真船軌跡さんは、女性が嫌いです。
――軌跡、こっちよ。おいで。
柔らかな笑みを浮かべながら、手を差し伸べる女性がいる。
ウェーブのきいた金髪のロングヘアをなびかせながら、その身にまとう全体的に赤を基本色としたゴシックロリータを着込んだ女性。
彼女に名を呼ばれ、手を差し伸べられ、拙い足取りで歩く子が一人。
まだ年は五歳にも満たなさそうな、そんな幼子である。
『なに? おかあさんっ』
――軌跡は今日、晩御飯は何が良い?
『おかあさんがつくったゴハンなら、なんでもいい!』
ふふっ、と。子供の言葉に喜ぶように、頭を撫でる女性。
――じゃあ、今日はオムライスね。
『やったっ! たまごはふわふわで!』
――ええ、目いっぱいフワフワにしてみせるわ。
彼女の手に引かれ、歩き出す子供。女性も子供も笑みは絶えない。絶やす必要が無い。
子供は、幸せの中を生きて来たが……その幸せは、長くは続かなかった。
――軌跡、お母さん、遠くへお出かけしないといけないの。
女性が不意に、子供へそう語り掛けると、首を傾げて問う。
『とおく?』
――そう、本当に遠く。軌跡と、次にいつ会えるか分からない。
『やだ……おかあさんといっしょにいく! いっしょにおでかけする!』
――ダメよ軌跡。貴方は私について来たら。
――貴方は、幸せな世界を生きなさい。私とは違う幸せを、見つけられる筈だから。
子供の頭を撫でて、離すまいと一生懸命にスカートを握る子の手を優しく解き、女性は歩き出し、行ってしまう。
子供は察する。……今この人を送り出してしまえば、もう二度と、会えないのだと。
『おかあさんっ! いっちゃヤダッ!』
叫び、追いかけ、それでも大人の足には追いつけない。転び、膝を擦りむき、まぶたを涙で泣きはらし、なお叫ぶ。
『おかあさん――っ』
声は、もう女性に届く事は無かった。
親愛の母親に見捨てられ、子供は酷く項垂れる。
そして……二度と帰ってこない母親の事を思う度、言うのだ。
『……おかあさんなんて、だいっきらい』
涙を流し、否定の言葉を述べる。それ位しか、小さな子供に出来る事など、無かった。
**
『私は、貴女が好きです。
煌めく黒髪、凛々しく、美しい顔立ち、そして見る者を凍らせるような、けれど確かな光を持つ貴女の瞳、スラリとした身体、それら全てを持つ貴女が。
私には何にもありません。貴女にとっては他愛も無い、詰まらない娘でしかないでしょう。
しかし、貴女を好きであると言う気持ちだけは、誰にも負けるつもりはありません。
放課後、体育館の裏で、貴女を待っています。一度、貴女の目を見て、この気持ちを、言葉として、語らせて下さい』
差出人の名前は無かった。机の中に入っている小さなラヴレターを読み終えた少女は、フゥと息を吐きながら、立ち上がる。
肩程度までしか伸びておらぬ短髪だが、煌めく黒髪が美しい。
目付きは細く、鼻はスッと伸び、整った顔立ちは凛々しくて、輝かしかった。
凹凸こそ無いがスリムな体と弧を描くニーソックスの足元が、却って艶美を物語っているようにも思える。
それら全てを持つ少女は、差出人不明のラヴレターが示す場所へ、律儀に足を運んでいた。
体育館の裏。生い茂る木々が目につく場所は、普段誰も近づく事は無い。
しかしそこには、一人の少女がいた。
灰色の髪は頭頂部の左右で二つ結び。整っているものの、美しいという言葉よりは可愛らしいと言う言葉が似合うだろう幼げな顔立ち。
豊満な乳房と引き締まった腰、そして反する様に反り返る臀部、少しだけふっくらとしているが健康的な脚。
少女――瀬川美奈子は、自身の元へと来てくれた彼女へ、高揚した表情を明るくさせつつ、しかし恥ずかしそうに下唇を噛んだ。
「き、軌跡さん……き、来て、くれたんですね」
「ああ」
軌跡と呼ばれた少女の声は、女性にしては低く、しかし耳にスッと通るような綺麗な声だった。
彼女は、微笑みの一つも魅せはしない。ただ立ち尽くして、少女が想いを自身にぶつけてくる事を、ただ待っている。
「き、軌跡さんが、好きですっ! 私、恋をしたのが、初めてだから……ちゃ、ちゃんと想いを、伝えられるか、分からないけど……ただ、言いたいっ!
私、瀬川美奈子は、真船軌跡さんが、好きですっ! お付き合いを、して下さいっ!」
腰を九十度曲げ、頭を下げた美奈子。
彼女の言葉を、確かに耳に、頭に聞き入れた少女――
真船軌跡は。
小さく口を開き。瀬川美奈子へと、言い放つ。
「……俺は、女が、嫌いだ」
愕然とした表情を向ける、美奈子の事を、軌跡は、輝かしく鋭い――刃のような瞳で、ただ睨み付けていた。