印象強い顔立ち。
私立横須賀高等学校の制服を着込んでいる身体は約百六十センチ。そんな外観だから、男子にも女子にも人気がある。
「どうしてそんな話になるか、お話を伺いたいのですが」
軌跡は今、横須賀高等学校の応接室にあるソファに腰かけながら、溜息と共に目の前でタバコを吸う担任教師・長谷小百合に尋ねた。
「なに。向こうの学院長が君へ是非にと、聖アルト女学院への転入をご所望でね。多大な給付金と、我が横須賀高等学校への資金援助を申し込んでくれたんだよ」
「自分の生徒を売る気ですか」
「お前は幼い頃から施設で育てられていた身だ。ここらで全寮制の学校に入って独り立ちするのも良いと思うが」
タバコの火を消しながら、小百合が一つの封筒を取り出した。
聖アルト女学院――横須賀高等学校と横須賀基地の中間にある、小中高一貫の学院施設である。
最大の特徴はエスカレーター式の進学方式と入試による中途入学方式の両方を執っており、如何な世でも凛とした乙女を育成するべく設立された為、全寮制で非常に厳しい規律がある事で有名だ。
その為、女学院の名に恥じぬ、お嬢様学校として人気が高い。封筒の中身は、転入届他、学院パンフレットである。
「しかし、最大の問題はまだ残っていますよ」
「何だね一体。そこまで神妙な顔つきで言う事が、私には思い浮かばないがね」
「――俺が、男だと言う事です」
真船軌跡は男である。
中性的な顔立ちをしているので女性と勘違いする者も多いが、彼が着込んでいる服は男子生徒用の制服であるからして、勘違いする事も無かろう。
「そうだったな。お前女顔で女声だから忘れてた」
だが目の前に居る教師は違ったようだ。カカと笑った小百合は、小脇に用意していた一つの紙袋を、彼へ手渡した。
「私からの餞別だ。開けてみなさい」
中に入っていた物は聖アルト女学院の制服。赤と青色のセーラー服で所々にフリルが付いており、女子に大変高い人気がある。
「俺に着ろと?」
「それしかなかろうね」
「そもそも俺は、聖アルト女学院へは行きません」
「ならば高校中退だな。これから頑張ってお仕事を見つけてくれたまえよ」
「退学させるつもりですか。教育委員会が黙ってませんよ」
「無駄だぞ。聖アルト女学院の学院長は、あの中村ヒマワリだ。教育委員会なんぞ、どうとでも出来るだろう」
聖アルト女学院の学院長を、軌跡も聞いた事はある。
中村ヒマワリ――曰く【鬼】、曰く【鬼畜】、曰く【悪魔】と名高い女性。
全て自分の思い通りに物事が運ぶよう、金、権力等……彼女が持つ全ての力を用いて、論理すら、ルールすら捻じ曲げる存在。
噂では政府高官をも操るコネを持っているとされ、この横須賀市内一帯を御する女性。確か齢は三十八だと聞いた。
なぜそんな人物に自分が注目されるのだろうと、思考を巡らせる。
軌跡は確かに頭が良い。学内成績は常に一番だし、クラス委員も務めている。
しかしそれは誇る所ではあるが、元々大した成績の要らぬこの学校だからこそだ。
聖アルト女学院が、何より男である軌跡を引き入れる理由にはなるまい。
「まぁ、彼女に目を付けられて無事では居られまい。少しはマシな就職先を見つけたいのならば、彼女に従った方が得と思うね」
「権力に屈しろと」
「屈しろ屈しろ。それでお前が失う物は元より薄い体毛だけだ」
「……だから、女は嫌いなんだ。自分の思い通りに物事が運ぶと思っている」
軌跡は生粋の女嫌いである。実は目の前にいる小百合の事も嫌っていて、彼女もそれを分かっていながらタバコを吹かしているので、それはどうでも良いのだろう。
「相手が悪かったなー、ご愁傷さま」
「地獄に墜ちろ」
「冗談だ冗談。――ま、お前にとっちゃ地獄のような場所だろうな。聖アルト女学院は」
聖アルト女学院は、小中高一貫の女子校である。しかし軌跡が嫌悪する理由はそれだけでは無い。
教師から用務員、果ては警備員に至るまで、全て女性によって運営されている点が特徴だ。
そんな場所で女装をして、しかも寮にまで入るとなれば、軌跡はストレスによって一日で胃潰瘍となり、死ぬ自信があった。
「一度見学に行ったらどうだ? 学院長には私から話を通しておくぞ」
小百合は胸ポケットから一つのICカードを取り出して、軌跡へと手渡した。よく見てみると、聖アルト女学院の来賓者用防犯解除カードで、これがあればある程度、聖アルト女学院での自由な行動が保証されるという。
「……そうします」
何にせよ一度、話の中心に存在する中村ヒマワリと話をせねば事態は好転しないだろうと考えた軌跡は、ICカードを握り潰さんかと言わんばかりに掴んで、まずは自分のクラスである一年五組へと辿りついた。