誰もが、自身の胸に宿る想いを、感じ取る。
そんなひと悶着があったせいで、店員に厳重注意されてしまい、店外に出る事を余儀なくされた四人。
ヒマワリは混乱したままの真里菜を背負いながら寮へと帰っていき、軌跡と美奈子は気まずさからか、彼女たちと共に帰宅する事はしなかった。
少しだけ遠回りをしながら帰る。既に日は落ちかけて、道は夕暮れの光に照らされていた。
故に、美奈子は隣に居る少女――軌跡の表情が、何時もより凛々しく感じてしまう。
「あ、あの。軌跡さん」
「……どうした」
彼女は少し疲れたように、何時もより気迫の無い声で返してきた。色々あったから当たり前か、と思いながら、聞きたい事だけ、聞く事にする。
「わ、私……今日は、楽しかった、です」
「そうか。それは良かったな。俺は少し疲れた」
「えへへ、それは私もです。……で、その」
「なんだ、一体」
「き、軌跡さんは、楽しかった……ですか?」
答えなど、分かりきっている。軌跡は、美奈子の事など、何とも思っていない筈なのだ。
だから美奈子と共にデートした事を、楽しいと思う筈がない。
良くてヒマ潰しになっただとか、悪くて苦痛な時間だったと、答えるものと思っていた。
――しかし。軌跡は幾秒か思考する時間を自分に与えた後、まるで諦めたかのように息を深く吐いて、言う。
「……楽しかったよ」
思わず、軌跡の表情を、観察してしまう。
少しだけ、顔が赤い。夕暮れのせいだけでは無い。高揚しているように、頬が僅かに赤みがかって見えるのだ。
「ほ、本当に?」
「嘘じゃない。俺は嘘が苦手だ」
「それこそ嘘じゃ無いですか。今日だけでどれだけ嘘ついたと思うんです?」
「バレバレの嘘だったろう。俺は嘘を付けない人間らしい。……悔しいがな」
苦笑を一つ。そんな笑顔も見せるのか、と思わず笑ってしまった美奈子は――何だか今なら、大丈夫な気がして。一つ、お願いをする事にした。
「あの、いいですか?」
「なんだ」
「……デート、だから、その……手、繋いで」
再び。軌跡は思考する時間を有したが、それでもコクンと、頷いた。
「勝手にしろ」
スッと差し伸べられた、軌跡の少しだけ大きな手。それが美奈子の手を一瞬触れると、彼女は思わず、指と指を絡ませながら、繋ぐ。恋人繋ぎと、呼ばれるものだ。
温かい。軌跡の体温が、自分の心を潤すように感じられて、美奈子は昂ぶる気持ちを抑える事が出来ず、ついついお願いをもう一つ、口走ってしまう。
「つ、ついでに、聞きたいんです、けど」
「何だ一体。今日のお前は欲張りだな」
「お、女の子は欲張りなものなんです!」
「そうか。で、何だ?」
「どうして……軌跡さんは、その……そんなに、女の子が、キライなのか」
今まで、聞くに聞けなかった事。これまでの軌跡に聞いたならば、話をする前に「話しかけるな」だったり、話が出来ても「応える義理はない」と一方的な言葉を持って拒んできた筈だが――今の軌跡ならば、答えを教えてくれるのかもしれないと、思えたのだ。
「調子に乗るな。別にデートだからって、お前の言葉に全部頷く必要は無いんだぞ」
「そ、そう、ですよね。……ごめんなさい」
淡い期待を持った問いかけ、だが軌跡は軌跡のままだった。がくりと項垂れ、謝罪した美奈子の事を察してか。幾度目か分からぬ溜息と共に、軌跡は前を向いて、口を開いた。
「別に――知りたいなら、教えてやらん事も無い」
「え」
フッと溜息をつきながら、視線は美奈子へ向けずに、話し始める。
「――昔、母親に捨てられた。俺が五歳くらいの頃だ。
『遠くへ行かなきゃならないの』って言って家を出て行ったっきり、今まで一度も帰ってきていない。
生きているのか、それとも死んでいるのかも定かじゃないけれど、俺は何年も、ずっと母さんの帰りを待ち続けた」
軌跡の言葉は「でも」と繋がった。
「結局、帰ってこなかった。元々母親しか知らなかった俺は、大好きだった母親に捨てられても、心の中でずっと、あの人の事を愛し続けていた。
――けど、何時まで経っても帰ってこない母さんへの『愛』と言う気持ちは『怒り』に変わっていった。
『お母さんなんて、大っ嫌い』、ってな」
それから、女性嫌いになるのは早かった。
女性を見れば母の面影を思い出してしまう。
母に似ている綺麗な女性を見れば、余計に嫌悪感が増してしまう。
一番顕著な例は、中村ヒマワリである。
彼女は綺麗な女性だが、故に軌跡は彼女に対する嫌悪感が、今まで出会った女性の中で、一番強いのだ。
幼い頃に幾度も直そうとした。周りの女性は母親では無い、自分を裏切らないと、そう考えもした。
だがダメだった。心の中で生まれた疑惑は、ただ女性と共にいるだけでは癒せない。近くにいる女性も『何時かは自分を裏切るんじゃないか』と、考える様になってしまった。
ましてや、今この世は、既に女性人口が七割を占める世界となってしまっている。
そんな世界で、悲しみを癒す術も知らずにただ育てば、女性に嫌悪する子供に育つ事も、無理は無いのだろう。
「じゃあ、どうして今日は、その……私と、デート……して、くれたんですか?」
「デートは、真里菜さんに命令された上、先生に脅されたからだ」
「断る事も出来たでしょう? それに、デートなんて適当にやり過ごしてもいいんだし」
確かに、と。美奈子の言葉に、軌跡は小さく頷いた。
命じられただけなら、適当に過ごしても良かった。下着を買いに行こうなどと言われた時点で怒り、帰ってしまう事だって、出来た筈だ。
否。普段の軌跡なら、そうしなければおかしいのだ。
「……俺も、分からない。未だに女は嫌いだ。今横を通り過ぎた通行人の女にすら、俺は嫌悪感を覚える」
キャリアウーマンのようなスーツを着込んだ女性にちらりと視線を寄越した。彼女を見る視線は、まるで汚物を見るかのように鋭く、嫌悪に満ちている。
「……だけど」
二人だけ違うと、彼は言う。
「瀬川と、真里菜さんだけは違うんだ。性格も、格好も、何もかも違うお前たちだけど、なぜか、俺はお前たちだけには、嫌悪感を抱かなくなった。
真里菜さんへの感情は、一から十まで何の感情か分からないから、ある意味では不安でいっぱいだけれど――」
その時、ようやく軌跡は、美奈子と目を合わせ、見つめ合った。
「今日、お前と一緒にいて、楽しいと思えた。お前を、面白い奴だと思えた。お前と一緒に居る時間が――何より楽しいって。お前とまた、デートをしたいって、そう思えた」
観念したように、軌跡は苦笑の表情を浮かべながら、最後に一言、正直な気持ちを、短く表現した。
「俺は、お前が好きなのかもしれない」
ボウ……と、軌跡の言葉に耳を傾けていた。
――私は、嫌われていなかった。
大好きな彼女に、一度は好意を断られていても、しかし美奈子は軌跡の事を思い続けた。そして今、ようやくそんな彼女に「好きかもしれない」と、言ってもらえたのだ。
「う、嬉しい……嬉しいです、私……っ」
「勘違いするなよ。女性の中で、と言う意味であって、お前の事を恋人にしたいと言う意味ではない。それとこれとは話が別だ」
「うん……うんっ! それでもいいんですっ……良かったぁ……!」
「……分からんよ、その感情は」
しかし軌跡は、自分に好意を向けられて、嬉しいと言ってくれる少女――瀬川美奈子に対して、『愛おしい』と言う感情を、知ってしまったのだ。
――今少しだけ、女性嫌いが、直った気がした。
**
「お前に渡されたデータだけどな」
夕焼けの光を浴びながら、笹部蓮司は携帯端末の向こう側に居るべき女性へ、声をかけている。
禁煙であるから火は点けられないものの、咥えタバコをして気持ちを落ち着かせつつ、報告を述べる。
「詳しく調べた結果【エネル】と同波長のRVエンジンユニットを積んでやがった。こりゃかなり魔改造されているが、間違いねぇだろうな」
『二番機との交戦経験があるのはお前だけだ。お前に頼んで正解だったな』
通話相手は、かつての上司だ。
中村ヒマワリ。元々第一作戦部隊の部隊長を勤めていた女性であり、十年前に退役。現在は聖アルト女学院の学院長と、対クシュラ専攻の教員を兼ねている。
「何でエネルが現役稼働してやがる。紛いなりにも俺が撃墜した機体だぜ」
十年前――蓮司はとある作戦行動中に、一機のAD兵器と交戦した。それがタイプラブレス二番機【エネル】である。
「タイプラブレスだぞ? 生半可な奴じゃ操縦すら出来ねぇ機体だ。四六は、一体どんなヤマ追ってやがるんだ」
タイプラブレスという機体は、特殊な操縦システムを搭載している。それは操縦者の体内に埋め込まれたナノマシンと機体が接続するNOS――ナノマシン・オペレーティング・システムという操縦方法によって、初めて機体制御が可能となるのだ。
『エネルは【アリスの遺産】を狙っている』
「……なんだと」
普段、飄々としている蓮司らしからぬ強張った声が、ヒマワリにも感じ取れた。
【アリスの遺産】――この言葉の意味を、蓮司は良く知ってしまっている。
「まさか、アリスが生きているってのか?」
『有り得ない。それにスミレの話だとエネルに搭乗しているパイロットは、かつて搭乗していた人物とは別人らしい』
しかしならばこそマズイ――ヒマワリは確かにそう述べた。
『下手をすると、十年前にも起こり得た【戦争】の危険性すら有る』
「厄介な事に巻き込みやがって……俺は対クシュラしかしねぇ連合の人間なんだ。何で俺に」
『お前にだけは知っていて欲しかった。お前はいざと言う時、頼りになる男だからな』
茶化す事も無く、彼女は蓮司に向けて、ただ述べる。ヒマワリはいつもこうだ。他人を評価する時、彼女は臆面も無く、真っ直ぐな言葉だけ、口にする。
「お前は俺の事を、過大評価し過ぎだ」
『私は過大評価も、過小評価もしない。自身の目で見て、自身で判断する。その判断に間違いは無いと自負している』
小さく吐いた溜息。蓮司は、しばし会っていない一人の少女を思い浮かべながら、電話口へと問いかけた。
「スミレちゃんも……【遺産】を守る為に、戦っているのか?」
『ああ。私たちの意思で、あの人の子供達を、守る為にな』
「お前らは何時まで戦えば良いんだよ。十年前もそうだ。ずっと戦い続けて、今も」
『それを分かってくれているお前だからこそ、頼りになると言う事だ。
いざと言う時は、スミレと子供達を、頼む』
彼女の言葉に、逆らう事など――それを思考する事すら、出来うる筈がない。
「俺に出来る事なら、まあ心がけておくよ」
『助かる』
そこに二人は並んでいない。同じ場所で、同じ空気を吸っているわけでは無い。
しかし、確かに二人の心は繋がって居る。
二人が持つ言葉は、例えれば――末長く連れ添った熟年夫婦のように、聞こえなくもない。




